南伊豆町手石にある「月間神社」(つきまじんじゃ)を訪ねてみました。
雰囲気の良い、爽やかな参道です。
横の小池には弁天社のような社が浮かんでいます。
月間ゆえに祭神は「月読命」かと思いきや、「事代主」となります。
実は伊豆半島沿岸にかけて、事代主の足跡が点在しています。
事代主は恵比寿神と同一であるとされますので、漁師たちの信仰が古来からあったのかも知れません。
出雲族の足跡があるのならと伊豆までやって来てみましたが、しかしながら今ひとつピンとくるものに出会えません。
長野のタケミナカタの足取りを辿るよりも難航しそうです。
と、木彫りの扁額を見て驚きました。
そうですか、「月間」とは「竹麻」だったのですね。
調べてみると、延喜式内社で、「賀茂郡に在る竹麻神社、三座」とあります。
これは南伊豆町日野の竹麻神社、下田市高馬の竹麻神社、そして当社の月間神社であろうということです。
拝殿の裏手に回ると、更に神寂びた参道が続き、本殿がありました。
鬱蒼とした社叢に囲まれた本殿は、そこだけ木が取り払われ、スポットライトのように陽光が降り注いでいます。
伊豆の竹麻・月間神社は製鉄の神を祀っているそうです。
そして竹麻につながる神社が長野にあります。
「筑摩神社」です。
ツク、ツキは筑くを意味し、長野の「千曲」「筑摩」に通じると云います。
とするなら、当社は諏訪神タケミナカタの子孫が南下し、大祖神コトシロヌシを祀った聖地なのではないかと思う次第です。
やはり“ 秦 ” ですか…
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ほほう!!
「ツク、ツキは筑くを意味し、長野の「千曲」「筑摩」に通じると云います。」…
なんか全てにおいて繋がりがあるのですね。
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日本の地名などは意味や繋がりがあり、それが古代を旅する上で貴重な道しるべになることが往々にしてあります。
九州の筑紫は元は「築秦」で、秦族が築いた王国がそこにあったことを示す地名なのだとか。
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