沖縄には「琉球八社」と呼ばれる神社があります。
琉球八社とは、明治以前の琉球国府から特別の扱いを受けた「波上宮」「沖宮」「識名宮」「普天満宮」「末吉宮」「八幡宮」「天久宮」「金武宮」のことを言います。
その一つ、那覇市にある「天久宮」(あめくぐう)を訪ねました。
泊高校と聖現寺に挟まれた、狭いスペースに鳥居が鎮座します。
鳥居の先は駐車場になっていて、車幅ギリギリの鳥居の柱の間を乗り入れることになります。
その不思議な配置に頭をかしげつつ車を降りると、駐車場脇から下に降りる階段が。
駐車場の下に社殿がありました。
究極の下り宮です。
由緒では、創建は成化年間(1462~78)と伝えられ、翁子という者が天久村で、熊野権現の化身と思われる女人と法師に出逢ったことによるそうです。
沖縄は江戸時代に島津が侵攻するまでは「琉球王国」という独立国家でした。
島津侵攻後、幕府に組み込まれたのちも「琉球藩」として王国の体面は保たれていましたが、明治時代の廃藩置県で「沖縄県」となり、これにより500年続いた琉球王国は実質的に消滅してしまいます。
琉球文化には独特の神話があり、その絶対不可侵の聖域は「御嶽」(うたき)として今なお受け継がれています。
なので沖縄に神社・社寺というのは、個人的にとても違和感を感じるところです。
本殿の横に弁天社がありました。
翁子が出会った女人は熊野権現の遣いであり、弁財天であると云われているので、彼女を祀ったものでしょう。
さらに下に通じる階段を降りると、
当社が大きな磐座の元に建てられていることが分かりました。
「泊之ユイヤギ御嶽」と刻まれた石碑の横には、沖縄らしい拝所が設けられています。
ここは琉球民の御嶽だったものが、後世に大和風の神社に変えられたのではないかと想像します。
拝所の横には井戸があり、
さらにその奥先には、宮司家の墓らしきものがありました。
沖縄の墓といえば、琉球時代の亀甲墓、現代に多い破風墓が一般的で、その形状はまさに家。
それに比べ、当墓は日本式の和風墓の形式をとっています。
拝所の磐座がどのようになっているのか気になり、再び拝殿まで戻ってみると、社殿横に磐座上部に続く階段がありました。
磐座上端にも拝所が設けられています。
石碑には「泊龍宮神」「弁天負泰彦大神」の文字が刻まれています。
琉球国府から特別の扱いを受けたうちの1社ではありますが、本来は御嶽として崇められていたであろう巨大磐座も、往年以上の神威は発揮されていないように感じました。
駐車場に戻ってみれば、車の陰に隠れて見えなかった、第三の拝所の存在に気がつきました。
偲フ花様
さいとう様
横から申し訳ありません。
古代より我が国は「多様性」の可能性を見出して来ました。そして大いなる和を求めて来た大和の国です。それはまごう事なき事実です。
私共は、毎日、多くの外国籍の人達と直接触れ合う仕事をしております。
巷間云われている「多文化共生」を全否定するつもりは毛頭ございません。しかし、日本に希望と夢を抱き来日して来た外国籍の人達の純粋な気持ちを無視し踏み躙るような行為、似非宗教や差別を助長し被害者意識を彼等の潜在意識の中に刷り込ませ、それを利権、既得権益化して来た(いる)勢力がこの日本国内に今なお跋扈している現実があるのです。私共は、そうした事に対して警鐘を鳴らしているに過ぎません。
人間に一番大切な事は教育だと考えております事から、最低限の「ルール・マナー・モラル」を身に着けて頂けるよう、ボランティアでの学校も開設して如何にして日本社会に順応できるかとの検証も進めています。
一番不幸だと思うのは、こうした純真な子供達の親御さん達が、上記しました様な勢力によって間違った方向へと向かわされる事により家庭内教育が非常に歪んでしまっている現実です。多様性は一つの可能性ですが、その可能性が良い方に向かっているだけでは無い現状と向き合い私共は日々奮闘しております。誤解を招くような発言で不愉快な思いをさせてしまっておりましたら、この場をお借りして謝罪致します。
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さしでがましい事を申し上げました。失礼お許しいただきたいと存じます。諜報や情報の取り扱い、接し方、距離感やバランスは、確かに難しいと思います。真剣で誠実であればこそ・・・。
追伸
最近は、ご縁あったのか?『撞賢木厳之御魂天疎向津媛命』様を調べてます。
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そのようなことはありません。
むしろ感謝しております。
日本の古名は、文字が記すように「大いなる和」なのですから。
この名を選んだ先人には、心から感銘するところです。
向津媛は、当ブログでも紹介しておりますように、富家の伝承が伝えるところでは富家=向家の媛「ヤマトヒメ」のことのようです。
一般に考えられているアマテラスの妹だとか荒御魂であるというのは、少々違っているようですね。
しかし「アマテラス=出雲の太陽の女神」を伊勢に遷宮したのは、まぎれもない彼女であり、太陽の女神を奉じた姫巫女ですので、やがてアマテラスと同一視されていったようです。
