もっとシャコタン・ブルーを感じたい。
その思いを叶えるため、「島武意海岸」を目指しました。
島武意海岸(しまむいかいがん)は「日本の渚百選」に選ばれた、積丹半島の一角にあるビーチです。
駐車場に車を停めて少し歩くと、島武意海岸トンネルがあります。
先の光の方を目指し、「千と千尋」を彷彿とさせる真っ暗なトンネルを抜けると、
そこは温泉街!、ではなく、海が広がります。
吹き抜ける潮風。
なんという碧さ。
雑多な日常に曇ってしまった網膜に、じわりと碧さが染み込みます。
日本の海は、本当はこんなに美しいのだな、と我々の犯してきた罪の深さを感じます。
下を見れば、どうやら降りれるらしい。
しかし降りれば登って来なくては帰れないという事実。
が、やはりここは行くしかありません。
急勾配の坂道を降りていくと、ぐいぐい海岸線が近づき、大きな岩が眼前に迫ってきます。
まるで龍が身を休ませているような超巨大な岩。
「屏風岩」と呼ばれているそうです。
龍神信仰といえば古代出雲族。
出雲人の祖先ドラヴィダ族は、アーリア人の侵攻を受け、インドからロシアを抜け、北海道に渡ってきたと伝えられています。
さらにそこから南下し出雲に至るわけですが、一族の全てが出雲に達したわけではありません。
道行きのそこそこで、一部のドラヴィダ人が定住し、村を興したと云います。
屏風岩の麓をよく見てみると、大きな洞穴も確認できます。
巨岩と洞穴、出雲に特徴的な御神体の要件です。
もっとも、出雲の悲劇が起きるのはずっと後の時代になりますので、ドラヴィダ人が当地に至ってすぐにこの洞穴を神聖視したかは疑問ですが。
足場の悪い石場を慎重に歩いていくと、
屏風岩が本当に縦細長い形状をしていることが分かります。
正に龍の背中。
今、アイヌ人は日本の先住民族で現日本人の北海道開拓によって迫害を受けたので、罪を償う責任がある、なんて言う論調があります。
これは全く筋違いな話で、何処かの国のでっち上げの罪を永遠に償えと言う論調に似ていますね。
アイヌ人と琉球人は、その風貌も祭祀形態もよく似ていて、そしてそれは古代出雲人に通じるものが確かに存在します。
つまり、アイヌ人・琉球人は、古代出雲族の血を、より純粋に今に受け継ぐ一族であろうと推察しています。
それに対し大和人というのは秦族や日矛族・豊族などの血が複雑に混血したものです。
渡来系の血統はご存知のように、けたたましく好戦的で、野心的なものですが、我々日本人に根底的に存在する温厚温和でバカが付くくらいにお人好しな性質は、農耕・母系社会民族であったドラヴィダ族のDNAを深く受け継ぐものです。
つまりアイヌ人も琉球人も、そして大和人も皆、当然のことながら日本人であるわけです。
くだらない利権や強欲で騒ぎ立てる人たちが、この美しい日本を汚す行為を心から軽蔑します。
が、旅先でそんなつまらない感情に心を曇らせる暇も余裕も僕にはありません。
何よりこの海の碧さが、心の曇りを洗い流してしまいます。
海岸に石垣があり、調べてみると「旧斉藤家のニシン番屋跡」だということでした。
かつてこの海岸でもニシン漁が為されていて、島武意海岸トンネルも、ニシンを運ぶために明治28年に掘られたトンネルだったということです。
島武意の名はアイヌ語の「シュマ・ムイ」(岩の入り江)に由来するそうで、正に断崖絶壁に囲まれた楽園のような入り江です。
空にはカモメやオオワシなどが羽ばたき、冬になればアザラシも訪れるそうです。
そんな秘密の入り江に後ろ髪を引かれながら、さて、やはりこの坂を登らなくてはならないか。
Questo posto è incredibilmente bello !!!!!!!
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Sono contento che ci sia ancora un mare così bello in Giappone!
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Veramente!!!!!
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