時は奈良時代、順風に帆を揚げ、大和に向けて海原を進む遣唐使船で、真備は困り果てていた。
彼の前には16歳ばかりになる、目に涙を溜めた美しい少女が座っていた。
「何ゆえそなたは儂の船に乗っておるのだ」
しばらく押し黙っていた彼女であったが、ついに涙を流しながら話し始めた。
「私は、若藻と申します。どうしても大和の国に行きたくて、真備様の船に隠れ忍んでおりました。もし、乗船をお許しいただけないのなら、海底に身を没め鯨の餌となります」
そう言うと、若藻はさらに激しく泣き始めた。
真備はいぶかしく思いつつも、痩せ弱った美しい少女が不憫に感じられた。
「よい、わかった。そのままというわけにもいかぬだろう、部屋を用意させるゆえ、そちらへ移りなさい」
若藻は涙で濡れた顔のまま、嬉しそうに何度も真備に頭を下げた。
真備もまあ、悪い気はしなかった。
それからいうもの真備はたびたび若藻を気にかけ、若藻も気を許したように何気ないことをよく話した。
よい天気が続き、追風も十分であったので、船は早くも博多の津に届こうとしていた。
「ごらん若藻、あれが大和の博多の津よ」
真備は、先ほどまで若藻がいたはずの場所に振り返って声をかけた。
が、そこに若藻の姿はなかった。
船が港に着くまでの間、真備は船員にも若藻を探させた。
しかし再び、その美しい姿を見ることはなかった。
真備は不思議に思いながらも筑前から帝都に向かう船に乗り換えることにした。
——
平安時代末期、目にすれば恋い焦がれて死ぬとまで言われる絶世の美女がいた。
名を「玉藻前」と言った。
可憐で美しく、どこか影のある、そんな雰囲気も周囲を魅了した。
これを聞いた鳥羽上皇は、玉藻前を出仕させ、すぐに深く寵愛するようになった。
しかししばらく経った後、上皇の顔色は青白く、眼は虚ろ、落ち着きを無くし、臣下の意見も聞き入れない有様となっていた。
しまいには床から起き上がることさえできない。
「これはいかなる事か」
心配した家臣達は、密かに陰陽師「安倍泰成」に相談した。
「上皇様は悪しき物に憑かれておりまする。疾く憑き物を落とさねば、手遅れになりましょう」
安倍泰成はすぐに原因を玉藻前の仕業と見抜いた。
陰陽師・安倍泰成は一同に向かって、驚くべき話を語りだした。
「玉藻前は中国古代王朝殷の時代から世にある妖・九尾の狐にございます。
殷の最後の王『紂』の后『妲己』は、その正体が齢千年を経た九尾の狐でありました。
九尾は王の妾であった寿羊という娘を食い殺し、その身体を乗っ取って妲己と称し、王を惑わせたのです。
王と妲己は酒池肉林にふけり、無実の人々を炮烙の刑にかけ、暴政の限りを尽くしました。
これを聞いた周の武王は、軍を用いて妲己を捕らえ、処刑を命じました。
ところが処刑場では、妲己の妖術によって処刑人が魅せられ、ことを成し得なくなったといいます。
太公望が照魔鏡を取り出し、妲己にかざすと、九尾は正体を現し逃亡しようとしました。
そこで太公望が宝剣を投げつけると、九尾は体を三つに分け、飛散し消えたのです。
その後、九尾の狐は、天竺の摩竭陀(まがだ)国の王子、『斑足太子』(はんぞくたいし)の妃『華陽』夫人として再び世に現れたと記されております。
ここでも九尾は、王子へ千人の首をはねるようにそそのかし、暴虐の限りを尽くしました。
この時夫人を妖と見破ったのが耆婆(きば)という者でした。
耆婆は金鳳山中で入手した薬王樹の杖で夫人を打つと、たちまち九尾は正体を現し、北の空へ飛び去ったのです。
さらには周の第十二代の王、幽王の后『褒姒』も九尾の狐とされ、国を転覆させております。
以降九尾の狐の足取りは途絶えておりましたが、よもやここ、大和に至っていたとは思いませんでした。」
安倍泰成は上皇の一の家臣に玉藻前を呼び出させ、傍らに待機した。
玉藻前が姿を見せると、家臣らは一斉にとり抑え、すかさず安倍が真言を唱える。
それは「泰山府君」(たいざんふくん)の法と呼ばれるものであった。
霊障・悪霊を祓う強力な呪に苦しみだした玉藻前は、変身を解かれ、美しい娘の姿から白面金毛の九尾の狐の姿に変貌した。
玉藻前は白面をぞくりとするほどの恐ろしげな顔に歪ませ、宮中を脱走し、行方を眩ました。
そのようなことがあった後、那須野で婦女子が攫われるという事件が頻発するようになる。