僕の知る限り、向津媛が『撞賢木厳之御魂天疎向津媛命』として記紀に記されるのは神功皇后に関する場面であり、仲哀天皇を祟った神の名を問うシーンです。
そこで語られた神の一柱が、
「その神は神風の伊勢の国の百伝(ももづた)ふ
渡逢(わたらい)の県(あがた)の拆鈴五十鈴(さくすずいすず)の宮におられます。
名は、撞賢木(つきさかき)厳之御魂(いつのみたま)天疎(あまさかる)向津媛命(むかつひめのみこと)と申される」
ということですね。
このブログを書いていた当時は何のことかよく分かりませんでしたが、今は「伊勢の五十鈴の宮に鎮まる向津媛」ということが素直に理解できます。
その後、この向津媛を祀ったと思われるのが福岡の久山にある「伊野天照皇大神宮」です。
祭神はアマテラスですが、その正体は向津媛であると考えています。
福岡県民にもあまり知られていない、おすすめの神社です。
https://omouhana.com/2017/07/07/伊野天照皇大神宮〜神功皇后紀%E3%80%809/
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そうですね、入ってはいけない、とされている場所に入って写真を撮るような人は、まあ日本人にも少なからずいるとは思いますが、中・韓系の旅行者はよく見かけます。
対馬の仏像、銅製の狛犬なども盗んでいくような人たちなので、そんな人たちには我が国の聖域に気安く立ち入って欲しく無い、というのが本音です。
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『あめくぐう』ですか・・・。『雨』を連想いたしました。熊野権現様は水の女神様とも縁深いと伺いました。古い記憶ですが・・・。
さてボランティアで施設の子どもさん方とも接しております。いろんな国籍もあるようです。多様性は一つの可能性では、ないでしょうか?。
画一的な基準で、封じられた神名も、歴史の狭間に追いやられた伝承も、この国や土地にはあるのではないでしょうか?
お気にさわりましたら、無学な田舎者の妄想妄言としてお許し下さい。
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こんにちは、さいとう様。
熊野権現には那智の滝があるように、水の女神と縁深いと思われます。
天とは海(アマ)であり雨であるのかもしれませんね。
確かにおっしゃる通りです。
日本人の素晴らしい素質の一つは、多様性を受けれる懐の大きさです。
八百万もの神々を祀り、仏教を取り入れ、キリスト教さえも受け入れる、そんな国です。
その反面、時の権力者によって隠された神・一族も確かに存在しています。
出雲王族、アラハバキ、土蜘蛛etc.
ただ、ここ最近の反日系の人々の言動、動き、そしてそうした思惑を抱いた多くの在日人が日本国土の深くまで浸透してきている事実に嫌気がさし、冷静さを欠いていたようです。
僕がこのブログ名に、「思」・「想」ではなく「偲」を選んだのは、さいとう様のおっしゃる歴史の狭間に隠された者を、また今まさに失われつつある物を「偲う」故にでした。
僕の原点を再認識させていただき、ありがとうございます!
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偲フ花様
そうでしたか。…
お忙しいところ、お手を煩わせてしまいまして大変申し訳ありませんでした。
こちらでブログを立ち上げさせて頂きまして、まだ1ヶ月経っておりません事から何かと不躾な事ばかりですみません。
どうかお許しください。
全く使いこなせておらず、お恥ずかしい限りです。もう少し様子を見て慣れて来ましたら有料に切り替えようと考えております。
私がブログを初めました理由は、当法人から、政府、関係各省庁に提出させて頂いておりますものと関連した事を一般の方に広く知って頂きたく思い、インテリジェンス部分を出来るだけぼかしながら書いたものなのでタイムラグがございますが読んで頂いておられます事、大変感謝申し上げます。
これからも、何かとご迷惑をおかけするやもしれませんが宜しくお願い致します。
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沖縄旅行に行かれたと思ったら、また違う観点からの沖縄。
知らない沖縄で、興味深いです(*^^)v
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昨年6月に店の慰安旅行で行ってからの8ヶ月ぶりの沖縄でした。
沖縄はもう初夏の陽気、始発の飛行機で出かけ、最終便に乗り遅れそうになるくらいギリギリまで遊び倒し、汗だくで帰ってきました(笑)
が、沖縄は一人旅よりも、数人でわいわい旅した方が楽しい場所ですね。
とにかくも、僕が見てきた沖縄を、これからしばらくアップしていきます!
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確かに南の国は大勢のが楽しいですね(^^)/
沖縄編、楽しみにしてます(*^^)v
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