丹倉神社から再び細い山道を市内に向けて車を走らせます。
奇怪に露出した岩肌が印象的です。
ふと、「大森神社」という案内板を見つけ、気になったので立ち寄ってみました。
参道に足を踏み入れてみると、
なんという清々しさ。
苔の参道に、鳥の声、川のせせらぎ、そこに砂利を踏む音だけが響いています。
とても由緒ある神社に思えますが、承応元年(1653年)7月に洪水によって社殿が流失し、明暦3年(1657年)9月に旧社地より現在地に移されたと伝えられています。
紀伊山地は急峻な山岳地帯で谷は深く、水資源豊かな土地です。
しかしながら大雨が降り注ぐと一転、それら大量の水が谷間に流れ込み、度々大きな水害を引き起こしてきました。
拝殿手前に川縁へ降りられる道がありました。
ここで禊をするのでしょう。
拝殿にはどぶろくの由来について書かれた木版が掲げられています。
本殿を垣間見たくて拝殿奥に進みました。
すると鍵はかかってなく、戸を開けられました。
これは入っても良いということでしょうか。
少しだけ失礼し、お近くで拝させていただきます。
2拍手の音が、天に響きます。
当社の創始について口承では、「健保年中(1213~9年)に尾川に住む者が奈良の春日大社に参詣した際、小さな神鏡を請けて帰郷し、これを天兒屋根命の御神体として尾川字高瀬森山という川辺の森に尾川・長井・粉所三村の氏神として奉祭したのが始まり」と伝えています。
また、当社に収められる延宝5年(1677年)から安政4年(1857年)までの棟札をみると、当社はほぼ江戸期を通じて20年から40年に1回、「春日大明神」として造営遷宮を行っていたと解することができるそうです。
当社で行われる「どぶろく祭」は800年以上続く伝統の祭りだと云われています。
祭りでは神事の後、豊作に感謝しどぶろくが振る舞われますが、その際、先立って「どぶろく専用ぐい飲み」を購入するのだそうです。
このぐい飲みは、紀和町の陶芸作家「篠原三枝子」さんの作品で、とても味わいがあり、人気なのだとか。
祭りはやがて、酔いが回った村民たちによってカラオケ大会が開かれたりと宴会の様相を呈してくるそうで、最後は餅投げで締められるそうです。
それにしてもなんと心地よい聖域なのでしょう。
ずっと留まっていたくなりますが、神様に失礼のないよう、深く頭を垂れ早々に場を後にしました。
この静かな神社が、村民の笑い声でこだまする祭りの日に、改めて訪れたい気持ちになりました。