「日照山 無量寿院 極楽寺」(にっしょうざん むりょうじゅいん ごくらくじ)です。
仁王門にて一礼。
足を踏み入れると開けた庭のような敷地があり、ぽつぽつと仏跡が点在します。
寺伝によれば、奈良時代(710年 – 784年)に行基が開基したと伝わります。
弘仁6年(815年)に弘法大師・空海がこの地での三七日(21日間)の修法で阿弥陀経を読誦したところ満願日に阿弥陀如来の姿を感得したため、その姿を刻んで本尊としたと伝わります。
また、この阿弥陀如来の後光は遠く鳴門まで達して魚が採れなくなったため、困った漁民たちが本堂の前に山を築いて光をさえぎったということから「日照山」と号するとされています。
ややはた迷惑な如来様もいたようで。
子授招福大師というちょっとアレな像の裏に、気になる物影を見かけて登ってみれば、侘びた石の五重の塔がありました。
良いですね。
隣はお墓。
空海が阿弥陀経を読誦し、難産だった難波の女性が無事安産できたので、そのお礼にと寄進した木造大師像が当院大師堂の本尊になっているそうです。
明治時代にも大阪住吉の女性が安産祈願のお告げで四国遍路に出て、無事男の子を出産したと伝わります。
これらのことから、当院は子授け・安産の寺として参拝する人も多いのだそうです。
境内の中ほどに来ました。
このあたりからの雰囲気は、とても良いです。
高台の階段を上った先にあるのが本堂。
本尊は阿弥陀如来。
本尊真言は「おん あみりた ていぜい からうん」
ご詠歌「極楽の 弥陀の浄土へ 生きたくば 南無阿弥陀仏 口ぐせにせよ」
天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火により焼失し、万治2年(1659年)に阿波藩主によって再建されています。
本堂裏には本尊を収めていると思われる小さな堂が見えていました。
本堂の奥に大師堂。
僕は寺院に関しては事情通ではないため、基本情報はWikipediaのコピペがメインとなります。
あしからず。