「鎮国寺」(ちんこくじ)は、宗像大社のすぐ東、釣川を渡った小高い丘の上にある寺院です。
ここが宗像大社の神宮寺であるとのことなので行ってみました。
空海は唐に渡航中、大暴風雨に遭遇します。
そこで海の守護神である宗像三神に祈祷したところ、波間に不動明王が現れ、右手に持っていた利剣で波を左右に振り払い、暴風雨を静め、空海は唐に無事たどり着くことができました。
806年に唐より空海が帰国すると、まず宗像大社に参りました。
その時、屏風山の瑞雲が棚引くのを見て登り、その奥にあった岩窟にで修法を始めたところ、
「この地こそは鎮護国家の根本道場たるべき霊地」
というお告げを聞き、一宇を建立して屏風山鎮国寺と号したそうです。
境内にある「ぼけ封じ観音」です。
境内を下ったところに「不動明王」がありました。
他にも色々なものが境内には置いてあります。
しかし何より訪れたいのは「五仏堂」と呼ばれる本堂です。
五仏堂、または本地堂といわれる所以は、宗像三女神、織幡明神、許斐(このみ)権現の本地仏を合祀しているからです。
本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)とは、仏菩薩が人々を救うために神の姿に変えて現れたという密教の思想のことです。
ここでは、右から
如意輪観世音菩薩:織幡明神の本地仏
釈迦如来:湍津姫神(タギツヒメノカミ)の本地仏。
大日如来:田心姫神(タゴリヒメノカミ)の本地仏。
薬師如来:市杵島姫神(イチキシマヒメノカミ)の本地仏。
阿弥陀如来:許斐権現の本地仏。定朝仏師が奉安されたと伝えられています。
この中でも中央の三仏は弘法大師(空海)の作と伝えられています。
が、この本地垂迹説は神より仏の方が偉そうで、実のところ僕はあまり好きではありません。
境内の奥に石段があります。
ここから15分ほど歩くと空海が籠ったという「奥の院」があります。
途中に四国八十八ヶ所の小さな石仏が並び、梵字が刻まれた岩などがあります。
そして奥の院へとたどり着きました。
そこは幽玄な場所でした。
あたりには五十の石塔などがあります。
人はほとんどいなくて静謐です。
中国より帰朝した空海が修行したと云うお堂の中に入ることができます。
この不動堂の奥には洞窟があり、「不動明王」の石像と、「釈迦如来」と「八大龍王像」が刻まれた線刻板碑が祀られているそうです。
この洞窟には一般の人は立入ることは出来ません。
不動堂からの下り道、朱の鳥居方面に南下する道があります。
林道を進むと、小さめの社や、
先ほどから続く四国八十八ヶ所の石仏が連なっています。
こちらは屏風山の山腹を一周するコースになっているようです。
杜が深く感じます。
樹勢のいい林道を抜けると
弘法大師の像がありました。
奥まで歩ききったところにある石に彫られた仏さま。
何かパワー的なものを感じます。
そして60分ほどの散策を終え、本堂方面へ戻ってきました。
宗像大社は素晴らしい聖地ですが、ぜひ鎮国寺にも立ち寄ってほしいところです。