アララギの村に秋の収穫の祭りがやってきた。
今年はそれに合わせて、里の新たな王の就任式も執り行われることとなった。
新たな王のために建てられた王宮は二つあり、それはタケミナカタが諏訪に建てた、春宮と秋宮を真似たものだった。
アララギでの春宮は高千穂宮、秋宮は槵觸宮と呼ばれた。
高千穂宮から槵觸宮へと向かう輿には、新たな王とその妻が乗っている。
御輿の行列を眺める里人は心から祝福し、子供たちは手を振った。
会知早雄は諏訪から草部にやってきて、豊家の家に世話になった。
高千穂や阿蘇では霜の害がひどく食物が不作となることが多かったが、諏訪はここよりも更に寒く霜の害を乗り越える知恵に長けていたので、会知早雄はそれを伝えた。
草部の屋敷で早雄を世話したのが豊家の娘・鵜之目姫であった。
二人が互いに惹かれあうのに、時間はかからなかった。
早雄は耕作・土地開拓の功を認められ、鵜之目姫を妃に貰い受け、王となる事が決まった。
彼は豊家の支配地のうちの阿蘇の南側から高千穂までの広大な土地を譲り受けた。
そこはアララギの里と呼ばれた。
「ご就任おめでとうございます。これは今年できた最高の酒にございます。王よ、ますます我らを豊かに導きくだされ。」
「いや、これも其方ら草部の民々のおかげ、こちらこそ礼を言いたい。」
秋の王宮に御輿が着くと、王と妃は並んで座った。
王宮の庭や広場は、多くの参列者であふれていた。
「ささ、酒を一杯」
勧められるままに酒を飲むアララギの王の顔は、赤く染まり始めていた。
すると、おおっ、と群衆の中から歓声があがる。
宴もたけなわになって、力自慢の大男が大きな石を担ぎ上げて見せていた。
「王もなかなかの力自慢と聞いております。どうでしょう、槵觸のご神前で力試しの相撲をひとつ、お願いできぬだろうか」
「よし、やろう」
気さくな新王は立ち上がって群衆の取り巻く中に進み歩いていく。
「姫よ、そなたの王は豪胆で大らかよの」
「まことにございます、母上」
鵜之目姫のそばに、母親が寄ってきた。
姫のお腹はふっくら丸みを帯び、王の子種を宿していた。
「わしの見立てでは腹の子は姫子のようじゃ」
「それは素敵なことです。私の娘はきっと両家の架け橋となることでしょう。
季節の春と秋を結ぶ祭りがあるように、夜の月と昼の太陽を結びつける、この大きな国の姫巫女として」
群衆の中でどっと笑い声が湧き上がった。
大男につき転がされた、肌の赤く染まった王の顔も、まるで子供のように笑っていた。
谷が八つ 峯が九つ 戸が一つ 鬼の住処はあららぎの里 。
高千穂神社から天岩戸神社へ向かう途中に「槵觸神社」(くしふるじんじゃ)があります。
高千穂にある「くしふる峰」は、古事記にある「筑紫の日向の高千穂のくしふる峰に天降り(あもり)まさしめき」と、天孫「瓊々杵尊」(ニニギノミコト)が天降った場所であると伝えられています。
当社祭神は「天津日子番邇々杵命」(アマツヒコホノニニギノミコト)ですが、かつては祀る神を「高智保神」(高智保皇神 / タカチホスメガミ)としていた時期もあり、
この「高智保神(高知尾神)」は異伝として、「八幡宇佐宮御託宣集」に神武天皇の御子である神八井耳命の別名で、「阿蘇神」の兄神であると記され、「平家物語」では、豊後緒方氏の祖神であるとし、その神体は「大蛇」であると記されています。
私はこの高智保神こそ、日下部吉見神社の日子八井耳「国龍命」(くにたつのみこと)であり、龍蛇信仰民族である出雲系諏訪族の「会知早雄」(おうぢはやお)であると思っています。
彼こそ、神話に悪名高き鬼八三千王だったのです。
しっとりとした参道と長い階段の先にある槵觸神社。
当社は本来、槵触山そのものを神体とし、直接山を拝する原始の祭祀が営まれていたようで、拝殿は後に造られました。
しかし槵觸神社は古来より、高千穂神社が当年の豊作等を祈る春祭りを行うのに対し、豊作の感謝祭である秋祭りが行われてきました。
これは出雲の春秋の祭りを彷彿とさせます。
また阿蘇・高千穂と同一的関連性のある諏訪において、諏訪大社下宮の春宮と秋宮は、タケミナカタが出雲の春秋の祭りを行ったのが創建であると富家の伝承は伝えます。
確かに槵觸神社の現在地に社殿は無かったのでしょうが、もっと麓の場所に秋の宮の王宮があったのではないかと思い至り、ストーリーに仕立てました。
