彌彦神社:八雲ニ散ル花 蝦夷ノ王篇 番外

投稿日:

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新潟県西蒲原郡の弥彦村にある越後国一宮「彌彦神社」(いやひこじんじゃ)を訪ねました。
ミステリアスな当社の秘密を探ってみたいと思います。

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矢作駅近くに一際目立つ、朱色の大鳥居が立っています。
昭和57年(1982年)の建立で高さ30m、建立当時は日本一でした。

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その背後にはなだらかな傾斜が美しい、彌彦神社の神体山「弥彦山」(やひこやま)が聳えます。

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弥彦山麓の彌彦神社表参道にやってきました。

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こちらの鳥居が、一の鳥居になります。

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高さ約8.4m、稚児柱支え建てのこの鳥居をよく見てみると、

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真ん中の親柱が地に着かず、6cmほどの浮いて見えます。

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これは雪による浸食を防ぐためのものであり、豪雪地帯ならではの工夫です。

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一の鳥居から少し参道を歩き進めると、御手洗川(みたらしがわ)が横切るように流れています。
参道に流れる小川は禊場の役割を果たしていますが、実際に川に降りられるよう階段が設けられていました。

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御手洗川の川上を見ると、赤い橋が架かっています。

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これは「玉の橋」(たまのはし)と呼ばれる御神橋(ごしんきょう)で、“神様の渡る神聖な橋”として造られ、人は決して渡ることはできません。

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参道は鬱蒼とした社叢が取り囲み、

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マイナスイオンに満ちています。

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心地よい道をのんびり歩いていきます。

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境内には様々な種類の鶏を飼育する鶏舎や、

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広々とした鹿苑もありました。

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札所前の広場に出ました。

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少し奥まったところに「火の玉石」があります。
石を持ち上げて、軽く感じれば「成就」、重ければ「むずかしい」というやつです。

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井戸のようなものの奥には、

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石油蒸留釜が展示されています。
この釜は明治17年(1884年)頃、新潟出身の田代虎次郎により考案された「二十石蒸留釜」と呼ばれるわが国最初の石油精製装置だそうです。
当社は石油産業の守護神であるとも伝えられています。

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天に逆立てたフォークのような「御神木」は、社伝によれば祭神が携えた杖を地にさし「この地方が私の永住するにふさわしい所なら、根を生じ芽を出し繁茂するであろう」と言い、その言葉どおり見事に生育されたものと伝えられます。

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これより先は、さらに神気が濃くなっています。

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ここで忘れず、手口を清めておきたいもの。

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小高い杜の木が林立し、ぐっと霊圧を感じます。

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神馬舎の裏手には、謎の祠が。

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さらに進むと厳かな雰囲気の摂社・末社群があります。

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摂社は彌彦神社の神様の子孫を祀った神社、末社はそれ以外の神様を祀った神社です。

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「武呉神社」(たけくれじんじゃ)祭神:第1嗣 天五田根命(あめのいつたねのみこと)
「草薙神社」(くさなぎじんじゃ)祭神:第3嗣 天戸国命(あめのとくにのみこと)
「今山神社」(いまやまじんじゃ)祭神:第4嗣 建筒草命(たけつつくさのみこと)

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「勝神社」(すぐるじんじゃ)祭神:第5嗣 建田背命(たけたせのみこと)

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「乙子神社」(おとごじんじゃ)祭神:第6嗣 建諸隅命(たけもろずみのみこと)
以上の摂社と、

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「二十二所社」(にじゅうにしょしゃ):近畿周辺の著名二十二ヶ所の大神を祀る
「八所神社」(はっしょじんじゃ):京都以東の著名八ヶ所の大神を祀る

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「十柱神社」(とはしらじんじゃ):大己貴神(おおなむちのかみ)と大地・水・山・海・土など国土の安全を守護する十柱の大神を祀る(国重要文化財)

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の末社からなります。 

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拝殿に続く最後の門「随神門」(ずいじんもん)の手前には、

