大甕倭文神社:八雲ニ散ル花 東ノ国篇15

投稿日:

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時に二神にして曰く「天に惡神あり、その名は天津甕星、亦の名を天香香背男という。」

ー 日本書紀 巻第二 神代下

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“八雲ニ散ル花 東ノ国篇”最後の訪問地は「大甕倭文神社」(おおみかしずじんじゃ)となります。

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「おおみか」の名は、「甕星香々背男」(みかぼしのかがせお)と称する悪神を意味し、「しず」は、その悪神を成敗した「建葉槌」(たけはづち)を由来するものと思われます。

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当社の主祭神は、正義の倭文神「建葉槌命」となっています。

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が、この神社は初め大甕山にあったと云い、元禄2年(1689年)に徳川光圀の命によって、現境内にある「宿魂石」の上に遷宮したと伝えられます。
この遷宮は『日本書紀』にあるところの国譲り神話の記述に由来するもので、その内容は次のようになっています。

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「経津主神(ふつぬしのかみ)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)は、まつろわぬ神らをことごとく平定し、草木や石までも平らげたが、星神・香香背男だけは服従しなかった。
そこで倭文神(しとりがみ)建葉槌命を遣わし懐柔した。」

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また第二の一書では、天津神が経津主神と武甕槌神を、葦原中国平定に遣わす時、
「天(あめ)に悪しき神有り。名を天津甕星(あまつみかぼし)という。またの名は天香香背男(あまのかかせお)。まずこの神を誅(つみな)して後に下り、葦原中国を平定する」
と二神が申し上げたと記しています。

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叛逆の神「天津甕星」、またの名を「天香香背男」という神を平定したのは、当社の主祭神「建葉槌命」でした。
この建葉槌は「倭文神」(しとりのかみ)とも呼ばれ、織物の神と伝わります。
つまり秦族の神です。

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対する天津甕星は星神であり、「ミカ」は「厳」(いか)、天香香背男の「カガ」は「輝く」の意味を示し、すなわち金星を指すとも云われています。
星神信仰は、これもまた秦族の道教にに通じる神であり、津甕星は出雲の姫を娶り、出雲に恭順した秦氏(海部氏)の者だったと思われます。

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この辺りの考察に関しては、伯耆の「倭文神社」の項で私の意見を述べさせていただいております。

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さて、当社の境内には「宿魂石」(しゅくこんせき)という磐座があり、元禄2年に日本書紀に合わせて当社が遷宮されるまでは、当地の祭祀の対象は「甕星香々背男」(みかぼしかがせお)であったと思われます。

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その「宿魂石」は石というよりも、巨大な岩が積み重なったような岩山でした。

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社伝によると、「不服(うべな)はぬ神・甕星香々背男が久慈郡大甕山の巨石に変じて、日ごと成長し天にもいたらんとする。武神・武葉槌命が岩に姿を変えた甕星香々背男を金の沓で蹴り上げると、岩は砕散った」としています。

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宿魂石は登ることができるようになっています。

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出雲に恭順した秦族・甕星は、出雲の地を拠点にしていたと思われます。
ところが東国三社に国譲りの主要な神が祀られるようになったため、日本書紀に合わせた由緒が当社に設定されたという可能性は濃厚です。

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しかし天津甕星・天香々背男というレアな神が、東関東ではあちこちで祀られているところを見ると、甕星の子孫が当地を開拓し、勢力を有していた可能性が見えてきます。

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当地は古代における交通の起点として、奥州に通ずる街道の要衝の地であったと、当社のしおりに記されています。
蝦夷・東国制圧を掲げる物部・大和王朝にとって甕星族は、真っ先に封じ込めねばならない者だったのです。

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鎖場はあるものの、思いのほか楽に登頂できました。

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そこに鎮座する大甕倭文神社本殿。

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宿魂石を踏みつけるように、睨みつけるように鎮座しています。

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宿魂石を降りていくと、

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一社だけ離れて、立派な境内社が鎮座していました。

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そこに祀られていたのはなんと、封じられたまつろわぬ神・甕星香々背男です。

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彼は海を渡り、たどり着いた出雲の地で妻を娶りました。
彼はおおらかで懐の深い出雲王国に傾倒し、子孫も出雲王国を守る側に付いたのでしょう。

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国譲りに最後まで抵抗した一族の聖地には、出雲の幸神がひっそりと祀られていました。

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3件のコメント 追加

  1. 生きる塾 より:

    そうなのですよね!!
    結構近いんですけどねー…時間が…なかなか!笑

    いいね

  2. 生きる塾 より:

    “大甕倭文神社”
    ここへは是非とも行きたいと考えておりました。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      磐座の祀り方が、独特ですね。
      泉神社と近いので、セットで参拝できます。

      いいね: 1人

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