熊本城

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2019年1月3日、平成最後のお正月休みに僕は、復興に向けて躍進を始めた「熊本城」に足を向けました。

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ご存知の通り、築城の天才「加藤清正」が情熱を尽くして築き上げたとされる「熊本城」は、2016年4月14日夜と4月16日未明に相次いで発生した、最大震度7の熊本地震で被災しました。

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見上げんばかりの大石垣が、儚くも崩れ落ちた姿は、ニュースでも大々的に取り上げられていました。

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その大地震から間も無く3年を迎える熊本城を訪れてみると、

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いたるところに、大切に石垣の石が保管されています。

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これらを気の遠くなる作業を経て、再築していくことになります。

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現在の熊本城は、大半が立ち入り禁止になっているものの、本丸にある「加藤神社」まで、入場することができるようになっています。

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白い鳥居が立つ入り口には、

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正月とあって、多くの人で賑わっていました。

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この加藤神社、祭神はもちろん、加藤清正公に他なりません。

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「加藤」=「勝とう」ということから、勝負運に特にご利益があるのだとか。
参拝に列ができています。

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「仰清正公」の扁額は、神格化された清正公を表しているようです。

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参拝すると、巫女さんが一人一人の頭上をお祓いしてくれました。

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勇敢かつ、上には忠義、下には慈悲の戦国武将、加藤清正。

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彼と彼の築城した熊本城は、熊本県民の誇りなのです。

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時はかかれど、必ず見事な復興を遂げることでしょう。

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境内の端に、不思議な石が置いてありました。

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観音様が彫られているようですね。

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言われてみれば、確かにうっすらと。

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さて、加藤神社から先は立ち入り禁止になっています。
そこからは「宇土櫓」(うどやぐら)が見えました。
熊本城も戦禍によってほとんどの建造物が失われてきましたが、唯一現存しつづけているのがこの3重6階(地下1階)の宇土櫓です。
この度の地震からも逃れた、その堂々たる風格は、加藤清正が創建した初代天守ではないかとも考えられているようです。

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熊本地震の2年前、2014年の正月2日に、僕は熊本城を訪れていました。

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2007年(平成19年)のころ、築城400年を記念して、本丸御殿をはじめ、多くの建造物が復元されました。

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美しく再現された雅な天守に、当時感嘆の息を漏らしたものです。

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まさかその時は、こんな大地震に被災するとは、思いもしませんでした。

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本丸から少し離れた西出丸に、「戌亥櫓」(いぬいやぐら)という建物があります。
この写真は2014年のもの。
それが今は、

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この状態です。

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この戌亥櫓は、現在、崩れた石垣に最も迫れる場所となっています。

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中央が崩れ、両端の石垣のみでそびえ立つその姿は、感動的でさえあります。

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よくぞここで堪えたもの。

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熊本城は現在、本丸内には入れないものの、外側をぐるりと周回することができます。

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広場ではイベントが行われていたり、露店が並んでいたりします。

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熊本城は清正公が築城の記念に、銀杏の木を手植えしたことから「銀杏城」とも呼ばれていたそうです。

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明治期には、西南戦争の戦場となり、その直前に大小天守や御殿など本丸の建築群のほとんどが焼失。

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現在の天守は1960年に再建されました。

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幾度の災難に遭いながら、そのたび不死鳥のように蘇る熊本城。

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この度の震災に際し、熊本市の大西一史市長は天守閣の修復を3年で、また全体の修復を20年で終える目標を明らかにしておられます。

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ということは、僕の寿命があるうちに、またかの麗しい、荘厳な姿を見ることができるかもしれないということです。

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2件のコメント 追加

  1. 熊本城には20年くらい前に一度だけ行ったことがあります。
    あまりにも遠い記憶なので、壁が黒かったってことぐらいしか覚えてないです”(-“”-)”
    でも、写真を拝見して、きれいなお城だなあ、と思います。
    石垣が崩れているにもかかわらず、建っている姿、素晴らしいですね。
    時間はかかってももう一度、美しい姿を見られるかもしれないのは、嬉しいですね(*^^)v
    しかし、加藤=勝とうで勝負運に利益があったとは、知りませんでした。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      崩壊した阿蘇神社を見たときも、壊れてなお美しいと感じてしまいました。
      熊本の歴史ある建造物は、県民の気質ゆえか、威風堂々としたものが多いですね。
      僕自身も、歳を経てなお威風堂々な人生を歩みたいものです。

      いいね: 1人

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