強力な法力で弱った妖力を、蓄えんとする玉藻前の仕業だった。
正気を取り戻した鳥羽上皇は、那須野領主須藤権守貞信の要請に応え討伐軍を編成、三浦介義明、千葉介常胤、上総介広常を将軍に、陰陽師・安部泰成を軍師に任命し、軍勢を那須野へと派遣した。
那須野で白面金毛九尾の狐と化した玉藻前を前に、討伐軍はすぐさま攻撃を仕掛けた。
が、九尾の狐の妖力は凄まじく、多くの兵・戦力を失い、一時撤退に追い込まれるも奮闘の末、討伐軍は次第に九尾の狐を追い込んでいった。
ある夜、領主の貞信の夢に美しい娘が現れ、許しを願った。
目覚めた貞信は、これは九尾が弱っていると読み、最後の攻勢に出るよう伝えた。
三浦介が念仏を唱え放った二つの矢は九尾の脇腹と首筋を貫き、すかさず上総介が長刀で斬りつけた。
これに白面金毛九尾の狐は毒を吐き、ついには息絶えたのだった。
——
その後、九尾の狐は巨大な毒石に変化し、死して後も近づく人間や動物等の全ての命を奪っていった。
そのため村人はこの毒石を「殺生石」と呼ぶようになる。
殺生石は鳥羽上皇の死後も存在し、周囲の村人たちを恐れさせた。
それを聞きつけた多くの高僧が鎮魂のためにやって来るのだが、殺生石の放つ毒気は強力で、僧らも次々と倒れた。
時は南北朝時代、会津の元現寺を開いた「玄翁和尚」(げんのうおしょう)が那須野を訪ねてきた。
和尚は霊力を込めた渾身の気を一気にに殺生石へ向かって放つ。
するとこれに耐えきれず、巨大な石はひび割れ、一部は破壊し、各地へと飛散したといわれている。
殺生石は今も那須野にあり、その力を弱めたとは言いながらも小さな生き物の命を食らい続け、復活の日のために眠り続けている。
「殺生石」(せっしょうせき)を見るために、栃木県那須町の那須湯本温泉へ向かいました。
泊まった宿は殺生石にほど近い、おじいさん一人がやってある小さな民宿。
こたつのある部屋に通されたのは初めてかも。
風呂は近くの共同風呂へ。
ここの湯は630年、飛鳥時代に発見されたという「鹿の湯」を源泉としています。
第34代舒明天皇の時代、狩野三郎行広が弓で射た大白鹿を追っていたところ、温泉に浸かり傷を癒す鹿を発見したのが由来としていますが、その源泉はまさに殺生石がある場所に位置しています。
殺生石の横に鎮座する「那須温泉神社」(なすゆぜんじんじゃ)を先に参拝します。
その参道横にはやはり鹿の湯を源泉とする足湯「こんばいろの湯」があります。
宿のおじさんがお話ししてくれましたが、その小さな宿にも毎年数人、足を悪くした人が湯治に訪れるそうです。
杖をついた人、足を引きずった人、歩けず抱きかかえられてくる人。
しかし数日の湯治を終える頃には皆、自分の足で歩いて帰るのだそうです。
先日も忘れ物をしたと言うお客が戻って見えたのですが、その客はおもむろに下駄箱の方へ行き、杖を手にして帰ったということです。
僕も宿泊中に20分ほど湯に浸かったのですが、それから部屋に戻ると顔から全身が火照って、思いっきり湯あたりしました。
殺生石のパワーが溶け込んだ鹿の湯、半端ない効用です。
4月初旬の那須高原は、ご覧の雪景色。
狩野三郎行広が、矢傷を負わせた白い鹿を追いかけていくと、白髪の老人と出会いました。
この翁は自らを「温泉の神」であると名乗ります。
翁が語るところによると、今その鹿が温泉で傷をいやしていて、この温泉には万病を治す力があるといいます。
最後に、そのことを皆に伝え、万民の病苦を救うようにと行広に言付けると翁の姿は消えてしまいました。
行広がその後すぐに温泉を発見し、そこに神社を建立して崇敬したのが当社の創建であると伝えられます。
参道を歩いていると、左手に愛宕社が見えました。
その石段の入口にある「愛宕福神水」は、神社から湧き出る霊水として親しまれています。
お水取りをする場合は、初穂料をおさめる必要があります。
それにしても、この階段を登るべきか。
雪で滑りやすくなった階段を、一歩ずつ注意しながら登ります。
苦労して登り終えた先には、
小屋の中に社が祀られています。
さて、降りはどうしたものか。。
苦労しつつ、なんとか階段を降りてきました。
水琴窟という手水は完全に凍っています。
もちろん涼やかな音色を聴くことはできません。
