沖縄県南城市(旧玉城村)に「アマミキヨが築いた城」と伝わる城跡があるので訪ねてみました。
小高い丘へ車を走らせると、見えてきました。
これが先の城跡「玉城城」(たまぐすくじょう/玉城グスク)です。
頂上まで続く階段を、唖然と眺めている自分がいます。。
城跡の麓には、車を停めれる、割と広いスペースがあります。
さて、そこから頂上を目指すのですが、入口は今にも動き出しそうな、森の精木が迎えてくれます。
見えました、階段。
見た目以上に急な木の階段を、一歩ずつ登ります。
途中、横を見ると拝所がありました。
この階段ができたのは割と最近で、10年前くらいは、斜面をロープを伝ってよじ登っていたそうです。
眼前に迫る城壁、
やがてその城門が見えてきます。
城門と呼ぶには、あまりにワイルドなその風貌。
この城門は、天然の一枚岩をくりぬいて造られています。
夏至の日にはこの穴から朝日が差し込み、城内をてらすのだそうで、「太陽の門」とも呼ばれています。
そして太陽の門をくぐり、天空の城へ足を踏み入れると、
その正面には拝所(ウガンジュ)があります。
この何気無い拝所は、琉球開闢の七岳の一つとされる「天つぎあまつぎ御嶽(雨粒天次御嶽)」(神名:アガル御イベ、ツルベ御イベ)であり、東御廻り(アガリウマーイ)の巡礼最後の聖地とされます。
何気無いとは言いましたが、夏至の日に太陽の門から陽が差し込むと、それはえも言われぬ神々しい景色だったことと思われます。
また天つぎあまつぎ御嶽の背後には、南国植物の生い茂った壊れかけの石積みがあります。
この石積みも御嶽の一部だったのでしょう、踏み込むのをためらわせる神気が残されています。
天つぎあまつぎ御嶽の真裏あたりから石積みを屈み見ると、まっすぐ太陽の門が見えていました。
敷地内はさほど広くなく、その割に拝所や井戸が点在しています。
別名アマツヅ城とも称される玉城城跡は、築城年代や歴代の城主については定かではないそうですが、石垣の積み方から約600年前のものと推定されています。
その様相は城としては小さく、軍事的なものというよりも祭祀的性格が強く残されているので、宗教的聖地としての要素が大きかったのではないかと考えられます。
城壁から外を望めば、この日はあいにくの天気でしたが、アマミキヨが降り立った神の島「久高島」も見渡せます。
東御廻りを終えた王と聞得大君は、ここで何を想ったのでしょうか。
天つぎあまつぎ御嶽から見た太陽の門は、少しゆがんで、ハートの形に見えていました。
偲フ花様
私は沖縄へは仕事で行くばかり…
と云うお話しはさせて頂きましたが、この地にだけは、勿論仕事だったのですが、時間の合間に少しだけ見て廻れたのです。
非常にリラックス出来たのと同時に、沖縄は本当に素晴らしいと心から感じた貴重な時間でした。
何故この地へ仕事で足を運んだのか??…
「玉城」… お解り頂けたと思います。
この案件、後ほどまた!!
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