日光山輪王寺

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日光二社一寺の一雄、徳川三代将軍「家光公」の霊廟「日光山輪王寺」(にっこうさんりんのうじ)を訪ねます。

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神橋をスタートし、日光観光を歩み出すと、最初にたどり着くのが輪王寺です。

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日光山輪王寺は、1200年以上もの昔、日光開山の祖「勝道上人」(しょうどうしょうにん)が「四本龍寺」を建てたのが創建と伝えられます。

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その威光はかの弘法大師・空海さえも呼び寄せたほど。

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すぐに本堂である「三仏堂」が見えてきます。

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祀られるのは、「千手観音」(男体山/新宮権現/大己貴命/総高703.6cm本尊335.4cm)

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「阿弥陀如来」(女峰山/滝尾権現/田心姫命/総高756.3cm本尊306.3cm)

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「馬頭観音」(太郎山/本宮権現/味耜高彦根命/総高744.7cm本尊301.3cm)となります。

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堂内に入れるのですが、撮影禁止なので外から可能な限り垣間見てみました。

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輪王寺の正門に当たる「黒門」です。
明治4年に本坊が焼失し、唯一焼け残った建造物なのだそうですが、時代が時代だけに、尊王派の放火であった可能性が濃厚です。

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輪王寺は、天台宗の門跡寺院となります。
今は東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称されますが、近世以前の神仏習合の時代はこれらを総称して「日光山」と呼ばれていました。

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日光といえば「東照宮」が有名ですが、東照宮は徳川家康を「東照大権現」という「神」として祀る神社であるように、江戸時代に入ってからの創建となります。
輪王寺は奈良時代に山岳信仰の社寺として創建されたもので、東照宮よりはるかに長い歴史をもっています。

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ところで、輪王寺に属する建物も日光のあちこちに散見されます。
神橋を渡って本宮神社を奥に進むと、「四本龍寺」(しほんりゅうじ)と書かれた案内板がありました。
正式には「四本龍寺跡」と言うべきかもしれませんが、当院自体は既に存在せず、「幻の寺院」となっています。

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今はそこには、観音堂と三重塔が残っているばかり。

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この四本龍寺は日光で最初に開かれた地とされ、現在の日光山の発祥地とされています。

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伝承によると、日光開山の祖「勝道上人」が草庵で千手観音を礼拝していたとき、石のそばから四本の紫色の煙が立ちあがり、やがてそれが「龍の形」になって二荒山の方へたなびくと言う「瑞祥」(ずいしょう/吉兆)」を見たのだそうです。

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これにより上人は、この地が天を司る「青龍・朱雀・白虎・玄武」の「四神・宿星が守護する霊地」と悟り、「紫雲立寺」(しうんりゅうじ)と名付けて寺を建立しました。
それがのちに四本龍寺へと呼ばれるようになった所以としています。

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また少し歩いたところに「児玉堂」と言う社がありました。
弘仁11年(820年)弘法大師空海が滝尾にて修行をしていると、池の中から大小二つの白玉が出てきたので、「小の玉」を虚空蔵菩薩の本尊として堂を建てて祀ったのが児玉堂の起源だそうです。
大きい白玉は妙見菩薩の本尊として中禅寺の妙見堂に祀られましたが、明治の天災で失われたと云うことです。

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東照宮の境内にある薬師堂も輪王寺に属しています。
そこは名前の通り、薬師如来を祀っているのですが、当院を有名にしているのは天井いっぱいに描かれた「鳴龍」です。

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撮影・録音は禁止となっていますので、ポスターを撮ってみました。
狩野派の「狩野永真安信」(かのうえいしんやすのぶ)によって描かれたという龍の顔の下で拍子を打つと、鈴を転がしているような音が共鳴し、龍の鳴き声に聞こえるため、「鳴き龍」または「鈴鳴龍」と呼ばれいます。
拍子を鳴らす場所が龍の顔から離れてしまうと、音が全く共鳴しないという不思議。
これは明治38年(1905年)ごろに、掃除をしていた職員が天井に住みついた鳩を追い出すために手を叩いたところ、偶然に発見されたものなのだそうです。
薬師堂は昭和36年(1961年)、火災で焼失してしまったため龍も焼けてしまい、現在の鳴き龍は日本画の巨匠「堅山南風」(かたやまなんぷう)氏によって復元されたものです。
また「鈴鳴龍守」の鈴は穴が空いてなく、「運が逃げない」龍の鳴き声のような上品な音のお守りです。

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次はずっと離れて、二荒山神社のお隣へとやってきました。

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「大猷院」(たいゆういん)です。

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大猷院とは、江戸幕府の3代目将軍「徳川家光」公が、死後に後光明天皇より、下賜された「法号」になります。

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つまり大猷院は、家光公の墓所となります。

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慶安4年(1651年)、病弱であった家光は、30歳を前にしてこの世を去りました。
「私が死した後は、東照権現にお仕えしよう」
家光の遺言を元に、大猷院は建設されました。

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手水舎を曲がると、階段の上に立派な門が見えます。

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「二天門」です。

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表には持国天と

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増長天、

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裏には風神と

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雷神が置かれています。
二天門は家光公を、鬼門の方角から守るために建立されたようです。

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さらに階段を昇っていくと、

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天界のような景色がありました。

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巨大な鐘楼と

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鼓楼の先に見えているのは、

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「夜叉門」(やしゃもん)です。
「毘陀羅」(びだら)、「阿跋摩羅」(あばつまら)、「烏摩勒伽」(うまろきゃ)、「犍陀羅」(けんだら)の四夜叉が霊廟(れいびょう)を守護しています。

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夜叉門を過ぎると、その先に見えるのが「金閣殿」です。

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大猷院を建立したのは家光の長男、4代目将軍「徳川家綱」になります。
しかし、家光は若くしてこの世を去ったため、この時家綱はわずか11歳でした。

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なので大猷院建設を実際に監督したのは、家光の懐刀「酒井忠勝」だったと云われています。

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家康公(東照宮)を凌いではならない、という家光公の遺言があったので、忠勝は大猷院を金と黒を基調とした重厚かつ落ち着いた造りに仕上げました。

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この金閣殿の横奥に、大猷院真の聖地、家光公が眠る墓所「奥之院」があるのですが、その前に建っているのが

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「皇嘉門」(こうかもん)です。
皇嘉門は中国・明朝時代の建築様式である「竜宮造り」を取り入れた形から、「龍宮門」とも呼ばれます。

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ここから先、足を踏み入れることはできませんが、皇嘉門の前に立っているだけで、畏れ多い気持ちになってきます。
家光公の眠る墓所は、東照宮の方角(家康公霊廟)を向いており、公の偉大なる祖父への敬意と、威厳を残して佇んでいるのでした。

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5件のコメント 追加

  1. BallesWorld より:

    Beautiful picture 👍🤩

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      I was able to meet beautiful scenery with sudden snow!

      いいね: 1人

      1. BallesWorld より:

        🤗🤗🤗🤗🤗

        いいね: 1人

  2. asesorlegal 999 より:

    かれこれ十数年行っていないので、始めての様な感覚を憶えました。私も近いうち行きたいと思いますが、忙しいのですよね…笑

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      日光は東照宮以外にも見るところが多くて驚きました。
      一通り見て回ったつもりですが、近くに住んでいたらもっと深いところまで行けるのでしょうね。
      僕は休みは無理矢理でも遊んで、それを糧に仕事する感じです!

      いいね: 1人

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