四国八十八箇所霊場の第十番札所、「得度山 灌頂院 切幡寺」(とくどざん かんじょういん きりはたじ)は、お遍路で最初に迎える難所と言えます。
細い山道をひたすら車を走らせ、駐車場に停めてからの道のりもなかなかなものでした。
この十番札所を訪ねてみて、引退後の歩き遍路を夢想していた僕は、それを諦めることにしました。
参道の入り口にある「杖無し橋」。
お遍路必須アイテムの一つ「金剛杖」は弘法大師の分身とされますが、大師は遍路中に橋の下で野宿したことから、橋の上で杖をつくのは禁忌とされています。
そしてそこから続く苦行、333段の石段が始まります。
99段上がったところに経木場がありました。
ところで、この切幡寺を参拝する頃から、ひとつの違和感を僕は感じ始めました。
確かに、88箇所と云われる空海ゆかりの寺院を訪ね歩いてみると、どこも素晴らしく心地よいものです。
しかし、なぜこの88箇所なのでしょうか。
弘法大師・空海は讃岐の生まれと云います。
なので若かりし頃は確かに四国の各地で修行をしたという話が残っているようです。
信仰上は弘仁6年(815年)、空海が42歳の厄年に四国八十八ヶ所の霊場を開創されたと伝えられていますが、それは史実ではありません。
唐より帰国した空海は、朝廷から入京の許可を得るまでの数年間、大宰府の観世音寺などに止住しています。
入京後は京を中心に活動し、晩年は高野山に隠棲し、入定することになります。
つまり帰国後、空海が四国八十八ヶ所の霊場を開創したという史実は見受けられないのです。
空海の入定後、空海の弟子・修行僧らが大師の足跡を辿って遍歴の旅を始めた。
これが四国遍路の原型であろうとされていますが、これも今のような八十八箇所ではなく、断片的な足跡の旅といったものだったようです。
さて、長い階段の終盤になると「女やくよけ坂」、
「男やくよけ坂」と続き、
ついに本堂のある場所へとたどり着きました。
切幡寺の本尊は千手観世音菩薩。
本尊真言「おん ばさら たらま きりく」
ご詠歌「欲心を ただ一筋に 切幡寺 後の世までの 障りとぞなる」
寺伝によれば、昔この山麓に機を織る乙女がいたそうです。
修行中の空海が結願の7日目、綻びた僧衣を繕うため機織の娘に布切れを求めたところ、娘は織りかけていた布を惜しげもなく切って差し出しました。
この厚意にたいへん感動した空海は、娘に願いはないかと尋ねました。
すると娘は告白します。
「父は都で薬子の変に関係して島流しとなりました。
母は身ごもっていましたが、男の子が産まれればその子も咎を受ける、どうか女の子が産まれるようにと清水の観音様に祈願し、やがてこの地に来て産まれたのが私でございます。
亡き父母の供養のため私も観音様を祀り、仏門に入って精進したく願います」
娘の言葉に強く心を打たれた空海は、さっそく千手観音像を彫造し、娘を得度させて灌頂を授けました。
すると、娘はたちまちのうちに即身成仏し、身体から七色の光を放ち、千手観音の姿になったと云います。
空海はこのことを嵯峨天皇に伝え、天皇の勅願により堂宇を建立して自ら彫った千手観音像を南向きに、また即身成仏した千手観音像を北向きに安置して本尊にしたと伝えられています。
境内に立つ「はたきり観音」は、機織の乙女が即身成仏した伝説の観音像で、右手にはさみを左手に布を持つ姿をしていました。