さらに参道を進むと、
慰霊碑や、
祖霊社もあります。
やがて見えてきた三の鳥居、
そこには「那須与一宗隆奉献」の文字。
そう、『平家物語』の屋島の合戦で、扇を射抜いた「那須与一」です。
「那須温泉大明神、願わくはあの扇の真中射させて給え」
「那須」の豪族那須太郎資隆の十一男だった与一は、源平の合戦に出陣する前に当社に戦勝祈願を行いました。
屋島の合戦で名声をあげた与一は、源頼朝から20万石をいただき、お礼として当社に大社殿、鏑矢、蟇目矢、征矢、桧扇、そしてこの三番目の鳥居を奉納しました。
この鳥居の横にある御神木。
ミズナラの大木で樹齢は約800年。
『生きる』という名前がつけられ、多くの人に元気と勇気を分け与えています。
参道沿いには数々の境内社が祀られています。
長い歴史の中で、数々の有名人もこの山中の神社を参拝しています。
かの「松尾芭蕉」もそのひとり。
社殿の手前には芭蕉の句碑があり、「湯をむすぶ誓も同じ石清水」と刻まれています。
弟子の河合曾良の随行日記によると、1689年4月、『奥の細道』の旅の途中、殺生石見物を思い立った芭蕉らは、まずこの温泉神社にに立ち寄ったと記します。
当社は京都の石清水八幡宮が合祀されているので、ここの岩清水をすくえば両参りしたことになる、これは湯が結ぶ縁だ、という一文が附されています。
拝殿が見えてきました。
拝殿前には、数本の五葉松が植えられています。
中でも向かって左側の五葉松は、栃木名木百選にも選ばれている、樹高約9m、周囲1.72m、推定樹齢400年以上の名木です。
五葉松は那須町の「町の木」にも指定されています。
龍神の手水舎。
那須温泉神社の祭神は「大己貴命」「少彦名命」「誉田別命」。
温泉の験もあり、病気平癒・身体健全などのご利益があるとされます。
そのほか境内には、昭和天皇お手植えの松、
御歌碑、
今上天皇行啓記念碑などが立ち並びます。
古からの宮家との繋がりも感じる清き聖地。
その本殿横には稲荷社があります。
その名もまさに「九尾稲荷神社」。
雪積もる狛狐はどこか愛らしく見えます。
しかしその先に祀られるのは明記こそされていませんが、「玉藻前」(たまものまえ)で間違い無いでしょう。
狛狐の尾も、よく見れば九つに分かれています。
鳥羽上皇が寵愛した美しき女性、その正体は大妖怪、九尾の狐でした。
九尾稲荷神社の横から谷あいを望むと、殺生石園地の全景が見渡せました。
ここからダイレクトに殺生石へ向かうこともできますが、少々もどって園地入り口から進みたいと思います。
約300mに渡って広がる殺生石園地。
そこには荒涼とした風景がありました。
正体を見破られた玉藻前は九尾の姿に変貌し、この那須高原へと逃げました。
そしてこの地で婦女子を喰らい、来るべき決戦に備えたのです。
歩進めると、「盲蛇石」(もうじゃいし・めくらへびいし)という岩があります。
昔、五左衛門という男が長くきびしい冬を越すために山に薪を採りに行くと、体長2mはあろうかという大蛇に出会いました。
その目は白く濁り、盲目の蛇でした。
これでは厳しい冬を越せないだろうと思った五左衛門は、蛇のためにススキと小枝で小屋を作ってあげました。
翌春、小屋を再び訪れた五左衛門は、大蛇の姿をさがしますが、どこにも見当たりません。
かわりにそこには、きらきらと輝く湯の花がありました。
その後、湯の花のつくり方は村中に広まり、村人は盲蛇への感謝の気持込めて、蛇の首に似たこの石を盲蛇石と名付け、大切にしたのだそうです。
盲蛇石の横には、湯の花採取場跡がいくつも並んでいました。
さらに足を進めると、無数の地蔵が並んだ、異様な光景に出会います。
その数は今も年々、奉納により増えているという千体地蔵群。
その眼の先には、
草木一つ生えない、賽の河原が広がります。
「鳥獣がこれに近づけばその命を奪う、殺生の石」
と、死してなお毒を吐き続ける九尾の石は、辺りを死の世界に変えたのです。
観光客が多く訪れる観光名所となっている園地ではありますが、付近一帯には硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒火山ガスがたえず噴出しており、ガスの噴出量が多い時は立ち入りが規制されることもあります。