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名工、酒井八右衛門作の狛犬が鎮座しますが、これらは平成10年9月に国の登録有形文化財に登録された名品です。

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神域に足を踏み込みます。
深い杜から解放された、スカッとした空間が広がります。

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越後平野西部、標高634mの「弥彦山」を神体山として祀る神社。
『万葉集』にも歌われる古社であり、武人からも崇敬され、「志田大太刀」(しだのおおたち、重要文化財)や、源義家や源義経、上杉謙信(輝虎)などに所縁と伝えられる武具などが社宝として奉納されています。

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宮中同様に鎮魂祭を行う神社として、石上神宮・物部神社と共に有名であり、二年参りや初詣、秋の菊まつりは特に多くの人で賑わいます。

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祭神は「天香山命」 (アメノカゴヤマノミコト)。
「天香語山命」「伊夜日古大神(伊夜比古大神、伊夜彦大神)」などとも称されます。
参拝は「2礼4拍手1礼」で行う特殊な形式であり、当社の他には出雲大社・宇佐神宮と、同じく謎多き神社で用いられています。

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当社は弥彦山頂にある奥の宮が「御神廟」にあたるとされており、山頂付近までロープウェイで登ることができます。
ではさっそく登拝してみたいと思います。

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本殿を左手に出ると、ロープウェイ乗り場までの無料シャトルバスが運行しています。

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ロープウェイは「うみひこ」「やまひこ」の2台で、15分間隔で運行しています。

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ネーミングは神話の「海幸彦」「山幸彦」がモチーフでしょう。

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ロープウェイにはガイドのお姉さんが1人付き、見下ろす景色を指しながら解説をしてくれます。

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駅を降りて、山頂にあるという彌彦神社奥宮「御神廟」を目指します。

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目指す先には無骨なNHKの電波塔多数。
もうちょっと場所を考えればいいのに、風情の分からぬ輩です。

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弥彦山ロープウェイ山頂駅から徒歩10分とは言いますが、なかなかの道のりです。
ひたすら登り道を行かなくてはなりません。

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御神廟に鎮まられるのは、彌彦神社の祭神と同じ「天香山命」、それと妃神「熟穂屋姫命」(ウマシホヤヒメノミコト)と云われています。
古代出雲王家の末裔「富家」の伝承によると、天香山は、渡来人「徐福」と出雲王「大国主」の娘「高照姫」の間に生まれたと云います。
そして穂屋姫は「徐福」と「市杵島姫」の間に生まれた娘であり、九州物部族の祖「彦火火出見」(彦穂屋出見)と兄弟になります。
つまり天香山は異母同父の妹と結婚したのでした。
そして二人の間に生まれるのが初代大和大王「天村雲」となります。

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また彌彦神社の祭神を天香山=「高倉下」(タカクラジ)であるとする考えもあります。
これは祭神を「大屋彦命」であると主張する説と同じことだと思われますが、高倉下とは天香山と最初の后、出雲王家アジスキタカヒコの娘「大屋姫」の間に生まれた息子でした。
大屋姫の息子だから大屋彦と呼ばれたのだと思われます。
そして大屋姫は、夫・天香山が穂屋姫を寵愛するので、大和を捨て息子の高倉下とともに紀伊国(和歌山)へ移住するのです。
つまり天香山=高倉下どころか、高倉下は父・天香山に恨みを抱いていた可能性さえあります。

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天香山は出雲の西部で生まれました。
彼の最初の名は「五十猛」(イソタケ)です。
やがて五十猛は、徐福とともに渡来した一族を引き連れて丹波(現丹後)の宮津に一大王国を築きます。
そこで彼は名を香語山と改めるのです。

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天香山らの一族は、宮津にあっては「海家」「海部家」と呼ばれ、大和に移っては「尾張家」と呼ばれました。
そこで疑問が起こるのですが、海部家や尾張家の祖神である天香山命が、何ゆえ越後に祀られるのか。
これはあまりに不自然なことなのです。