たちまちのうちに即身成仏した娘は、果たして本望だったのかどうか、僕には推し量ることができませんが、当寺は「女人即身成仏の寺」として知られ、七色の光を放つ善女に憧れる女性からの人気が高いとのことです。
本堂の裏手に回ってみれば、他の寺ではアクセスが難しい、本尊が収納されている奥殿をよく見ることができます。
本堂と奥殿をつなぐ橋も素晴らしかったのですが、
アクセスが容易だとアホなことをする輩がいるようで、やっぱり禁足にするべきところは禁足にすべきなのだと思いやられます。
本堂の横に重要文化財の「大塔」と八祖大師を祀る「奥之院」へ至る階段がありました。
かなり急な階段を登ったところにある堂を奥之院と勘違いしていましたが、
こちらは不動堂だったようです。
さらに階段を登っていくと
立派な二重の塔が見えてきました。
徳川家康の勧めにより、豊臣秀頼が父・秀吉の菩提を弔うため慶長12年(1607年)大坂住吉大社の神宮寺である新羅寺の西塔として建立したという二重の大塔。
明治初年の廃仏毀釈により新羅寺が廃寺となったため、当地に移築されました。
国内で初層も二層も方形という形式で現存している二重の塔はこれのみだということです。
ちなみに見切れていますが、左端にちょこっと写っているのが奥之院だったようです。
さて、四国八十八箇所を定めたのは誰だったのか。
江戸時代初期の『空性法親王四国霊場御巡行記』には、現在とほぼ同じ札所がほぼ同じ順番で記されており、この頃には確定されていたのではないかと推察されます。
1687年に真念によって出版された『四國邊路道指南』(しこくへんろみちしるべ)になると、札所番号が記され、札所間の内容や本尊・寺の状況が端的に記されており、今の遍路が確定されていたことになります。
その後、修行や信仰目的の巡礼以外にも、供養や当病平癒や心願成就に加え、健康維持や余暇の充実、または僕のような観光気分で参拝する者も増え、多くの者に親しまれる遍路となってきました。
元来は当然歩き遍路であり、その過酷さゆえ途中で行き倒れて遍路道に葬られる巡礼者も多く、故にどこで倒れてもお大師の下へ行けるようにと死装束に身を包んでの巡礼であったと云います。
が、僕の抱き始めた違和感というものが、なぜこの88箇所なのかというもので、しかもその順番まで割り振られ、それが創始者空海の意図は全く介されていないと知って更に疑惑が持ち上がりました。
果たして聖地巡礼というものは、ある他人の思惑で振られた順番にそって巡るものだろうかと。
四国には八十八箇所以外にも多くの寺院があり、そこに選ばれる選ばれないとで、盛衰に大きな影響があるのではないか。
八十八箇所に選ばれなかった故に、素晴らしい聖蹟が埋もれてしまっているのではないか。
もっと遍路だけに惑わされず、自分の感覚で巡ってみるのが本来の巡礼なのではないかと思い至ります。
しかし、まあ、やや商業的な匂いを感じつつも、88箇所と決められてルートも整備されていれば、参拝しやすいのは事実です。
僕の知る足の不自由な人が、お遍路をきっかけに様々な霊場をどんどん歩いて巡るようになった様を見れば、確かにご利益というものは存在するのではと思わせられます。
信じるものは救われる。
古くから純粋に降り積もられた祈りの場というのは、元はどうであれ、やはり美しいと僕は感じるのでした。
おはようございます!
