以前「平将門の首塚」を訪ねた時に失念していた、「神田明神」を鎌倉旅のついでに参拝してきました。
1975年に昭和天皇即位50年を記念して再建された立派な随神門が聳えます。
言わずと知れた江戸城の表鬼門除け、江戸総鎮守の「神田明神」は、正式名称を「神田神社」といいます。
大手町、丸の内、神田、日本橋、秋葉原、築地魚市場など、日本経済の中枢をなす108町会を氏子に持ち、また下町の人たちからも愛され続けてきた名社です。
日本三大祭り、江戸三大祭りの一角「神田祭」は徳川将軍も上覧したと伝わっており、練り歩く神輿の勇壮な様はあまりに有名。
東京大空襲を耐え抜いた鉄骨鉄筋コンクリートの社殿も威風を感じさせます。
祭神は「大己貴命」(オオナムチノミコト)、「少彦名命」(スクナヒコナノミコト)、「平将門命」(タイラノマサカドノミコト)の三柱。
平将門は延慶2年(1309年)に奉祀され、明治7年(1874年)に構内の摂社に遷座、昭和59年(1984年)に本殿に奉祀復帰しています。
創建は社伝によれば、天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族「真神田臣」が、大己貴命を祖神として祀ったのに始まるとしています。
また房総半島に定住していた「忌部族」が安房神社に奉られていた神を、八世紀の始めごろ分社して、豊島群芝崎村の地に奉ったという説もあるようです。
神田の由来も諸説ありますが、もと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、神田の鎮めのために当社が創建され、神田ノ宮と称したという説が有力なようです。
なにはともあれ、神田明神は「平将門」公を祀る神社としての認識が強い神社です。
京都で数年を過ごした将門は、京都の貴族たちが東国を、東夷(あずまえびす)の地、搾取の対象として見る姿に我慢ならぬ思いを抱いたことでしょう。
承平5年(935年)堕落し荒廃する京都政権に対し、東国の民兵を率いて「天慶の乱」を蜂起したのです。
五年間という短い期間で将門は、皇位を狙った逆臣という汚名をきせられ、俵藤太によって討たれてしまいました。
しかし彼の勇姿は東国の民々の心中に深く記憶されていったのでした。
天慶3年(940年)2月14日、将門の首級は京都の東の市において晒されることになりましたが、何人かによって持ち去られ、豊島群芝崎村・神田の社の境内に手厚く祀られました。
これが、「首塚」です。
平将門の死後、全国で天変地異が起こり、これが将門の祟りであると噂されます。
これを鎮めるため将門は祀られ、一層信仰を深めることとなりました。
ちなみに日本三大怨霊と呼ばれる者は「平将門」、「崇徳天皇」、そして我らが「菅原道真」になります。
江戸時代、神田明神の氏子達は、成田山新勝寺を参拝せず、南天の箸を使うことはなかったと云います。
それは俵藤太が新勝寺に戦勝の祈願をし、将門の一命を落とした矢が南天の枝で作られた新勝寺の御神矢だったと云う伝承によるものだそうです。
徳川家康が関東八州の領主として三河より入府し、この地を江戸と改めました。
家康は城造り・町造りに伴って、神田明神に社領として三十石を寄せたと云います。
以後神田明神は、江戸の総鎮守として栄えてきたのです。
そんな神田明神も、秋葉原が近いこともあって「ラブライブ!」シリーズ、「シュタインズ・ゲート」といった作品の舞台となり、新たな若者たちの聖地へと生まれ変わろうとしていたのでした。
坂東市にある石井営所跡に行ったことがあります。平将門が本拠とした場所とされています。まったく観光地テイストがなく、そのへんのおばちゃんおじちゃんに聞いてもハテ?という感じで、情報が得られませんでした。明治の皇国史観で蔑ろにされた影響という気がしています。一度タブーと強制されたことを、人々の心に取り戻すのは容易なことではないと思いました。中共ご謹製の、日本の自虐史観もどうにかしないと。。。
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時の権力者によって塗りつぶされた真実の歴史、しかし土地にはその痕跡がしっかりと残っているものです。
それを少しずつ拾い上げていくのは、発掘作業と同じ楽しさがあります。
しかしまあ、日本の自虐史ばかりはいい加減どうにかしないといけませんね。
奴らはいまだに、それをネタにやりたい放題です。
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神田神社に祀られた将門公も一旦は御祭神の座を追われてしまう時代もありましたが神田の氏子さん達の強い訴えで今の座に戻っております。
神様替えで失われず残った神様。日本にはたくさんあるんでしょうか・・・。知りたい知識が歴史が・・・。早くコロナが収まって旅が出来る日を楽しみにします。CHIRICOさんも同じ気持ちなんでしょうか(笑)
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アフターコロナも、旅は良くない行為と認識されないか心配です。
ブログを書くのに、言い訳はしたくはないです。
コロナが完全に終息すれば、再び旅は自由なものになるのでしょうが。
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今は修復中ですが、沖縄の首里城も、龍、赤の漆喰に金を施した独特な雰囲気が良いですよね。
居ながらして旅をしているようです。
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このブログは僕が年をとって旅に行けなくなった時に、もう一度旅した気分を味わえるようにと始めた部分が強いのですが、まさかこんなに早く、こんな理由で旅が失われるとは思っていませんでした。
首里城もまさか燃えてなくなるなんて思いもしませんでしたね。
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はい!
とても驚きました。
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