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身体中から汗を噴き出させ、最後の階段を登りきると、

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ようやくたどり着きました。
この先の丘に登ると、

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そこに御神廟があります。

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まるで小さな墳丘を祀ったかのような佇まい。
しかし後ろにはやはり、不恰好な電波塔が突き出ています。

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眼下の景色は最高です。

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新潟は本当に日本の穀倉地帯だということが分かります。

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当社の真の祭神が天香山ではないとしたら、一体誰なのか。

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それを、北陸の国造家高橋氏の祖神「大彦命」ではないかとする説があると云います。

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大彦は大和王朝8代「クニクル」大王(孝元天皇)と出雲系登美家の「クレアニ」姫の間に生まれた皇子で、又の名を「中曽大根彦」といいました。
彼は記紀に神武天皇の東征に最後まで抗った「長髄彦」(ナガスネヒコ)として描かれています。

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彼は出雲王家の血を引いていることに誇りを感じ、当時大和に勢力を伸ばしつつあった物部族を毛嫌いしていました。
大彦勢と物部勢は大和で、熾烈な争いを繰り広げましたが、結果大彦勢の方が劣勢となり、彼らは越国(新潟)へ退避することを余儀なくされました。

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大彦は長野市篠ノ井布施で亡くなり、そこで葬られていますので、当地が彼の御陵であることはあり得ません。
が、彼の子孫は新潟中に勢力を伸ばしていましたので、ここに祖神を祀ったということは、十分に考え得ることなのです。

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もう一度、御神廟をなんとがゴミが写らないように、アングルに苦心したものがこれです。
やはり聖地に、無骨な現代の人工物は野暮というものです。

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当社は元は「伊夜日子神社」と表記されたものが「彌彦神社」となり、今では「弥彦神社」と表記されることが多いです。
読みも「いやひこ」が正しいのですが、弥彦山など関連する地名が全て「やひこ」と読む関係で、「やひこじんじゃ」とも呼ばれるようになっています。

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伊夜日子大神は越国開拓の命をうけ、漁業・製塩・農耕・酒造等越後産業文化の礎を築いたと云います。
また「弥彦の神」が片目で「海を渡って野積の海岸に上陸し、越後を開拓した」との伝承があるそうです。
片目の神は蹈鞴(たたら)などによる製鉄に深く関連する神とされていて、製鉄と関連付けられる酒呑童子の生まれが弥彦山というのも意味深です。
支那秦国の血を引く物部族は、まつろわぬ敵を蔑称で「鬼」や「土蜘蛛」と呼んでいました。
物部・大和王朝にとって、越国に住まう輩は鬼だとレッテルを貼られていたのかもしれません。

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古代の蹈鞴の神となれば、それは出雲族の神であると説明づけることは可能かもしれません。
しかしその神が大彦であるか、といえば、それだけでは根拠に薄いように思います。
そもそも当地は天香山、大彦以前から、越国(こしのくに)として出雲と親交の深い国でした。
元来、弥彦山には出雲のクナトの神、もしくは製鉄の神が祀られていたのではないでしょうか。
それを後に祭神を変えるとなった時、大和の権勢に圧されて海家の天香山を祀ったのか、出雲好きな大彦を祀ったのかは定かではありません。

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山頂を下ってきて、ロープウェイ乗り場までやってきました。
そこは山頂公園になっています。

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ここへは弥彦山スカイラインからもアクセスできるようになっており、大展望のパノラマタワーや展望レストランなどが設営されています。

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遠く海原を見渡せば、金山(銀山)として有名な佐渡島がぽっかり浮かんでいました。

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4件のコメント 追加

  1. Come sempre post stupendo! Questa sera dopo il lavoro lo leggerò con calma! Grazie Chirico!

    いいね: 1人

  2. 生きる塾 より:

    そう云えば、新潟にはいつの間に行っていたのですか〜

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      このあいだの間です 笑

      いいね: 1人

      1. 生きる塾 より:

        しかし、タフですね〜笑

        いいね: 1人

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