弘法大師は伝説ありすぎですね。
関東にも相当有ります。山ほど。
千葉の船橋という所に、龍神社が在ります。 話は逸れますが、ワダツミの神です。この辺りは、海神と云う町名が広範囲であります。
この辺りは印波国造、菊麻国造か微妙な位置です。
この辺りは私的には妄想が膨らみ過ぎてパンクしてます(笑)
その龍神社に弘法大師が通った時の、その娘さんとは真逆の伝説があります。
“老婆が芋を洗っていたので、それを所望したところ、老婆はこれは石芋なので食べられないと答え、弘法大師が去った後で、老婆が芋を煮て食べようとしたところ、いくら煮ても芋が石のように固くなっていて食べられなかったという「石芋」伝説である。老婆は腹を立て、その芋を池(龍神社の池だという)に投げ捨ててしまったが、やがてその芋が芽を出し、何株か成長したので「石芋」と呼んだという。昭和28、9年頃まではその芋が残っていた”そうです。
友人の御先祖様が、こちらで農家をやっていたそうです。この老婆は彼女の御先祖じゃないのか?と聞いてみましたが、真相は藪の中です(笑)(笑)(笑)
四国の人は優しいですね。
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なるほど、確かに四国の人柄を表すような逸話ですよね。
千葉の方がケチんぼってわけではないでしょうが(笑)
空海伝説は半分以上はブラフだと思いますが、あやかりたいくらい有名人だったってことでしょうね。
霊験修法曼荼羅読み終わりました。
最初はスタンドみたいの出てきて胡散臭いなと思いましたが、読み進めるとなるほどと納得しました。
「観念」、つまりイメージの具現化ということですね。
僕は常々、深層心理にまで影響するような具体的かつ集中したイメージは、リアルの世界に影響を及ぼすのではないかと思っています。
修行をし、仏教世界を具体的にイメージできる人が、仏の力によって魔を退治する様を観念すれば、それが現実になると。
しかし逆に、負のイメージを強く抱く人はそれがリアルに影響を及ぼす。
呪いなどはその例ではないでしょうか。
死の直前の観念が強いと、その場に固執し、地縛霊になったり。
人間は感情と巨大な脳を持ってしまったので、世界に影響を及ぼすほどの観念を得てしまったのでは。
動物は基本的に現世に恨みを残すことはありません。
動物霊というのは、たいていなんらかの形で人が関わっているのではないでしょうか。
そんなことを、改めて考えてしまう漫画でした。
楽しかったです、ありがとう。
それでいくと、神話をより深く知り、深く集中したイメージを抱ければ、神を具現することができるのかもしれません。
有能な神官や陰陽師なんてのはそうやっていたのかもしれませんね。
僕はファンタジーな神じゃなくて、リアルな神を知ってしまったので、具現するのはむずかしそうですが。
ところで、令和帝は誤った選択をした疑いがあります。
皇室は日本の神を崇めることをやめてしまったかもしれません、残念です。
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密教を簡単に知ることの出来る本ですよね。
観念、観想、想念、似て非なるもので奥が深いです。
人間は宇宙の一部分なのでしょうね。
私も具現化出来ると思っています。
あっ!!
っと思った事って有りませんか?
後は運です!これしかない笑
動物に意思は無くはないと思ってます。言葉が話せないだけで、動物と付き合うと話せたら何を言い出すんだろうと思います。
ただ、人間との違いは心配しない事ではないのだろうか……と、思う今日この頃です。
私は、近代の帝は真の神事はしていないと思っています。していないのでは無く、出来ないのだろうと(笑)
変な会見してますが、日本が国際社会から孤立しない事を祈りますね~合掌
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動物が話せたら、、それはもう人間バッシングの数々かと(苦笑)。
でも案外、意に介してもいないかもしれませんね。
彼らは純粋に、真っ直ぐ生きるのみですから。
この先、大切なのは真っ直ぐに生きることなのかもしれません。
溢れる情報、情念に惑わされず、自分の中心を貫かなければ、幸福を感じられないような気がしています。
その一つの方法として、自分の心の中心に三種の神器を具現化してみる。
するとちょっとだけ、天と繋がれるような、気がしないでもない今日この頃です。
クナト王の時から続く真の万世一系は、すでに僕ら日本人の血肉の中にあるのだと思うからです。
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お遍路さんの由来を詳しくは知りませんでした。勉強になります。
偉い人の”足跡”と思っていました。知らないことだらけです。
人の流れに逆らいたい性分なので「順路」を逆に回ったらどうなるのだろう、
などと邪悪な精神に満ちた私は考えてしまいます。
マリオカートだって、反対に回ると一粒で2度美味しいですし。
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逆打ちといって逆に回るルートもありますし、別に順番どおりでなくても良いそうです。
僕の場合、お遍路はマニアならとりあえず一度は行かなくては、くらいの気持ちで巡っています。
しかし思った以上に見所があって、楽しいものです。
不謹慎かなとも思いましたが、わりとお寺さんも気軽に受け入れてくれ、想像と違って敷居は低かったです。
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