下界の荒れように心を痛めた天照大神は、自分の孫「瓊々杵尊」(ニニギノミコト)を地上に降ろし、治めさせることにしました。
いわゆる「天孫降臨」です。
瓊々杵尊が天降ったとされる伝承地はいくつかありますが、その一つが高千穂と五ヶ瀬の町境いにある「二上山」と云われています。
【三ヶ所神社】
かつて、二上山の天孫降臨の地に「三ヶ所神社」が建てられました。
しかしそれは山頂にほど近い、険しい場所にあります。
ある時、参拝しやすい麓に里宮を建てようという話になりました。
しかし山を挟んで南と北、高千穂町と五ヶ瀬町、どちらに宮を建てるべきかと話し合いがもたれました。
どっちにも建てたらいいじゃん、ってなことで結局里宮は2つに分かれました。
五ヶ瀬町側にある分社が今の「三ヶ所神社」(さんがしょじんじゃ)となります。
素朴な石を使った手水舎があります。
その向かいには祓戸がありました。
しっとりとした石の階段を登ると、
拝殿が見えました。
御祭神は「伊弉諾尊」(イザナギノミコト)、「伊弉冉尊」(イザナミノミコト)。
他に「瓊々杵尊」(ニニギノミコト)、「猿田彦尊」(サルタヒコノミコト)も祀ります。
二上山とは二神を指しており、雄岳に伊弉諾尊を、雌岳に伊弉冉尊を祀っているのでしょう。
拝殿の隣にある社殿の風格が気になりましたが、
こちらは旧本殿だったようです。
三ヶ所神社の見所は本殿の彫刻にあります。
本殿正面上部に、中央に「夫婦岩」の彫刻があり、両端に「海馬」の彫刻があります。
海に戯れる馬の彫刻は、海馬と呼ばれ、脳の海馬と関連付けされています。
脳の海馬は記憶に関する大切な所なので、三ヶ所神社は脳を守る一風変わったご利益があるとの評判です。
本殿を取り巻く他の彫刻も、とにかく見事です。
その歳の干支にちなんだ彫り物もあったりするようです。
三ヶ所神社は高千穂に向かう218号線から外れて、車で5分ほど五ヶ瀬の町を走った先にあります。
アクセスも容易なので、高千穂散策のついでに立ち寄っても良いと思います。
【二上神社】
もう一つの里宮、「二上神社」(ふたがみじんじゃ)を目指します。
同じく218号線を高千穂に入る入り口付近で横道に逸れます。
するとすぐに渓谷の雰囲気を醸し出す山道に入ります。
見えてきたのは「轟の滝」、
「禊の岩屋」です。
最初は走りやすかった道も、
だんだん本格的な山道、農道となっていきます。
15分ほど細い道を進むと、
鳥居が見えてきました。
奥に進んで驚愕です。
山に向かって伸びる、高い石段。
苦労して登った先には、宇宙人のような狛犬が待っていました。
まさに神は坐しきと言わんばかりの風格です。
御祭神ははやり「伊弉諾尊」、「伊弉冉尊」のお二神。
境内の御神木は、伊弉諾尊と伊弉冉尊が国生みを行った際の、神聖な男女の持ち物が自然に形とられたもので、「二上銀杏」と呼ばれて大切にされています。
訪問には、苦道を進む勇気が必要ですが、労に合う聖域が待っています。
【三ヶ所神社 奥宮】
さて、天孫降臨の山「二上山」の真の聖地へ向かいたいと思います。
本来の天孫降臨の社が、二上山9合目付近にあります。
そこへは高千穂側の「二上神社」方面から行くこともできますが、その山道がナビにありません。
したがって五ヶ瀬町側の「三ヶ所神社」方面から登って行くことにします。
登ると言っても車で行けます。
離合不可能な細い道が続いたり、崖が崩れた場所があったりしますが、車で行けます。
最初は案内版があったりしますが、山に入れば入るほど、それも見ることはなくなり、心細くなります。
やっぱり引き返そう、そう心が折れかける頃に上の標識が見えてきました。
その横が「三ヶ所神社 奥宮」の参道になります。
天孫降臨の地の伝承はいくつか存在します。
古事記には「竺紫(=筑紫)の日向の高千穂の久士布流多氣(くじふるたけ)に天降りまさしめき」とあり、高千穂の「くしふる峰」がその候補地である根拠となっています。
日本書紀には「日向の襲の高千穂峯(たかちほのたけ)に天降ります」とあり、霧島の「高千穂峯」がその地であるという根拠となっているようです。
そして日向國風土記逸文では
「日向の國の風土記に曰はく、臼杵の郡の内、知鋪(=高千穂)の郷。
天津彦々瓊々杵尊、天の磐座を離れ、天の八重雲を排けて、稜威の道別き道別きて、日向の高千穂の二上の峯に天降りましき。」
とあり、この二上山が天降りの聖地であることを伝えています。
しばらく参道を登ると、すぐに広間にでますが、
そこからまた登り道が続きます。
登ります。
もういやだ、ってくらい登ります。
時間的には10分くらいだと思いますが、あまりの急坂に心折れます。
ポッキリ逝きそうなころ、神殿が見えてきました。
神殿が岩に喰われています。
崖の上から落ちてきたであろう大石にも、しめ縄がかけられていました。
展望はいまいち。
しかしこの圧倒感、これを見るために登った甲斐はありました。
昔の人は、ここまで徒歩で登って参拝したのだろうか。
さすがにひと気はなく、心置きなく聖地を独り占めできます。
ここに神が舞い降りたという話もうなづける心地よさでした。
こんな場所ですが、ここは九州全体の真ん中にあたり、「杉の越」とかつて呼ばれ、九州の要路だったそうです。
西南の役には西郷どんもここを通ったそうで、歴史あるすごい道でした。
三ヶ所神社(里宮)