高千穂神社や天岩戸神社の賑わいに比べて、人の少ない槵觸神社ではありますが、正月深夜に参拝した折は笙の音が響き、とても雅でした。
その思い出が冒頭のストーリーの祭りのシーンと重なります。
例祭である秋の感謝祭は10月16日に行われ、年占の意味を込めた神事相撲が奉納されます。
かつては九州一円から力士が集まり、高千穂方と来訪方に別れて技を競ったということです。
社殿の裏側には、山の岩肌が露頭していました。
参道の横を南側にそれる道があります。
そこに「風土記・万葉の丘」という広場がありました。
中央には天孫降臨に因む碑刻文が記されています。
何ということはない広場ですが、それでも何故か神威を感じる場所です。
更に先を進みます。
しばらく進むと、
玉垣に囲まれた、並々ならぬ雰囲気の場所が現れます。
ここは「高天原遥拝所」(たかまがはらようはいしょ)、神々が高天原を遥拝した所と伝えられます。
高天原とはなんぞや。
一般には神々が住む天界であるという認識ですが、たまにコメントをくださる出雲の血統を持つ「たぬき」さん曰く、それは古代の王都を示す言葉だそうです。
ただ僕には、この高天原という言葉を好んで使うのは、物部族であろうと思い至っています。
葛城の高天原も彼らが葛城族を制圧し、これ見よがしに高い場所に高皇産霊を祀っていました。
また周辺には、彼らが土蜘蛛と呼んだ者たちの塚「蜘蛛塚」が点在しています。
阿蘇を制圧した「健磐龍」と高千穂を制圧した「三毛入野」は、果たして海部族だったのか物部族だったのか。
はたまた両者によって2度、当地は制圧されたのか。
結局そこのところははっきりしないままです。
が、彼らが大和王朝系の一族であったことは想像に難くありません。
ともかくもこの高天原遥拝所はいつ訪れても清清しい場所で、今も心地よい風が僕の中を吹き抜けたのでした。
更に進み抜けると、「四皇子峰」(しおうじがみね)という場所に行き着きます。
四皇子峰は神武天皇とその兄弟である五瀬命、稲飯命、三毛入野命が降誕した場所と伝えられるもので、また神功皇后が三韓征伐に際して、7日7夜の戦捷を祈願した場所であるとも伝えられています。
しかし、いずれの伝承も実際には違うものと思われます。
僕が感じたのは、宗像大社の「高宮斎場」に似た空気。
出雲の神籬に近い場所だったのではないかと考えています。
鬼八の伝承を追っていくと、その神跡は阿蘇の南側から高千穂に至る広範囲に点在していることに驚きます。
それはそのまま彼の統治域であり、王としての偉大さを物語っています。
しかし彼の神跡はすべて、何某かに制圧され、殺されたものばかりでした。
比べて鵜之目姫側の豊玉姫系の一族は、阿蘇津姫や若比咩という名で後の時代も祭祀を続け、日下部氏や蒲池氏が健磐龍系阿蘇氏よりも実質的に祭祀を支配してきた傾向が窺い知れます。
したたかさを兼ね備えていた豊系氏族に対して、鬼八のアララギ族は純粋であったのでしょう。
それゆえに多くは殺されてしまったものと思われますが、かすかに生き残った末裔が興梠姓の一族として今も血筋を守って来られたのです。
阿蘇も高千穂も、訪れるたびに思います。
何と素晴らしい場所なのか。
僕はそのことを、血を流した古代の人々に感謝申し上げるのです。
飛騨の水無神社の祭神を見ると、初代神武系、追いやられた尾張家のような構成になっています。
そう見た場合、草薙の剣の疎開先になるのもうなづけます。
さらには天孫降臨伝承。近くの位山は水無神社のカンナビです。
乗鞍もかつては位山と言われ、麓には今でも位ケ原の地名が残ります。
天孫降臨=すなわち物部ではなく、記紀に服属して神世からの権威に注目する視点がどこにでもあるのかもしれません。
安曇は物部に乗っ取られたという事を大きめに考慮するのなら、水無も影響を受けたと思われ、天孫降臨伝承は後年の物部の物かもしれない訳です。
播磨タケル軍のその後の消息は不明ですしね。
製鉄でいったら伊豆と事代主と信濃(箕輪とか、地名まで酷似)
上毛野も上州と九州
よく考えたら島根の額田宿禰の縁者の住んだ土地も宇治
全国に散らばる三島地籍
大彦の系譜の磐井も九州
八坂入彦と東風谷
天白と信濃の麻績(まさかの臣?)
