来宮神社・伊豆山神社:八雲ニ散ル花 東ノ国篇03

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伊豆お隣、熱海に2社、気になる神社がありましたので訪ねてみました。

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1社は「伊豆山神社」(いずやまじんじゃ)です。
僕は車で登れる所まで来てしまいましたが、

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海岸沿いから参道は始まっており、

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その階段を全て踏破しようと思えば、837段の階段を登ることになります。
本殿からまた更に1時間の登山をした先に本宮が鎮座しています。
今回は雨が降っていることと時間の問題で、本殿までの参拝に留めました。

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バス停のある大鳥居までやってくれば、残りの階段は180段ほどです。

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とはいえ、その階段もなかなかのきつさ。

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祖霊社、

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役小角を祀る足立権現社など眺めつつ登ります。

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「結明神社」(むすぶみょうじんしゃ)は日精・月精を祀る縁結び神社だそうです。
日精・月精は久地良山(日金山)の大杉から生まれ、初木姫に育てられて夫婦となった神。
後に伊豆権現を祀る氏子の祖となったと云われています。

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拝殿が見えて来ました。

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立派な手水舎には、紅白の龍が並んでいます。

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伊豆山神社の縁起「走湯山縁起」(鎌倉期に成立)によると、当伊豆山の地底には赤白の二龍が和合して鎮まっているのだそうです。
その尾を箱根の湖水(芦ノ湖)に漬け、その頭は日金嶺(伊豆山)地底にあり、温泉が沸く場所は龍の両目両耳、鼻穴口にあたるそうです。
この二龍が精気を吐くと、赤白が海水に交わり、二色浦(熱海錦が浦)とよばれるようになりました。

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足を進めると、華やかな社殿が見えてきます。

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祭神は伊豆山大神。

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伊豆山大神というのは、「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」(マサヤアカツカツハヤヒアメノオシホミミノミコト)、「栲幡千千姫」(タクハタチヂヒメ)、「瓊瓊杵尊」(ニニギノミコト)を総称したものと云われています。

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ならば当社を創建した一族は「物部氏」であるということになります。

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創建は、社伝によれば孝昭天皇(5代カネシエ大王)の時代となっていますが、その頃は物部はまだ、九州から出ていませんでした。
早くとも第一次物部東征後の時期、開化天皇(9代大日々大王)の時代にならないと物部族は当地に足を踏み入れられなかったと思われます。

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境内に「光り石」という霊石があります。

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大磯にある高麗山(高来神社)より道祖神(猿田彦大神・天宇受売今)とともに来た神が降り立つ場所なのだそうですが、元は出雲系の者が創建し、後に物部に取って代われれたと云うことかも知れません。

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また伊豆山神社は、伊豆に配流された源頼朝と、後に妻となる北条政子がイチャラブった聖地とのことで、

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境内にあるハートを探してみるのも、楽しいようです。

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「来宮神社」(きのみやじんじゃ)は、熱海市にある雅な神社。

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参道は竹林のトンネルになっており、京都の風情を感じさせます。

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参道入口には、大きな石の先に「来宮稲荷社」があります。

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祭神は京都の伏見稲荷大社より勧請したそうです。
そして手水舎の向かいには、

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大きな楠。

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来宮とは「木の宮」からきているそうです。

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この参道沿いの大楠は、「第二大楠」と呼ばれ、落雷により幹の中が空洞となっています。

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にも関わらず今も立派に生きており、その生命力にあやかろうと参拝する人が絶えないそうです。

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神域に入ってきました。

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おしゃれな社務所と喫茶ブース。

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太宰府天満宮などと同じ、「今風」を意識しているのが窺えます。

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熱海市の中心的な神社として扱われる来宮神社、その創建は、和銅3年(710年)熱海湾で網に木の根が掛かる事が3度重なり、不思議に思った漁師があらためると神像のようであったので、近くの松の下に祀って、持っていた麦こがしを供えたのが始まりであると社伝は伝えます。

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その夜の夢に五十猛命(イソタケノミコト)が現れ、潮騒が耳障りであるとの神託があったので現在地に遷祀、そこの木の根を神体としたところから「木の宮」と称したと云います。

