酒列磯前神社:八雲ニ散ル花 東ノ国篇14

投稿日:

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茨城県ひたちなか市の「酒列磯前神社」(さかつらいそさきじんじゃ)を訪ねました。

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先の「大洗磯前神社」と二社でひとつとされ、海岸沿いに7kmほど離れた位置に鎮座します。

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約300mの長い参道は社叢のトンネルになっていて、一部工事中ではありましたが、とても気持ちが良い。

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群生するヤブツバキやタブノキ、スダジイ、ヒサカキなどの中には、樹齢300年超の古木もあり、紡いできた命の重みを感じさせます。

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当社の創建は「大洗磯前神社と二社でひとつ」とあるように、磯前神社と同じ内容です。

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御祭神は「少彦名命」で、配祀神が「大名持命」。
大洗磯前神社とは反対の配置です。

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当社は建久2年(1191年)、源頼朝が神馬30頭および神領地を寄進、社殿の修繕を行いました。

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元弘2年(1332年)には常陸守護「佐竹貞義」も御神田を寄進し、社殿の修理を行っています。
その後も常陸江戸氏により、崇敬・保護を受けていた当社ですが、度重なる戦乱の影響もあり、一時急激に衰退します。

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これを憂いた水戸藩2代藩主「徳川光圀」公は、大洗と酒列両社の再興に着手しました。
さらに光圀の遺志を継いだ3代「綱條」により新たな社殿の造営および境内整備が行われ、現在の形が整いました。

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境内社が並ぶ横には、「水戸斉昭公お腰かけの石」というものがあります。

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これは寛文7年(1667年)から昭和4年(1929年)まで行われていた、神輿渡御と競馬神事による「ヤンサマチ」という祭りを訪れた、代々の水戸藩主が腰掛けたという石を移してきたものと伝わります。

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大洗磯前神社とはまた違った、威厳ある社殿。

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本殿の屋根は銅葺となっています。

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拝殿唐破風部分にある「リスとブドウ」の彫刻は左甚五郎作と云われています。

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ところで、境内にちょこんと鎮座する神亀像は、宝くじの高額当選者が奉納したものだそうです。

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地元の噂では、この亀をさすってから、ジョイフル本田ニューポートひたちなか店で宝くじを買うと、当たるのだそうです。
その宝くじ売り場では1億円以上が15本も当たったのだとかどうとか。

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はてさて真相はいかに。

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一の鳥居を出たところに、「比観亭跡」という案内板があります。

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その藪みたいな中を抜けると、

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この絶景。

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寛政3年(1791年)に水戸藩第6代藩主「徳川治保」が酒列磯前神社を訪れた際、白砂青松の大洋の景観に感動し、東屋「比観亭」をここに建てたと云われています。

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今は埋め立てられ漁港となっていますが、

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その少し先には「酒列」の地名の由来となった、奇岩の海岸がありました。

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ゴツゴツとした岩場では、近所の子供達が遊んでいます。

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祭神のオオナモチ・スクナヒコは、古代出雲王国の主王と副王のことです。

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その二人が降り立ったという常陸の海はやはり、出雲王家に縁深い一族がたどり着き、開拓した土地なのだと思われます。

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3件のコメント 追加

  1. 生きる塾 より:

    ここも浦安抜けて?? 笑

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      この2社は先日の日光ルートで立ち寄りました。
      さすがに浦安からは遠いですね。
      まあ、日光からもたいがい遠いですが 笑

      いいね: 1人

      1. 生きる塾 より:

        あー!!
        そっかですね。笑
        確かに。笑

        いいね: 1人

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