湯神社(彌彦神社境外末社群):八雲ニ散ル花 蝦夷ノ王篇 番外

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謎に満ちた彌彦神社には、当社を取り巻くように境外末社が鎮座しています。
祭神とも関係深いとされる、それぞれの末社を訪ね歩きます。

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多くの神社の参道入口あたりには、穢れを祓う「祓戸社」というものが設けられています。

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彌彦神社では、境外末社として「祓戸神社」(はらえどじんじゃ)が鎮座しています。

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彌彦神社の境内すぐ脇の祓戸神社が鎮座する場所は、昔、弥彦への本街道入り口となっていた場所です。

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往時から彌彦神社境内全体を見回して、不浄な物の怪が入るのを防いだり、訪れる人の罪・けがれ・過ちを祓い除いていたと伝えられています。

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祓戸神社のある空間は、昼間も杜で覆われ薄暗く、今も異様な空気に包まれており、身が引き締まります。

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他の境外末社を訪ね歩いてみても、当社の畏怖感が最も強かったです。

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祓戸神社から近い、彌彦神社境内で気になるものを見つけました。

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なんじゃこら?

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綺麗にV字に割れた石があります。

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「石神」(しゃくじん)とあり、静岡から奉納されたもののようです。

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検索するも詳しい情報はなく、なぜ静岡から、この目立たない場所にひっそり奉納されたのか謎です。

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また割れ目にくぼみがあることから、意図的に割られた石であろうと想像できます。
何故割ったのか?
不思議です。

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彌彦神社一の鳥居の向かいには、ノスタルジックな商店街があります。

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そこにある「四季の宿 みのや」さんの敷地内に

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彌彦神社境外末社の「火の宮」があります。

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弥彦はたびたび大火に見舞われたため、火防(ひぶせ)の神として「迦具都知大神」(かぐつちのおおがみ)をお祀りしているそうです。
火事を防ぎ、鎮火を祈ることで人々の心の安定を求めたといわれます。

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火の宮から少し南下すると彌彦神社の境外末社の「住吉神社」が見えてきます。

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突然の水難からの加護を願って、住吉三神が祀られたと伝えられていますが、

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この社を覆うように立つ樹齢800年余、高さ30m、幹周り8mの老けやきがそびえています。

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この様子が、大蛸が足を8本広げたような枝振りから「たこけやき」と名づけられています。

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さらに南下したところに、「親鸞聖人清水」(しんらんしょうにんしみず)なるものがありました。

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親鸞聖人とは浄土真宗の開祖。
承元元年(1207年)に起こった承元の法難(じょうげんのほうなん)に伴い、35歳の時に流罪を言い渡され、都を追われて現在の新潟県直江津市に流されたと云います。

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親鸞が彌彦神社に参拝した折、当時の庄屋・林部四郎治宅に宿泊しました。
当時の弥彦村は水不足に悩まされており、宿泊先の老母がわざわざ付近の川まで行って水汲みしている姿を目にし、 これを憐れみます。

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そこで親鸞は、林部宅の裏の竹林へ行き、その一隅を持参した杖で突いて仏に念じると、やがて清水がこんこんと湧き出てきたと伝えられています。
その井戸がこの「聖人清水」ということ。

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「願わくば 都の空に墨染の 袖吹き返せ 椎の下風」

井戸は今は飲用できないそうですが、あたり一帯はえもいえぬ雰囲気に包まれていました。

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さて、彌彦神社の門前町をうろうろしていると、境外末社の「上諏訪神社」 (かみすわじんじゃ)にたどり着きました。

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巨木に囲まれた、小さな社殿が特徴的です。

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祭神は当然、出雲王国の猛る王、長野は諏訪王国の主「建御名方命」(たけみなかたのみこと)です。

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上諏訪があるということは、下諏訪があるということです。
このいかにも特別感のある扱いは、当祭神が古くから、当地に深く関わっていることを示唆しています。
タケミナカタは越国とも、非常に関係深い神であることは、これまでも述べてきました。

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さて散策していると、小腹がすいてきました。

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途中、もちもちの団子に甘辛いきんぴらの入った「きんぴら団子」を口にしていましたが、

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ここで本格的にランチをすることにしました。
「吉田屋」さんの「わっぱ飯」です。

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お刺身もついてゴージャス!