硫化水素ガスは酸素より比重が重いので、地表近くに溜まる傾向があります。
小さなお子さんや犬連れの場合は、抱きかかえて散策した方が無難だとか。
そうこうしているうちに、木道は山の斜面に突き当たります。
そこにあるのが殺生石。
鳥も飛ぶことを許さない殺生石、その風貌には、確かに異様な存在感があります。
石に成り果てた九尾の狐は、その後も強力な毒を吐き続けました。
至徳2年(1385年)、当地を訪れた玄翁和尚によって、この凶悪な石は打ち砕かれ、そのかけらは日本中に飛散したといいます。
玄翁によって砕かれた殺生石が飛来したと伝えられる地は美作国高田、越後国高田、安芸国高田、豊後国高田と云われていて、高田という地名が共通点となっています。
また、飛騨に散った破片が牛蒡種(ごぼうだね)に、四国に飛来したものが犬神に、上野国(群馬県)に飛来したものがオサキにと、様々な悪霊や妖怪になったとも云われます。
「殺生石は温泉の出づゆ山影にあり。石の毒気いまだ滅びず、蜂、蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほど重なり死す」
俳人「松尾芭蕉」とその弟子「曽良」もこの殺生石を訪れました。
「石の香や夏草赤く露暑し」
芭蕉らも、広がる死の世界に驚愕したようです。
九尾の狐伝説では、傾国の美女の正体として語り継がれます。
その中の有名な一人が「妲己」(だっき)。
紂王の寵愛を受けると、酒をそそいで池とし、肉を掛けて林とし、男女を裸にして互いに追いかけさせ、長夜の飲をなしたという「酒池肉林」の語源になった驕慢(きょうまん)な生活を送ったことで知られます。
また、猛火の上に多量の油を塗った銅製の丸太を渡し、罪人に裸足で渡らせ、渡りきれば免罪、釈放するという「炮烙の刑」(ほうろく・ほうらくのけい)を考案しています。
これは、焼けた丸太を必死の形相で渡るが、油で滑って転落しそうになり、丸太にしがみつき、熱くてたまらず、ついには耐え切れずに猛火へ落ちて焼け死んでしまう罪人の様を、紂王と妲己は笑い転げながら観たという見世物としての処刑でした。
これに紂王の叔父・比干が「先王の典法をおさめずに、婦人の言を用いていれば、禍のいたる日も近いでしょう」と諫めると、妲己は「聖人の心臓に七つの穴があると私は聞いております」と答え、比干の心臓を取り出させて観賞したと云います。
妲己の最後は武王によって首を斬られ、「紂を亡ぼす者はこの女なり」と小白旗に掛けられたそうです。
壮絶な話ではありますが、争いで勝った「周」側が作った歴史ということで、実在性は賛否分かれています。
日本へは、吉備真備の乗る遣唐使船で少女の姿でやってきたとされ、「玉藻前」として悪事の限りを尽くします。
もちろん日本での玉藻前、「白面金毛九尾の狐」の伝説は創作であり、史書の『神明鏡』、御伽草子の『玉藻の草子』、能の『殺生石』などで語られる物語です。
しかし玉藻前のモデルになった人物はいるようで、それは鳥羽上皇に寵愛された皇后美福門院(藤原得子)と言われています。
名門出身でもない彼女は皇后にまで成り上がり、自分の子や猶子を帝位につけるよう画策し、「保元の乱」を引き起こした史実が下敷きになっていると云うことです。
欲深い、美しい女ほど怖いものはないという教訓を「玉藻前」は伝えているのでしょうか。
まあ、そんな女に騙されてみたいという気持ちも、わからなくはないのですが。。
この場所は壮観です!
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Immediately after the death, the nine-tailed fox transformed herself into a huge poisonous rock to kill humans and animals that came nearby.
