飯盛山:さざえ堂

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白虎隊の少年らが、その若き命を散らせた飯盛山には、もうひとつ、摩訶不思議な名所があります。
そう、かの名高き「会津さざえ堂」です。

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「白虎隊十九士の墓」を下ってくると、「宇賀神堂」という御堂があります。
寛文年間に会津藩三代藩主「松平正容」が弁財天像を神像とし社殿を建立したことが始まりですが、「大橋知伸」と「田中治八」によって製作された飯盛山で自刃した白虎隊十九士の霊像が安置されている事で有名です。
話題となった御朱印も奥の売店でいただけますが、墨書きでなく印判でごめんなさいと丁寧に接していただきました。
クレームを言う輩の気が知れません。

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会津の古い人間は、今なお薩長の人間、特に山口の人に遺恨を抱き続けており、「山口の人間とは結婚を許さない」といった話まで聞かれます。
この「薩長にくし」はどこから生まれたのか。

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これは1863年幕末の頃、過激な攘夷論を掲げ、京都にて外国を追い払い不平等条約を破棄せよと、幕府に反旗を翻す長州藩兵を会津藩と薩摩藩で追放したことに始まります。
しかし1866年、薩摩藩は幕府を見限り、長州藩と同盟を結んで今度は幕府側の会津を攻撃したのです。

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中でも長州藩は、度々会津藩の攻撃を受け、また新選組などに同胞を殺された恨みも重なっていました。
慶喜があっさり降伏したことにより、憎悪の矛先は会津藩「松平容保」に向けられ、これを徹底的に攻撃、強行したのです。

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多くの死者を出した会津の人たちは、藩主・松平容保が助命されるも領地は没収、貧困の生活を強いられ、敗戦国としての惨めさを味わいます。
そして今度は、恨みを溜め込んだ元会津藩士が西南戦争で、戊辰戦争の仇を討たんと奮起し、政府軍の勝利に導いたのです。

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こうしてみてみると、人の恨みの愚かさを思わないわけにはいきません。
そしてまた、そうした人の負の感情を利用しようとする、時の政府や影の存在をどことなく感じてしまいます。
実は「白虎隊自決」の話も、太平洋戦争のころに広められたのだそうです。
これは15、16歳の少年が、会津のために自ら命を絶ったということを美談とすることで、『お国のために』命をささげる勇気を国民に与える意図があったということです。
これからの時代の私たちは、もっと冷静に情報を見極め、その背後にある意図にまで目を向けなければならないのかも知れません。

今回のこの話では、下記のサイトがとてもわかりやすく、参考とさせていただきました。

会津まつりナビ

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さて、宇賀神堂の隣にあるのが「会津さざえ堂」です。
螺旋構造の外観がサザエに似ていることからついた通称だと言いますが、正にその通り。
不思議な外観に目が錯覚を覚えます。

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さざえ堂は正式には「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)と呼ばれ、正宗寺(しょうそうじ)の僧「郁堂」(いくどう)が嘉慶元年(1796年)に建立したと伝えられます。
正宗寺は明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、さざえ堂は現在、奥にある御朱印どころでもあり、白虎隊の墓守で飯盛山を守り続ける「山主飯盛本店」さんの所有となっています。

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その外観は六角形三層、高さ16.5mの円柱状の堂となっており、まこと奇想天外です。

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会津さざえ堂の内部は二重螺旋の構造になっており、上りと下りの人がすれ違うことなく仏堂を巡れるように造られています。

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まるで歪んで建っているように見えるその二重らせん構造は、レオナルド・ダ・ヴィンチの設計とも伝えられるフランスの世界遺産「シャンボール城」内部の、二重螺旋階段の蘭書が元になったのではないかという説もあるようです。

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しかしその外観からは、僕はピサの斜塔を思い浮かべていました。

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この貴重な建造物の堂内は、僅かな料金で拝観させていただくことができます。

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実は江戸時代に、さざえ堂建立ののブームがあったそうで、他にもさざえ堂と呼ばれる建造物が、国内に数件あります。
しかし外観も内部も、これほど完成されたものは、この「旧正宗寺円通三匝堂」をおいて他にありません。

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内部には階段がなく、右回りに螺旋状のスロープを上ることになります。
堂内もまことに不思議なもので、建物全体が歪んで見え、平衡感覚を失います。

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かつてはこのスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるようになっていました。
つまり江戸時代にこのさざえ堂は、夢の聖地巡礼スポットだったわけです。
残念ながらその三十三観音像は、明治の神仏分離、廃仏毀釈で取り外されています。

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頂部に着くと太鼓橋があり、橋を渡ると今度は左回りの下り坂で背面の出口に出る仕組みになっています。

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さざえ堂の通路は、上りに1回転半、下りに1回転半の右回りに3回匝(めぐ)ることから、仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づき、三匝堂の名がつけられているのです。

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堂内に貼られた無数のお札は、当時の庶民の人気の高さを表しています。

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実は会津さざえ堂の内部は、明治の大修理で原型の多くを失っているのだそうです。
しかし記録と古材の柱などから、現在の形にかなり近いものであったと認められ、平成7年(1995年)に国の重要文化財に指定されています。

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ちょっと面白かったのは出口付近のらくがき。
さざえ堂内部にも、他の文化財にもれず、相変わらずくだらない、低脳な落書きが散見されたのですが、ここの落書きは一味違って豪快な墨書きが目立ちます。

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中には大正の日付が記されているものもあり、同じ落書きでも品の違いを感じさせられました。

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さざえ堂からさらに飯盛山を下ると、

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さざえ堂とともに廃仏毀釈を逃れた厳島神社が鎮座します。

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その池の奥を見ると、

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ひっそりと小さな洞穴が見えます。
これは「戸ノ口堰洞穴」と呼ばれるもの。

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飯盛山の山腹にあり、猪苗代湖から会津地方へ水を引く為に掘られた、長さ約150mの堰です。

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これは戸ノ口原の戦いで新政府軍に敗れた白虎隊の20名が若松城へ戻ろうとして、冷たい水の中、足をとられながらも進んだ洞穴であると伝えられます。

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白虎隊の哀しい美談は、大戦時に利用されたのかも知れませんが、彼らの勇気ある忠誠心は確かに真実のものだったのです。

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この幼き藩士たちは今の世をどうみているのか。

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推し量るのも恥ずかしいばかりです。

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飯盛山そばには「旧滝沢本陣」という屋敷跡があります。
参勤交代や領内の巡視などの際の休憩所としても使われていたこの建物には、戊辰戦争の弾痕跡や刀の傷が残ってるそうです。

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3件のコメント 追加

  1. Oh ma questo posto è stupendo ! Chirico sai ci sono stata al castello di Chambord in Francia!! Come è strano l’interno di Aizu-Sagamido…. è molto bello !!! Grazie per queste foto !

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      Ho visto questo strano edificio per la prima volta in Giappone.

      いいね: 1人

      1. Veramente strano! Ma affascinante!

        いいね: 1人

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