乳ヶ窟:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 18

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「しのべやたんがん さぁりやさぁそふ まとはや ささくり たちばな。」

イザナキ・イザナミの両祖神を祀り、天孫ニニギが天八重雲を押し分けて降臨したとされる「日向の高千穂の二上の峯」の麓に、三毛入野と名乗る男と、右大臣富高、左大臣田部の両雄をはじめ、総勢44人が武装し集結していた。

ここに術策を用いて人心を惑わし、悪行のかぎりをつくした魔性の者がいた。
名を「鬼八三千王」という。

三毛入野たちは鬼八の討伐を決意し、根城である乳ヶ窟を攻めた。
窟の前面をふさがれた鬼八は、大きな石杖を持ち、別の穴から抜け出して山を駆け下り、諸塚から椎葉へと逃走した。
両者の戦いは凄惨極まりなく繰り返され、ついに鬼八は米良から八代、阿蘇へと追われ、祖母山を経て上野へ出て押方へと戻った。
この間7日。
三毛入野が率いた同志のほとんどが討たれ、残っているのは両雄と3人のみとなった。

鬼八は大木を根こそぎにして相対したが、ついに三田井原で追いつめられ最期をとげた。
ところが、8尺(約2.5m)四方の石を押さえにして埋葬したのに、石を動かし、うどみ再生するので、体を3つに切り分け分葬した。
それでも霊は鎮まらず、早霜を降らせ村民を困窮させた。

村人は乙女を捧げ、呪歌を謳い、荒ぶる御霊を鎮送すると、鬼八三千王はやがて霜をつかさどる神となり、山鎮めの神となり、山の暮らしを守護する神となったと云う。

参)山口保明『宮崎の神話と伝承101』

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熊本方面から伸びる218号線を、高千穂に入る入り口付近で横道に逸れます。
するとすぐに深い渓谷へと道は続きます。

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その先に見えてくるのは二上山。
二上山は両祖神を祀るため二神山とも書かれ、高千穂町と五ヶ瀬町境にそびえる標高1,060mの神奈備となっています。

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どんどん道は細くなり、心も細くなっていきますが、二上神社に続く道の手前を右に折れて進むと、鬼八(キハチ)が根城にしたと伝わる「乳ヶ窟」(ちちがいわや)にたどり着きます。

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この乳ヶ窟は神楽歌にも「日向なる二上岳の麓には乳が窟に子種まします」と歌われています。

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入り口からすぐに迫り来る、見上げるほどの巨岩。

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ここから100mほど、かろうじて道と思われる山道を登ります。

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足元は草に覆われて分かりにくいですが、石がゴロゴロと転がっており、非常に歩きにくい。

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やがて分かりにくかった道も行き詰まり、

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この先は本当に道無き道を這い上るテイになってきます。

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怖くなってもう帰ろうか、と云う気分になってきたころ、見えました。

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訪ねてくるものを圧迫する威圧。

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喰ってやらんとばかりに口を開けた黄泉の入口。

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ここが乳ヶ窟、

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怖すぎるやろがいっ!

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穴は一箇所だけでなく、あちこちに開いています。

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ここは鬼八の住処と伝えられていますが、鬼どころか、人ひとり足を踏み入れるにもかなり狭い。
鬼八が草部吉見の「会知早雄」なら、やはり居住区はそちらの方であったと思われます。

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ただ、気になる伝承がひとつ。
鬼八が敗れ、夫を失った「鵜之目姫」は、三毛入野に手篭めにされることを恐れ窟に逃げ込み、そこで命を絶ったと云います。
ひょっとしてここがその窟だったのではないでしょうか。

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ところで、文治5年(1189年)の「十社大明神記」によると、鬼八と三毛入野の戦いは凄惨を極め、大分の米良から熊本の八代・阿蘇を経て、再び当地に戻ってきたと伝えられています。
このエリアはそのまま宇佐の豊玉系氏族らの支配域と重なり、豊玉姫を祀るという祖母山の姫・鵜之目姫と出雲タケミナカタ系のアララギ族の長・会知早雄が婚姻関係を結び、両族が合わせて大和勢と戦った様が浮かび上がります。

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会知早雄の早雄という名前は、足が早かったことが所以ではないでしょうか。
鬼八は別名、「走健」(はしりたける)と呼ばれていましたが、ここでも両者が繋がります。

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「鬼八眠らせうた」という呪歌は高千穂神社の「猪掛け祭り」に奉納する笹振り神楽の歌でもあります。
その意味は難解ですが、甲斐勝美氏の解釈によると、「霜宮の田の願が成就するように神楽を舞い立ちばな」の意ではないかということです。

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鬼八がタケミナカタの末裔であるなら、彼は自ら、生き残った里人のために霜を司る山鎮めの神となったことでしょうが、征服者から見れば偉大な神の一族を殺めた後ろめたさから、乙女を捧げる生贄の祭りを執り行わざるを得なかったのではないかと思われました。

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乳ヶ窟を降りていると、どこからともなく水の流れる音がしているのに気がつきました。

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昭和50年頃まで、母乳の出ない母親は乳ヶ窟までやってきて祈り、そこに湧き出る白い水を貰って帰ったと云うことです。
それは自分の命よりも、夫への操を守った鵜之目姫のご利益が今に続いていた証ではないかと、ふと僕の胸の奥を過ぎったのでした。

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