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What you write Mr Todoroki, is very beautiful and interesting! My son knows the story of the nine-tailed fox!!!!! For me it’s great to see all those wonderful photos that you publish. I would like to know well the country where my son will come to study and live. Thanks so much!!!
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Thank you!
Introduces my favorite Japanese history and tradition, and beautiful nature.
I am sorry that there are a lot of difficult Japanese, but please ask questions if you do not understand.
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I don’t know the Japanese language, but my son has been studying it for 6 years and he knows it very well. Thank you very much, if I don’t understand I will certainly ask you Mr. Todoroki
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It is a wonderful your son!
Japanese is an esoteric word even for Japanese.
I also have to study English!
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I don’t even know English! 😅 my son has a passion for Japan since he was 8 years old. Now he is 17 now and studies computer science and after school studies japanese language. He has a dream: coming in Japan to study! 😁
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Wow! please come to Japan.
We welcome your son!
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CHIRICO様
宿の爺さん、教えてくれなかったのですね!笑笑
すげ〜あち〜ですよね。笑笑
実は、私も同じことしました爆笑🤣
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笑!
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CHIRICO様
こんばいろの湯に浸かったのですね!笑
道路に50と記されている国道50号線は、私が住む街へと続く道です。
私が訪れたのは、かれこれ15年以上前になりますか…
“ 殺生石 ” やはり未だ凄いですね。
私は、どんなに美しくとも、狐はご勘弁こうむります。笑
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こんばいろの湯は、何も知らず足を突っ込むと、あまりの暑さに飛び跳ねました(笑)
ちゃんと水でぬるめてくださいって書いてありました。
殺生石、凄いですね。
雪景色と相まって、まるでこの世とは思えませんでした。
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