ひたすら車を走らせ、山々を越えて辿り着いた「摩廬山 正寿院 焼山寺」(まろざん しょうじゅいん しょうさんじ)。
四国八十八箇所霊場の第十二番札所です。
焼山寺は焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山位置にある岳札所。
嶮しい坂道の難所「遍路ころがし」の先にあり、かつては徒歩でのみ巡礼が許された修行の霊場でした。
幸い今は山上まで車道が通っているものの、運転も細心の注意が必要な険しいものです。
僕は当寺を訪ねた時に、仕事引退後の歩き遍路を確実に、完全に断念しました。
残念ながら、そこまでの情熱は抱けない。
ところで駐車場から本堂までは岩山を迂回するようにしばらく歩くことになります。
しかしその道脇に奉納された石仏の数々が鎮座しており、それらを眺めていると長い参道も苦になりません。
特に菩薩像の優しい顔立ちには思わず立ち止まり、
うっとりと見入ってしまうものです。
石仏ばかりでなく、注意深く観察すると、
可愛らしいもの達もいました。
そうして歩くこと15分ほどでしょうか、
長い階段の先に山門が見えてきました。
本尊は虚空蔵菩薩。
本尊真言「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃまり ぼり そわか」
ご詠歌「後の世を 思へば恭敬 焼山寺 死出や三途の 難所ありとも」
山門の先の境内には樹齢数百年の杉の巨木(県の天然記念物)が並び立っています。
縁起によると、飛鳥時代に役行者が山をひらいて、蔵王権現を祀ったのが寺のはじまりとされています。
その後、この山には神通力を持った大蛇が棲むようになり、しばしば火を吐いて農作物や村人たちを襲っていたと云います。
弘仁6年頃、空海がこの地を巡り一本杉で休んでいたところ、夢に阿弥陀があらわれました。
空海は目を覚ますと、目の前が火の海になっています。
麓の垢取川で身を清めて山に登ると、大蛇は全山を火の海にして妨害しました。
そこで空海は「摩廬(水輪)の印」を結び、真言を唱えながら進みました。
するとついに大蛇は山頂近くの岩窟で姿をあらわし、空海の祈祷で虚空蔵菩薩の御加護のもと、岩窟に封じ込められました。
空海は自ら彫った三面大黒天を安置し、被害を受けていた民家の大衆安楽、五穀豊穣を祈ったと云うことです。
この時、山は焼山となってしまったので「焼山寺」と名付けられました。
当寺にて朱印をいただいていると、車で来たのか聞かれ、ちゃっかり駐車場代300円を徴収されました。
しかしこれだけ深い山中に立派な駐車場を維持するのは大変なことでしょう、致し方ありません。
サービスの良いところもあり、いただいた御影はモノクロのものではなく、一般に有料で配られているカラーのものでした。
有料なだけあって華美でしっかりとした印刷になっています。
またお寺の方がカメラをぶら下げている僕を見て、親切に撮影スポットをいくつか教えてくださいました。
その一つがこの風景。
帰り道に見えるのですが、剣山や白髪山など四国山脈の山々がひろがっています。
その眺望の先にうっすら見える島影は和歌山になるのだそうで、ここと大師の眠る高野山は繋がっているのだなと実感しました。
本坊左奥には約1.1kmの登山道が伸びており、途中に大蛇封じ込めの岩があるそうです。
また焼山寺山頂上には蔵王権現を祀った奥の院の祠と竜王窟があり、
焼山寺を1kmほど下ったところには、右衛門三郎を祀った杖杉庵もあるそうです。