四国八十八箇所霊場の第十九番札所「橋池山 摩尼院 立江寺」(きょうちざん まにいん たつえじ)
街中にある立派な当寺は「四国の総関所」として四国八十八ヶ所の根本道場といわれ、また「阿波の関所」として知られています。
本尊は延命地蔵菩薩。
本尊真言「おん かかかびさんまえい そわか」
ご詠歌「いつかさて 西の住居の わが立江 弘誓の船に 乗りていたらん」
本堂に向かって左の棟続きに、如意輪観音を祀る観音堂、
右の棟続きに護摩堂が建っています。
寺伝によると、聖武天皇の勅願で行基菩薩が光明皇后の安産を祈願し、一寸八分 (5.5cm) の小さな黄金の「子安の地蔵菩薩」を彫造し、「延命地蔵菩薩」と名づけて本尊とし開基したと云います。
弘仁6年(815年)に空海が当寺を訪れ、この本尊を拝した時、あまりに小さなご本尊なので後世になって失われる恐れがあると、自ら一刀三礼をして新たに像高1.9mの大きな延命地蔵像を彫造し、その胎内に本尊を納めたと伝えられます。
さて、最初の徳島旅で訪れた最後の札所がこの立江寺でした。
これまで、とりあえず各寺が伝える空海伝承に付き合ってみました。
その年号を照らし合わせても、史実ではないことは明白で、どこか薄ら寒さを感じる四国八十八箇所霊場巡りですが、始めた以上は最後まで辿ってみたいと思っています。
ただ、古事記・日本書紀が伝える偽りを知った後もそうでしたが、日本人が古くから祈りを捧げてきた場所というのは、祭神・本尊、その由来の真偽にかかわらず、聖なる威光を放つもの。
空海の伝承にいちいちケチをつけるのではなく、それはさておき、この19箇所というのは心おだやかになる素晴らしい聖域だったことに間違いはありません。
なのできっと、八十八箇所を巡ることには、やはり何かしらの意味があるのだと思われるのです。
大師堂の裏に「黒髪堂」という、いかにも不吉な名の堂がありました。
昔、石州浜田(現在の島根県浜田市)にお京という娘がいたそうです。
16歳の時に大阪新町へ芸妓に売られ、22歳の時に要助という男と夫婦となりました。
しかしお京は鍛冶屋の長蔵と愛人関係に。
妻の不貞に気づいた要助は、二人をボコボコにします。
それに逆切れしたお京と長蔵は要助を殺し、讃岐の国へ逃走しました。
やがて立江寺にたどり着いた二人が地蔵尊を拝もうとしたその時、なんとお京の黒髪が逆立ってお寺の鐘の緒に巻き付いてしまいました。
泣きじゃくるお京らは、立江寺の住職にこれまでの事を話し、懺悔しました。
すると、お京の頭の皮とともに黒髪がバリバリと剥がれ、なんとか命だけは助かったと云うことです。
黒髪堂の中を覗くと、そのお京の頭皮ごと抜けたと云う黒髪が巻きついた「肉付鐘の緒」が納められていました。
それが寺宝として見世物のように祀られているあたり、ホンマかいな!?と疑わずにはいられない性分ですが、よくある鬼や河童のミイラと同じ匂いがします。
なるほどここは総関所、地獄にしろ不貞者の遺物にしろ、民衆の心をコントロールするには恐怖心を植え付けることが、古今東西最も効果的な方法の一つだということは間違い無いのです。