脊振神社

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たまには山の深みにどっぷり浸りたい時もある。
そんな時僕は、雲がかった脊振山へ向かうのです。

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脊振山麓の西側、佐賀側の305号線沿いに「脊振神社下宮」が鎮座しています。

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のどかな田園風景の先にある脊振神社(せふりじんじゃ)は、日本六所弁財天(にほんろくしょべんざいてん)の一社とされ、「脊振弁財天」とも称されます。

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創建の年代は不詳ですが、「神功皇后」(じんぐうこうごう)が三韓征伐の祈願として、脊振山頂に「田心姫」(たごりひめ)「湍津姫」(たぎつひめ)「市杵島姫」(いちきしまひめ)の「宗像三女神」を祀ったことが始まりとされています。

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困難な山頂参拝に代わり、麓の「白蛇神社」に里宮を置いたところ、その後合祀され、今の弁財天信仰となったのが当社の由来。
社殿は一度明治7年の佐賀の乱で消失し、その後再建されました。

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本殿横には神気を感じさせる杜が広がっています。

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そこに岩窟があり、弁財天の化身である白蛇が棲んでいると云われていました。

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さて、下宮があるということは、上宮もあるということです。
脊振山の名の由来は、弁財天を乗せた龍が山の上で天に向かって三度嘶き、背びれを振ったことから名付けられたと伝えられています。

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標高1055mの背振山は、玄界灘から見える最も高い山になります。
博多には宗像・安曇・住吉といった海人族が勢力を持っていましたので、航海の目印として古くから信仰を集めていたと考えらます。
当地は物部族が勢力を伸ばした地域になりますが、物部は星神信仰であり、低山を聖域としていました。
脊振山は低山というには標高も高く、龍の伝承が残されている点から、物部よりも古く当地にいた出雲の気配を感じさせます。

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山頂までは近年車道も整えられ、車で上ることもできます。
それでも途中の道は森深く、道も細めなため、こんな雨も降りそうな日の道行きは恐ろしく感じます。
しかもこの日は、あの大災害を起こした大雨の数日後のことでした。

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それでも脊振の山は、そこに棲まうものを包み込む寛容さに溢れています。
この日も車道を走っていると、フィルムにこそ収め損ないましたが、うさぎが走り抜け、たぬきの親子がこちらを窺っていました。

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脊振山山頂には航空自衛隊の基地があり、その敷地の隣に立派な無料駐車スペースがあります。
そこに車を停めたら、5分ほどの超プチ登山で上宮を目指します。

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参道の途中、自衛隊の敷地内には、修験道の祖師と伝えられる「役行者」の像があります。

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空海や最澄、円仁、円珍、栄西など多くの僧が航海の安全を祈願するため脊振山に入山し、最盛期には「背振千坊・嶽万坊」(せふりせんぼう・たけまんぼう」と呼ばれるほど山岳仏教の一大拠点として栄えたと伝えられ、その痕跡が「霊仙寺跡」などに残されています。

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2017年、山形の月山を訪れた僕は大自然の洗礼を受け、その時ばかりは「死」が脳裏をかすめました。
それ以来、山に入る時は無茶をせず、諦めることも大切であると考えるようになりました。

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だから悪天候の時に山へ向かうなんてことは、今はしないのです、本当は。

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上を見上げると、自衛隊のレーダー塔が不気味な影を落としています。

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短くも、なかなかハードな最後の階段を登りきると、目的の場所に至ります。

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そこにあるのは天空の神殿。

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吹きさらしの山頂に

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立ち並ぶ石塔。

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死を思わせる景観。

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そう、僕は今日、この脊振神社上宮へ、敢えて「死」を感じるためにやってきたのです。

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もうひと階段、

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その先の景色が美しい。

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僕がイメージする、死後の世界感がまさしくここに在ります。

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白く、畏しく、そしてあたたかい。

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死後に地獄はない。
そこには、ただ魂の安寧の世界、黄泉があるだけです。
キリストもブッダも、地獄の存在を説いてはいません。
死してなお人を苦しませるような、そんな地獄をほのめかすのは、それがある方が都合が良い側の人間であり、そんな人間ほど心の闇という地獄に居るものです。

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自殺であろうが、他殺であろうが、天災であろうが、人災であろうが、
才能も未来もある若者が命を失わなければならない、こんな今の世界は、生き地獄と呼ぶにふさわしいのかもしれませんが。

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そんな鬱々とした気持ちを追い払うことができなくて、女神に心を洗い流して欲しくて、たまにこんな日に、僕はここへ足を運ぶのです。

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この聖域にはボール型の巨大なレーダーがあって、晴れているとそれが興ざめですが、こんな天候の時は雰囲気あって悪くありません。

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晴れていると玄界灘や有明海まで見渡せて、それはそれで絶景なのですが、

