黒口神社:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 05

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高千穂の外れ、高森方面へ向かう途中の集落に「黒口神社」(くろくちじんじゃ)というところがあります。

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わざわざこの辺鄙な場所を訪ねたのは、この社殿の彫刻が見事だと聞いたからです。

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かつては「大空天神」という名の神社だった当社。
調べてみると、「天村雲命」(アメノムラクモノミコト)、「天三降命」(アメノミクダリノミコト)を主祭神とし、
「大山咋命」(オホヤマクイノミコト)、「須佐乃男命」(スサノオノミコト)、「建御雷命」(タケミカヅチノミコト)「經津主命」(フツヌシノミコト)、「菅原道眞命」(スガワラミチザネノミコト)「大山祗命」(オホヤマヅミノミコト)ら、集落の神社を集めて合祀していると云います。

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遠い神代の昔、「天村雲命」は牛に乗って天から天降ります。
その時、命は上野村と田原村との間にある田原川の西岸の森に落ちてしまいましたが、牛が椿の枝で目をついて目を潰してしまいます。
命は田原川東岸の「妹生迫」(せのおさこ)と、西岸の「釜石」(田原)の人々に助けを求めましたが、誰ひとり助けにくる者はありませんでした。
そのうちに、「松の下」(上野)の人々が噂を聞きつけて、命の牛に水を汲んで与えました。
命は松の下の人々の親切を喜ばれましたが、妹生迫と釜石のと人々の不親切を怒り、「末永く聾(つんぼ)の絶えることはあるまい」と叱りつけました。
その後、命と人々の手当てのかいもなく、牛は8日目で死んでしまいました。
命が8日間、住まわれたことから、この森を「八日森」(やかもり)と呼び、牛のために水を汲んだ池には今も霊水が涌いて絶えることはないと云います。

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さて、主祭神に天村雲が祀られているという不思議。
大和王朝初代大王の名が、九州まで轟いていたということでしょうか。
天村雲が宗像三女神にもよく関連づけられて祀られているのは、海家も九州まで勢力を伸ばしていたということでしょうか。

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それよりももっと気になったのが、あまり聞きなれない天三降という神。
天三降は『先代旧事本紀』にある神で、その天神本紀では宇佐国造の祖神であり、市杵島姫との間に菟狭津彦・菟狭津姫を生んだ、とされます。
これは宇佐家の古伝を受け継ぐ「宇佐公康」氏も認めており、これを富家の伝承と合わせみると、天三降神は徐福その人となります。

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更に面白いのが、祭神がホアカリでもニギハヤヒでもなく、天三降で記されていることです。
ここにこの神を祀った者は、圧倒的に宇佐寄りの人間であったことを示しています。
ここ高千穂にも、宇佐・豊王家の足跡が残されていたのです。

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それにしても、確かに素晴らしい彫刻です。
寂れた感はありますが、良いものを見ることができました。

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