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わっぱ飯はせいろになっていて、いくらとシャケが乗った親子わっぱ飯になっていました。
美味でないはずがありません。

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と、吉田屋さんの女将さんとお話ししていると、この裏手に、しばらく歩くと特別な末社がある教えていただきました。
これは行くしかありません。

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入り口は公園でした。

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弥彦温泉の源泉所を通り過ぎ、

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灯篭に沿って歩いていくとトンネルがあります。

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トンネルというのは、どうも苦手です。

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アンティーク風の外灯に助けられ、トンネルと抜けると、

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観月橋という雅な橋を渡ります。

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この辺りはもみじ谷と呼ばれますが、目的の末社はここから20分歩くのだそう。

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登ります。

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弥彦山を垣間見つつ登ると、

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鳥居がありました。
そこに彫られている「湯神社」(ゆじんじゃ)というのが目的の場所。

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そこから再び歩きます。

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なだらかな坂を登ります。

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登ります。

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峠を越えたのか、今度は降り始めました。

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鳥居が見えました。

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湯神社にたどり着いたのでしょうか。

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いや、違いました。
なんの案内板もありませんが、これは「勝神社」(すぐるじんじゃ)といい、彌彦神社第六世の「建田背命」(タケダセ)の御廟だそうです。

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しかし何故、このようなところに意味ありげに祀っているのか。

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再び進んでいきます。

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延々と幟が続く中、

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連なる鳥居が現れます。

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手水代りの井戸がありました。

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晴天でもかなり薄暗い参道は、

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曇天であれば尚のこと不気味なことでしょう。

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ついに到着しました。

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もみじ谷から20分とありましたが、15分弱くらいで来れました。
たどり着いてびっくり。
湯神社には社務所があり、御朱印もいただけました。

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ビリビリと感じる神気。

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湯神社の祭神は「大己貴命」(オオナムチノミコト)と「少彦名命」(スクナヒコナノミコト)。
別名に「石薬師様」「石薬師大明神」とも呼ばれています。
この石薬師を「一尺」と誤釈したことから、「一尺の蛇の神」として当社を信仰する人も多く、卵が供えられることもあるのだとか。
拝殿と思しき場所には千羽鶴が納められ、神仏習合の名残か、鈴では無く鐘が設置されています。

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拝殿の奥には、小さな祠とともに巨石が鎮座しますが、案内板によれば、「猟師が霊泉を発見したことが契機になって創建に至った」とあります。
それは一千年の昔。
弥彦に権九郎という猟師が住んでいました。
ある年の秋の日、彼は一羽の山鳥めがけを矢を放ちましたが、矢は山鳥を傷付けただけで手負いのまま飛び去ってしまいました。
彼が山鳥を追っていくと、きれいな池に辿り着きます。
その池からは湯が湧いており、そこでは鳥獣たちが湯浴みをしていました。
それを見た権九郎は、驚き、自分も身に着けていた衣類を脱いで、静かに池に身を沈めます。
すると疲れがみるみる取れ、傷も瞬く間に回復していきました。
この湯の評判は村中に広まり、やがて「弥彦の霊泉」として村人たちは池の傍の大岩を背に神社を建立し、大穴牟延命と少彦名命の二神を祀ったと云うことです。

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なお、現在では湯の噴出が止まっており、霊泉の名残を留めるのみとなっているとのこと。
しかしながら、湯を祀ったというよりも、そこにある巨岩と虚になった穴が、大国主と事代主の非業の死を感じさせ、むしろこの岩を事情を知る出雲族が古くから祭り続けてきたのではないかという思いを抱きました。

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彌彦神社本殿の境外、ほぼ真東の位置に鎮座するのが「下諏訪神社」(しもすわじんじゃ)です。
東といえば太陽の昇る方向、そこに当社が位置します。

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祭神は上諏訪神社と同じ「建御名方命」。
駐車場脇の狭い敷地に佇む小社ですが、その存在を認識した途端、ただならぬ神気を感じないわけにはいきません。
彌彦神社の現在の祭神が「天香山」であろうと、「大彦」であろうと、それは後世のことであり、やはり越国である当地は古来、出雲王家の神を祀っていたのであろうということは想像に難くありません。
特にタケミナカタは出雲王家の偉大な副王「事代主」と越国の姫「沼川姫」の間に生まれた御子でした。
事代主が非業の死を遂げたのち、タケミナカタは母を連れて実家の越国糸魚川へ移住し、その後諏訪へと移られています。
タケミナカタと行動をともにした一族が、湯神社に事代主を、弥彦山にタケミナカタを祀ったと考えると、納得がいくのです。

