栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の本山である「鑁阿寺」(ばんなじ)を訪ねました。
鑁阿寺は大きな堀に囲まれた石垣の上が境内となっています。
参道には立派な太鼓橋がかけられ、その全貌はさながら城のようです。
それもそのはず、鑁阿寺は「足利氏宅跡」に建てられ、寺でありながら日本100名城の一つに数えられます。
太鼓門は江戸時代後期の再建ですが、こちらの山門は室町時代、永禄7年(1564年)に建てられたものといいます。
境内に入ると、まっすぐに伸びた参道の先に本堂が見えます。
正式な寺号は「金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺」(こんごうさん におういん ほっけぼう ばんなじ)。
足利氏の氏寺であり、本尊は大日如来です。
鑁阿寺はもともと、室町幕府を開いた「足利尊氏」で有名な足利氏の館があったところで、平安時代後期に足利氏の始祖「源義国」(みなもとのよしくに)が居館を築いた場所でした。
鎌倉時代になって、足利三代当主「足利義氏」(あしかがよしうじ)が、大日如来を祀る足利氏の氏寺として建てたのが鑁阿寺の始まりになります。
現在の本堂は、足利氏七代当主「足利貞氏」(あしかがさだうじ)が、鎌倉時代の正応5年(1292年)から正安元年(1299年)にかけて再建したものです。
その後も各時代ごとに改修が加えられ、現在の姿で維持されています。
鑁阿寺の本堂は歴史的にも貴重な建造物であり、近年国宝に指定されました。
鎌倉時代の初期に宋から伝わった建築様式「禅宗様」の要素も採り入れられ、その建築様式は「折衷様」として、その後の日本建築に大きな影響を与えたということです。
境内はさほど広くありませんが、本堂以外にも見どころはあります。
本堂手前にそびえ立つ「大銀杏」。
黄金に色づく見事な銀杏は樹齢約650年で周囲は約10mあるそうです。
天然記念物に指定されています。
その奥にある「多宝塔」は足利義兼の創建と伝えられ、元禄5年(1692年)徳川五代将軍の母、桂昌院(けいしょういん)が再建したと伝えられます。
金剛界大日如来と勢至菩薩が祀られているそうです。
本堂の横に「不動堂」があり、
さらに隣に足利義兼創建と伝えられる一切経堂があります。
現在の経堂は1407年に関東管領足利満兼により再建されたものとなります。
本堂裏手に回れば「蛭子堂」「大黒堂」「大西堂」と並んで
赤い派手な御堂が建っています。
これは「御霊屋」(おたまや)と呼ばれ、源氏の祖神を祀っているそうです。
寺伝では11代将軍「徳川家斉」の寄進により再建されたとしており、江戸時代に建てられた数少ない霊廟建築の遺構として昭和56年(1981年)に栃木県指定重要文化財に指定されました。
朱色の社殿背後には「足利義康」と「足利義国」の墓碑が建立しているそうです。
そのほか鎌倉時代の後期に建てられた「鐘楼」も、国の重要文化財に指定されており、境内は貴重な文化財に溢れています。
ざっと見て回る分には20分もあれば十分な感じでしたが、御朱印をいただくために授与所を訪れると、女性の方が一人でご対応されていました。
とても丁寧なご対応で墨書きされていました。
僕が御朱印をいただいていると、ぞろぞろとジャパニーズ・おばさんのツアー御一行がお見えになりました。
「そんなに時間かかるの?置き書きないの?聞いてなーいっ、時間ないのに、他見れないじゃんっ」
たまたま置き書きを切らしていたようで、お寺の女性は丁寧にお断りされていましたが、気の毒に。
最近は隣国人のマナーに呆れるばかりでしたが、我が国もたいがいですよ。
そんなん、もう御朱印集めなんて辞めたらいいのに。
荒んだ心でいただいても、なんの価値もありませんよ。
朝の気分がちょっと台無しになりかけましたが、
そんな僕の心を察してか、とても上品な猫が一匹すっとやってきて、僕の前にちょこんと座りました。
ああ、なんと可愛い。
綺麗な澄んだ目をしているね。
うん、せっかくだから、気持ちよく旅しよう。
ありがとう、ね。
あけましておめでとうございます
去年、大河ドラマの太平記を全部見終わってから、足利市と鎌倉市と、鎌倉周辺の古戦場に行きたいと思いつつ果たせていないところです。
平将門の胴塚のある茨城の延命院の赤色と似ていると思いました。
赤が血のように真っ赤ですね。関東の色なんでしょうか。
宮島は明るい朱色に近いです。ちょっと違いがあって面白いです。
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あけましておめでとうございます!
僕もまだ鎌倉に足を伸ばせていなく、機会を伺うのですがなかなか予定が立ちません。
縁のある場所と、縁遠い場所ってのはあるようで。
朱色は経年劣化もあるでしょうが、確かに場所によって違っている部分はありますね。
将門の胴塚は茨城にあるんですね。
東京の首塚に行った時は、その後数日熱で寝込んでしまいました(笑)
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ばわ。CHIRICOさん。同じ清和源氏で天下を取った足利と後に徳川へ続く新田。趣深い。
ここ最近の御朱印を頂く人のマナーの悪さ・・・私も何度も目にしてます。ちなみに昔のうちの兄も御朱印を始めた頃は、非常にマナーが悪かった。
しかし、兄よりマナーの悪い人を見て反省し礼儀正しく待つようになってくれました。反面教師ですな。
さて、CHIRICOさん。徳島の剣山は御存知ですかな?日本の四大古代文明のひとつとされている場所。調査された内容が禁書及び焚書処分。
そこに葬られた歴史。また日高見国。この辺りを来年にでも追いかけてみては如何でしょうか。面白い謎に出会えますよ。きっと。(笑)
ではでは。フェードアウトでさやうなら~。
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こんにちは。
剣山は四国旅の予定に組み込んでいます。
名前から、険しい登山になるかと思いきや、比較的登りやすそうですね。
しかし標高はそこそこあるので、油断はできませんが。
四国は金比羅山に代表されるように、元は出雲王国圏でしたが、物部東征時に物部族も移り住んだようです。
四国は遍路巡りがメインですが、寄り道の方が楽しくなりそうな予感です。
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