阿蘇から北西方面には乙姫神社をはじめとした阿蘇津姫ゆかりの神社が点在していました。 南に米塚や中岳、 北に外輪山が取り囲みます。 そんな阿蘇市乙姫地区にある「乙姫神社」。 由緒によると、祀られているのは阿蘇五の宮「宮惟人…
月: 2020年9月
宇田姫神社:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 番外
今を去ること千数十年の昔、延喜17年(917年)の頃、藤原仲平が天皇の命令を受け、九州筑前国太宰府に安楽寺を建立するために下向し、豊後国緒方庄館をかまえた。 その頃、緒方庄宇田の里に塩田大太夫といふ歴代同名を称する富豪が…
国造神社:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 14
阿蘇神社の北にある「国造神社」(こくぞうじんじゃ)を訪ねます。 境内の手前には、少し小さめの古墳が二つあります。 「下御倉古墳」(しものおくらこふん)は「速瓶玉命」(はやみかたまのみこと)の妻、「雨宮媛命」(あまみやひめ…
穴森神社:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 番外
彼、維義は「おそろしきもの」の末なりけり。 宮崎と大分にまたがる標高1,756mの日本百名山「祖母山」(そぼさん)は、日本初代天皇とされている神武天皇の祖母「豊玉姫」が祀られているのでその名がついたと云います。 豊玉姫は…
牛神社・穴迫稲荷神社:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 道草
熊本高森にある日本三大下宮のひとつ、草部吉見神社を調べていると、いくつか神社がヒットしたので訪ねてみました。 草部地区にある「牛神社」(うしがみしゃ)を探してみましたが、案内板を見つけたものの社殿が見えません。 まさかこ…
草部吉見神社:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 13
神武が東征を為している頃、日子八井耳は日向高千穂より草部に入り、しばらく川走の窟に住んだ。 そんなある時、近くの池に大蛇が棲み、里人を困らせているという話を聞いた。 日子八井耳は池の水を干し、そこに現れた大蛇に向かって剣…
上色見熊野座神社:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 12
幽玄という言葉しか思い浮かびません。 熊本県高森町上色見にある「上色見熊野座神社」(かみしきみくまのいますじんじゃ)は訪れる人を、霊界へと誘う神社です。 上色見熊野座神社は阿蘇山の東側、265号線のカーブ沿いにあり、つい…
幣立神社:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 11
熊本県山都村、「九州のおへそ」と言われる場所にある聖地、 「幣立神社」(へいたてじんじゃ)を紹介することを、僕はちょっと躊躇っています。 熊本県上益城郡山都町、山都中島西ICから高千穂に向かう218号線沿いに、その神社は…
霜宮神社:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 10
大いなる大地、「阿蘇谷」。 そこに線路を引き、農耕を行い暮らす人々の苦労と努力が偲ばれます。 阿蘇谷のふもとにある「灰塚」は、かつて健磐龍命(たけいわたつのみこと)が阿蘇の外輪山を蹴破った時、湖水が流れ出るのを邪魔したと…
阿蘇山中岳〝阿蘇氏と諏訪氏考〟:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 09
阿蘇氏と諏訪氏は祖を同じとするという説があり、それによると阿蘇氏は諏訪方面から西征し、阿蘇一帯を開拓したと説きます。 つまり阿蘇氏の大祖神はタケミナカタであると云うのです。 これに若干もやもやしていた僕は、とりあえず阿蘇…
阿蘇神社:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 08
2016年4月16日、2回目の熊本大地震によって、阿蘇神社の楼門と拝殿は、崩壊してしまいました。 そこは阿蘇の国造りを行なったとされる「健磐龍命」(たけいわたつのみこと)を祀った、由緒ある古社のひとつです。 参拝者を最初…