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当社の祭神は「日本武尊」(やまとたけるのみこと)、「五十猛命」(いたけるのみこと)、「大己貴命」(おおなもちのみこと)。

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日本武尊は、大帯彦(オオタラシヒコ)と若帯彦(ワカタラシヒコ)を合わせた架空の人物と伝えられる物部の神です。
つまり見事、出雲系・海部系・物部系の神が祀られていることになります。

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それぞれの神を祭祀する一群が祭神を書き足していったという風にも考えられますが、創建由緒を鑑みると、元々は地主神を祀っていたところに、知名度の高い神を祀ったようにも思われます。

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拝殿の横に、本殿奥へ続く道があります。
そこを進むと、

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これまたひときわ大きな大楠があります。

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天然記念物(国指定)の「阿豆佐和気神社の大クス」(あずさわけじんじゃのおおくす)と呼ばれます。

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一部枯れていますが、推定樹齢2000年以上、樹高約20m、幹周り約24mで、全国2位の巨樹の認定を受けているそうです。

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この幹周りを一周すると寿命が一年延びる、心で願いごとを唱えながら一周すると願いが叶うなど云われており、幹を一周できるように歩道が整備されています。

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以前は境内に7株の大楠があったそうですが、嘉永年間(1848~53年)に「大網事件」という漁業権を巡る争論が起こり、訴訟費等捻出のために5株を伐採したそうです。

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そこでこの大楠もも伐ろうとしたところ、白髪の老翁が現れて立ち塞がり、樵夫の持つ大鋸を2つに折って消えたので、それ以来神木として崇めるようになったと言い伝えられます。

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止む無くとはいえ、聖域の大樹を切り落とそうとは、いやはやといった感じです。

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参道の帰り、御神水取りの手水を見逃していたことに気がつきました。

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伊豆の南方、河津町の「川津来宮神社」へやってきました。

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入口には、美しい河津桜と

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門番のような大樹が出迎えます。

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正式には「杉桙別命神社」(すぎほこわけのみことじんじゃ)と称する当社、

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五十猛命と少彦名命を相殿に祀りますが、『延喜式神名帳』では1座なので、本来は「杉桙別命」1柱を祀るものであったと思われ、その聞きなれない神の名から、やはり元は地主神を祀る神社だったのではないかと推察します。

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当社には、「鳥精進・酒精進」という風習があることでも有名だそうです。

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伝承では、その昔、杉桙別命が酒に酔って野原に寝ていたところ、野火に囲まれてしまい、そこへ何千何万という鳥が河津川へ飛び込んで、水を含ませた羽を雨のように降らせ命を守ったと云います。

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このことに感謝し、崇敬者らによって毎年12月18日から23日までの間、禁酒、鳥肉、卵を食べないという「鳥精進・酒精進」の行事が守られています。

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拝殿の奥に回ると、

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樹高約24m、幹周14m、樹齢1,000年以上と推定される国の天然記念物「楠杉桙別命神社の大クス」がそびえ立ちます。

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古くより来宮様の大クスと呼ばれ、神木として崇められてきました。

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かつて河津には7本の大楠があり、明治時代中頃まで河津郷七抱七楠(ななかかえななくす)と呼ばれていましたが、現存しているのはこの1本だけであるのだといいます。

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境内の配置、伝承などを踏まえると、熱海の来宮神社に通じるものを感じ、当社は先の神社の元宮なのではないかと思えてきます。
また、当社は全国でも数十社しかないという「どぶろく」造りが許された社であり、「どぶろく開き」の大祭では一般客にも振る舞われ喜ばれているということです。

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3件のコメント 追加

  1. asesorlegal 999 より:

    伊豆も熱海もかれこれ十年以上行っていないですね!!
    以外と近いところってそんな感じだったりしますよね 笑

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      熱海は今風の観光客であふれかえっていましたが、伊豆南端はのどかで、日本の風景が残っていましたよ。

      いいね: 1人

      1. asesorlegal 999 より:

        今風… 笑笑

        いいね

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