大宰府政庁跡のすぐ裏手にある小さな神社が、にわかに賑わいを見せています。
この賑わいは辺りに咲く桜のせいばかりではない、「坂本八幡宮」です。
「わが岡に さ男鹿来鳴く 初萩の 花嬬問ひに 来鳴くさ男鹿」
(わがおかに さおしかきなく はつはぎの はなつまとひに きなくさおしか)
『万葉集』巻八にある「大伴旅人」の歌碑が鎮座します。
そう、ここは『令和』ゆかりの地として4月1日以降、急激に参拝客が訪れるようになった小さな神社。
今までは誰もが、その存在を知らなかったことでしょう。(もちろん僕も)
今年初めての萩の花が咲き、牡鹿の鳴く求婚の声が、妻を想う私の心に重なるものよ
当地は大宰帥(そち)大伴旅人の邸宅跡と伝えられている場所の一つ。
『令和』の由来となる万葉集の華「梅花の宴」を主催したのは、万葉集の撰者でもある大伴家持の父「大伴旅人」です。
旅人邸は梅花の宴が開かれた場所としてよく知られていますが、旅人は大宰府赴任後、間もなく妻を亡くしていました。
この日は休館で見ること叶いませんでしたが、政庁跡敷地内にある「大宰府展示館」では、博多人形師・山村延痒(やまむらのぶあき)氏製作の、博多人形による「梅花の宴」が再現展示されています。
こちらも大人気だそうですよ。
境内では『令和』の額を手にして、記念撮影をする人たちで賑わっていました。
額を眺めていると、「撮りましょうか?」とお声をかけていただきましたが、菅さんのモノマネをするのもなんだかなーってことで、丁重に辞退させていただきました。
さて、ここまで来たなら太宰府天満宮まで足を伸ばさないのももったいない。
裏の細道をゆるゆる車を走らせます。
すると雄大な「宝満山」がその姿を見せていました。
やっぱり僕には、「豊満なおっ◯い山」に見えてしまいます。
眼福眼福。
新学期も始まった平日というのに、相変わらずの賑わいよう。
『令和』ブームで日本人観光客勢が巻き返しを図り、日本語の会話が耳に届く比率は50%まで追い上げている!
ように感じました。
道真公の御心は如何なものか。
新しい御世が、「令月」の如く清新で、「和 」らぐ時代となりますよう。
新元号が発表されて、大宰府近辺がにぎやかになっているのでは??と思ってましたが、これからどんどん賑わいそうですね。展示館とか行ったことないとこがたくさんあるので、近いうちに行ってみたいな~と思ってます(*^^)v
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マジですか… 呆
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それでもまだ日本語での会話が耳に届く比率が50%とは…!!
一体、どうなってっているのですかね。
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日本が好きで来てくれている人たちならば、それでもいいと思うのですが、手水の柄杓に直接口をつけて水をがぶ飲みしている姿を見ると・・・
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