艶やかな山門が建つ四国八十八箇所霊場の第三番札所、「亀光山 釈迦院 金泉寺」(きこうざん しゃかいん こんせんじ)です。
本尊は釈迦如来で、脇侍に薬師如来・阿弥陀如来を安置します。
本尊真言は「のうまくさんまんだ ぼだなん ばく」、ご詠歌は「極楽の たからの池を おもえただ こがねの泉 澄みたたえたる」。
門を潜る時、心地よい風が吹き抜けました。
寺伝によれば天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅願により行基が本尊を刻み、金光明寺と称したと云います。
弘仁年間(810年 – 824年)に弘法大師・空海が訪れ、村人が水不に困窮する様をみかねて井戸を掘ったところ、黄金井の霊水が湧出したことから寺号を「金泉寺」としたと伝わります。
その霊泉が湧き出したという黄金井が境内にあったようですが、見落としてしまいました。
まあいいか。
代わりに黄金に色付いた銀杏の木をご覧ください。
亀山法皇(天皇在位1259~1274)の信仰が厚く、京都の三十三間堂をまねた堂を建立、千躯の千手観音を祀ったとありますが、今はこの小さな堂があるばかり。
1582年(天正10年)に長宗我部元親による兵火にて大師堂以外の大半の建物を焼失したそうです。
元親、燃やしまくりですね。
こちらは兵火を逃れた大師堂。
大師堂の左側には、蓬莱信仰を思わせる弁天社がありました。
『源平盛衰記』によると、元暦2年(1185年)に源義経が屋島に向かう途中、本寺に立ち寄ったことが記載されています。
雅な多宝塔に誘われるように足を向けると、
意味ありげな磐座が。
これは応永五年、五十一歳にして崩御された南朝「長慶天皇」の御陵といわれる墓石だそうです。
その奥に続く階段が気になります。
この一段高くなった場所に祀られるのは忠霊塔だそうです。
辺りに降り注ぐ神気は、当寺でここが一番濃密でした。
CHIRICO様
いつも思うのです。CHIRICO様はどんな生活を送っていらっしゃるのかと・・・。お仕事もお忙しいでしょうに、いろんなところへ出かけられ、その上緻密なブログを書いていらっしゃる。私のような者から見ればまさに神業。ご無理なさいませんぬ様に。
それと、私のブログのことを紹介してくださっていたのですね。CHIRICO様の正反対を行くような行き当たりばったりのブログですのに、何だかもう恥ずかしい気持ちでいっぱいです。気付くのが遅れ、お礼を申し上げるのが遅くなってしまいました。ごめんなさい。これからもよろしくお願いします。
asamoyosi
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asamoyosi様のブログを拝見していると、ほっとするような、つい見過ごしてしまうようなささやかな気付きが記されていて、素敵だなと思います。
高野山に関しては特に細やかに紹介されてあって、私の方こそ勉強させていただいております。
それで勝手ながらリンクを追加させていただきました。
私の経歴は少々変わっていまして、営業職から転職を繰り返して今の美容師という仕事をしています。
かつては完全週休二日、GWは10連休と、働き方改革が叫ばれるより先に多くの休日をいただいていました。
しかしその頃はだらだらと時を過ごすのみで、ずいぶん無駄にしたものです。
今の仕事は休日が少ないのですが、逆にその分、時間を大切に必死で遊ぶようになりました。
母も泳ぐのをやめると死んでしまう魚のような人で、そのDNAを受け継いでいるのでしょう。
ブログはノートパソコンを持ち歩いて、暇を見つけては書いています。
とりあえずざ〜っと書いて、できたらアップして、読み返して校正するみたいな流れです。
旅先にもPCは持って行ってます。
私のPCはMacですので軽くて良いのですが、ケースもつけてないのでボロボロです(笑)
最近は天災やら人災やらで、失われるものが多過ぎますので、焦っています。
いつまでも美しい国であってほしいと、それだけが僕の願いです。
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CHIRICO様
いつもありがとうございます。
四国88所霊場巡り、興味深く拝見しています。数年前、義母が亡くなった折り、お遍路の準備をしていたのを見つけ、それではということで四国を回ったのですが、ただただ先を急ぐだけのお参りになってしまいました。完成した軸を見るにつけ、その時のことが思い出され、ちょっとばかり恥ずかしいような気持ちになっています。
CHIRICO様のおかげで、お遍路のやり直しが出来るようで楽しみです。
ところで、三番札所金泉寺には長慶天皇の墓石があるそうですね。実は地元・九度山町を流れている丹生川沿いにも長慶天皇の御陵といわれているところがあるようです。早くに他界した義父が、こんな田舎にも御陵があるんだぞと自慢げに?教えてくれたことを懐かしく思い出しました。五條市にもあるそうですが、五條市は賀名生など南朝ゆかりの場所があるので頷けるのですが・・・。
asamoyosi
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こんにちは、asamoyosi様。
いや、ご覧のように、私も先を急ぐばかりのお遍路となっております。
ブログ内容も、ほぼウィキペディアを切り貼りしている状況でして。
長慶天皇の墓石と伝わる石は、かなり無造作に置かれていました。
九度山町は丹生都比売神社などにも近く、紀ノ川を伝って大和入りできるので、古くは栄えていたのではないでしょうか。
御陵があっても頷けますね。
お遍路巡りはぼちぼちやっていきます。
もちろん最後には、奥の院まで伺う予定です。
まだまだ訪ねたいところが山ほどあって、2020年も忙しくなりそうです!
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