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彌彦神社の境外末社群を訪ね歩きましたが、やはりこれといった確証もなく、富王家の伝承も彌彦神社については、その名を挙げて語ることはありません。

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最後に、彌彦神社の境外末社ではありませんが、素晴らしい大木があるというので足を伸ばしてみました。

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そこは松尾芭蕉も訪れたという宝光院(ほうこういん)の奥にありました。

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宝光院は建久6年(1196年)、源頼朝公の願いによって創建されたといわれる寺院です。

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奥の方へ歩いていきます。

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しばらくいくと階段があり、

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その先に、一際存在感を放って、それはありました。

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「婆々杉」(ばばすぎ)です。

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今から900年以上の昔、承暦3年(1079年)の話、彌彦神社造営の際、上梗式奉仕の日取りの前後について、鍛匠(鍛冶屋)「黒津弥三郎」と工匠(大工棟梁)が言い争いました。

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これに負けた弥三郎の母は無念のあまり、恨みの念が昂じて鬼となって、形相ものすごく雲に乗って飛び去りました。

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弥三郎の母は、佐渡の金北山・蒲原の古津・加賀の白山・越中の立山・信州の浅間山と、諸国を飛びまわり、悪行の限りをつくし、「弥彦の鬼婆」と世間で恐れられます。

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それから80年の歳月を経た保元元年(1156年)、高僧「典海大僧正」が弥彦の大杉の根元に横たわる一人の老婆を見つけ、悪行を改め、本来の善心に立ち返るよう説得し、「妙多羅天女」の称号を与えました。

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そうしたところ老婆はついに改心し、神仏・善人・子どもの守護に尽くしたということです。
村人はいつしかこの大杉を、「婆々杉」と呼ぶようになったのでした。

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9件のコメント 追加

  1. KYO より:

    今回も素敵な写真ばかりでしたね。
    毎回思うのですが、今回も書かれている通りの空気感が写真から滲み出ている感じがしました。
    このところ、石にまつわる場所がよく出てきているなーと思いながら拝見しています。
    古代関係の史跡を巡ると巨石などが出てくるのは常道ではありますが。
    奉納石の件が、ちょっと気になりました。
    ただ単に静岡在住の方が奉納したということもあるかもしれませんが、静岡と石神と言えば、東伊豆か牧之原あたりでしょうか。
    諏訪も御石神があるよなーと思っていたら、途中で登場したので、ちょっとびっくりしました😅。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      ありがとうございます。
      あの石については説明したサイトにもたどり着けず、気になっているところです。
      境内の随分端にあって、あえて人目につかないように置かれているのも気になります。
      ただ比較的最近設置されたような、真新しさもありました。
      東伊豆方面はちらっと訪れましたが、牧之原方面はこれから訪ねるリストにある場所です。
      貴重な情報ありがとうございます。
      諏訪のミシャグジ信仰も本当に謎に満ちていますね。

      いいね: 1人

  2. takeda takahiro より:

    自然溢れる神秘空間、ステキですね⤴︎

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      とても良いところでしたが、ちょっと気になる場所を見落としてきたみたいです。
      なのでまた行ってみようと思いますが、遠いな〜(笑)
      熊本もたくさん素敵な神秘空間がありますよね。
      上色見熊野神社などもゾクッとくるくらい素敵です。

      いいね: 1人

  3. 生きる塾 より:

    やはり、芭蕉が出て来るのですね〜〜

    いいね: 2人

    1. CHIRICO より:

      あちこちにありますね。

      いいね: 1人

  4. 生きる塾 より:

    何故、静岡から……
    不思議ですね。
    何故、Vに割られているのかも不思議です!
    氏が解らないことなら、ほぼ誰もわからんでしょう。笑

    いいね: 2人

    1. CHIRICO より:

      誰か教えてください(笑)

      いいね: 1人

      1. 生きる塾 より:

        私も是非知りたいですね〜

        いいね: 1人

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