菅原道真と出雲王家の繋がりを調べている中で、こんなサイトへ寄り道してみました。
「名字由来net」さんです。
名字を検索し、全国の名前の数ランキングや由来を調べることのできる、面白いサイトです。
そこで僕の名字を検索してみると、
全国に「轟」(とどろき)さんは6600人いらっしゃって、その順位は2,252位なのだそうです。
珍しい名字だろうとは思っていましたが、意外にたくさんいらっしゃるという感想です。
あ、僕の名字は轟と言います。
そして驚いたのはその由来。
まじですかーっ(歓喜!)
轟の名は「五条氏」の系図にあり、五条氏は「天武帝」の嫡男「舎人親王」に連なる「清原氏」の子孫であるということです。
これは嬉しい♪
「日本の苗字七千傑」さんで清原氏を見てみると、
舎人親王の子に「御原王」と「貞代王」の名があり、その先が清原氏へと続いています。
清原氏はさらに様々な氏族に分かれていくのですが、その中に「清少納言」の名も見えます。
そして「清原良枝」の子に、五条氏を名乗る「頼元」がおり、さらに「五条良邦」の子に、ついに轟氏を名乗る「邦興」が誕生します。
「播磨屋」さんの「戦国武将の家紋」のサイトで五条氏を調べると、五条氏の祖「頼元」は「後醍醐天皇」の有力なブレーンを務め、幼少の「懐良親王」に随従して九州に下向したとあります。
太宰府に「五条」という地名がありますが、当初僕は、大宰府政庁時代の条坊制の名残かと思っていましたが、実際は五条の通りから微妙にずれており、五条氏の名残から地名が名付けられた可能性が高いように思われます。
また、父の実家がある石坂は五条から目と鼻の先にあります。
舎人親王の父「天武帝」は更に遡れば、出雲東王家の正当な継承者「オホド大王」へと通じます。
筑前・筑後に隣する福岡で生まれ育った僕は、物部の血は流れているかもしれないと思ったことはありましたが、出雲人の血が流れている可能性は考えてもみませんでした。
「斎木雲州」氏の記す『富王家の伝承』を知り、その聖地を訪ね歩いた今、出雲人の血が僕にも、その微かな片鱗でも流れている可能性に嬉しく感謝する次第です。
ちなみに母方の祖父・祖母の名字も調べましたが、そちらは全くの土着の氏名でした。
・・・・・・全く個人的な内容のブログでした。。全国の轟さん、僕と一緒に誇りましょう!
ぼくたちの地元、淡路島には轟、轟木の地名があります。
そこは、、、、あの阪神淡路大震災の震源の野島断層の付近。
正に大地が轟く所
因みに、震源の野島断層の真上?には古来荒神祠が祀られています。
また、連続する断層帯(淡路島西辺断層帯(野島断層)?~六甲山南辺断層帯)の上には
まるでお約束のように寺社が整然と並び建っていて、
その南のスタート?には幽宮イザナギ神宮(南海トラフに潜り込んだプレートがマントルに落ち込む場所らしい)。
そこから八幡さま他が数珠繋ぎで明石海峡を渡り
海(ワタツミ)神社始め、いわゆる神功皇后ゆかりと言う神社軍が西宮廣田神社(ある意味、荒神さま。)/甲山辺り迄
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淡路の地名に轟があるとは嬉しいです。
しかし断層にそって寺社が建てられているとは、古人は大地の間に、大きなエネルギーを感じ取っていたのでしょうか。
地鎮、が古代人の祈りの原点の一つなのかもしれませんね。
ちなみに九州では、轟は滝などにも名付けられています。
子供の頃は、ご先祖様はたくさん車を持った大金持ちだったらいいな、なんて呑気に考えていたものですが(笑)
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