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この白い脊振神社上宮があまりに神秘的で、僕はとても好きです。

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宗像三女神が鎮座する上宮、その神前に跪き頭を垂れる。
するとすうっと心が安らぎ、曇りが晴れていくのを感じます。
しばらくそのままでいると、風が頭を撫でるように、さらりと吹き抜けていきました。

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死はただただ畏ろしく、あたたかく、僕を白く包み込む。

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世界では、地球で人類が生き延びるため、人口を5億人まで削減しなくてはならないと考える人もいるそうです。
でもやめた方がいい。
そんなことを考える人間だけが5億人生き残ったところで、ろくなもんじゃないのだから。
どうせなら全滅させるくらいの気持ちで行くべきだ。

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確かに自然界を思えば、人なんていない方が美しい。
それでも僕らは生きている。
生かされている。

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生かされている間は、生きろと言われているのだから、生きていくほかないのです。

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心配せずとも、滅する時が来れば滅するし、その後に地獄はなく、畏れるほど美しくあたたかい世界がそこにはある。
ここに来ると、彼女はいつもそう教えてくれます。

吹きすさぶ風に身を晒し、僕は一時の間、白い闇を見つめ立っていました。

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やがて遠雷も聴こえてきて、さすがにヤバいか、と下山を決意。
名残惜しく振り返り、また来ますと一言。
なるほど、そこには確かに、背びれを振る龍の背に乗った弁天様の優しい眼差しがあったのでした。

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4件のコメント 追加

  1. ウズラの玉子 より:

    こんばんわ、私も、3,4年くらい前に背振山神社上宮に行きました。
    神社がある事は下宮の宮司さんに聞いて行きました。

    お宮の前にちょこんと着物をきて瓢箪か琵琶のようなものを持った小さい女の子を見ました。その女の子は、一礼し、白銀にひかる鱗をもつ龍の背に乗ってみせました。

    後でネットで調べたら、弁財天様だったのではないかと思いました。不思議な気持ちにかられました。

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    1. CHIRICO より:

      ウズラの玉子さん、『偲フ花』へようこそお越しくださいました♪
      それはすごいご経験ですね!
      弁財天の元はインドのサラスヴァーティーであると云われ、手にしている楽器は正確にはヴィーナと呼ばれるものになります。彼女が仏教伝来によって日本の神と習合したものが弁財天と呼ばれ、宗像の三女神、特に市杵島姫と同一視されます。
      でも僕は、弁財天と習合した日本の神は別の人物であると考えます。それは誰か?
      宗像三女神にカモフラージュされた親魏和王の女王・豊玉姫、いわゆる邪馬台国の卑弥呼とされる姫巫女です。
      豊玉姫は古事記で龍宮の乙姫として描かれますが、それは彼女と龍神信仰が深いつながりがあるからです。つまり脊振神社上宮・下宮の真の祭神は豊玉姫だろうというのが僕の考えです。
      最新の投稿に記してますが、脊振山頂に磐座があることを知って確認してみれば、それははちまき石と呼ばれる白い筋の入った磐座でした。はちまき石は出雲族が龍神信仰を行う上で御神体としたのではないかと考えています。
      詳しくはまた脊振を調べてみて、記事にしようと思っています。

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  2. 8まん より:

    こんにちはCHIRICOさん。死を悟りに行かれましたか・・・。
    宗教の都合で生まれた地獄という思想。私も同意です。キリストもブッダもいた時代、既に奴隷は存在してました。
    奴隷の主たる者からすると自死をされることは労働力と支払ったお金の損益。
    そして宗教のパトロンたる彼らの思惑も相まって生き地獄から解放することを許さないあの世の地獄を宗教が生み出したと。
    仏教の究極は輪廻転生からの解脱を目指す・・・魂の解放。キリスト教はローマ帝国の支配に利用され布教されたモノ。

    WHOの健康の定義は身体的、精神的、社会的、宗教的、日本語では訳せない為に和訳にはないスピリチュアル的にも健やかであることとされてます。
    それ故に自死というのはこれらのどれかが欠損し寿命を迎えるモノなんだと私は思ってます。
    …決して自死推進派ではないのであしからず。ただ・・・私も友人を自死で失った人間として自死者が地獄に落ちる思想は受け入れられません。
    死とは誰にでも平等に与えられたモノ。その先が穏やかなのか虚無なのかはそれぞれの人の想い。
    生きていられる人間は生きられる限り生きる。終わるときは終わる。それが人の世界で人の唯一。・・・生きねば・・・。
    そう感じた投稿でした。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      こんにちは8まんさん。
      この先の人の世なんてろくでもないとしても、自然はそんなことお構いなしで勝手に美しいので、花が咲くというのならそれに逢いに行くためだけに明日を生きてもいいじゃないか、と見栄を張って生きてます笑

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