後年の子孫が故事に習って地名を付け、祭事に使う習慣があったのでしょうね。
豊臣も、皇室から貰った藤原と同じ(豊臣になる前は秀吉は藤原を名乗っていた)なので、思いっきり臣姓
地名や祭祀の類似性により、各豪族の関係が朧げながら見えてくる様です。
しかし、出雲ファンとしては関係性より、始まった時期、時代にこだわってしまいますね。
高槻市の三島も、桜井市の太田も、大字というよりは小字に近い範囲しか残っておらず、Googleマップしても三島市の方が先にヒットします。(例外は三島郡)
車のなかった時代は、国の範囲もごく小さく今で言えば村の様なもの
伝承が残っていると言うのはよく考えたら凄いことですよね。
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岡谷インター近くに出早と言う地名があり、文字通り出早雄を祀る神社があります。
八坂トメとの子が確か15人だかで、そのうちの一柱が出早雄神です
彼だけ神社がある訳です。
確かに、御子神にしては別格の扱いですね。
「会知早雄」って、また越智に近い名前だったりしてグイグイくるものを感じますね。
私的にはアララギとアラハバキって近くて、大彦系なのかなと言うイメージしか持てていません。
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そうなんですよね、出早雄。
出速雄とも書きますね。
その出をオチに変えて会知早雄ですよ。
娘が会知速姫。
速って字がちょっと徐福に絡みそうなところも気になりますね。
アララギとアラハバキの近似性は気になっていましたが、高千穂には今のところ、出雲の藁蛇やアラハバキ信仰の痕跡のようなものは見つけられていません。石見神楽でも登場する鬼八がタケミカヅチに高千穂に追いやられる、その場所がアララギの里だと言っています。
西に鬼八、東に建御名方、ですよねタケミカヅチが追いやるのは。
そして信濃には魏石鬼八面大王がいるんですよね。なんだろこの近似性。魏石鬼八面大王の墓と云われる鬼の釜古墳が熊本にもあるんですよ。そして紅葉姫と鵜之目姫、なんとなく重なるような。
信濃と阿蘇・高千穂の近似性は異常です。
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コメントありがとうございます
この場所は、別方向から
道のない山を登って
行けます。
そこの場所を下ると一キロに
不思議な滝があり地元の人はあまり知られない滝
蛇ヶ淵の滝です
水は五ヶ瀬川に流れて
スペシャルすごい訳は
荒立神社があり、
隣にくしふる神社があります!
その前の川が神代川になります!神代川は真名井の湧水地を通り神話伝説の有名な川です
神代川は、町をぬけて周り
谷に流れて、この場所で滝になり五ヶ瀬川に
流れこみます
この場所は、近くに高千穂町の生活を守る湧水地があります!水は生まれて、周り回っているのです。
谷深い川と険しい山に囲まれた高千穂は不思議な場所です
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なんと、素晴らしい情報ありがとうございます!
宣言明けが待ち遠しくなりました。
県外移動が解禁になりましたら、花好きんさんのお話を元にぶらぶらまったり高千穂散策に出かけたいです。
もちろん大切な場所は荒らさないよう、十分に心がけさせていただきます。
高千穂で一番印象的なのは、娘が小学生の頃でしたか、二人で着物を着て大晦日の夜に三社参りをした時のことです。
年が明けると高千穂神社で笙の音が響き、とても幻想的でした。
その後槵觸神社と天岩戸神社を参拝させていただきました。
日本の正月は、なんと美しいものかと感動したものです。
出雲は遠くてなかなか出かけられませんが、高千穂は2時間半で行けるので良かったです。
一度本物の夜神楽も見てみたいですね。
ところで花好きんさん、素敵なハンドルネームですね♪
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こんにちは、花好きんさん。
あれから一年ほど過ぎてしまいましたが、おかげさまで四皇子峰に参拝させていただくことができました。
花好きんさんのおっしゃった、そのままの景色がそこには広がっており、とてもとても感動いたしました。
美しい、いつ訪れても素敵な場所ですね、高千穂は。
今回の情報を教えていただいた花好きんさんに、心より感謝申し上げます。ありがとう!
PW:omouhana
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四皇子峰
この場所の100m位上の場所
山の頂上付近は広く、
巨木があり、四皇子峰と石碑に書かれ、小さな石のやしろがあります
しめ縄をかけた神聖な場所
さらに、これより少し下ると
湧き水が昔流れていた場所が
あり、ここも巨木の杉が
並んでいます
詳しくはわからないのですが
太古のロマン感じる
不思議な場所です
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花好きんさん、こんにちは。
コメントありがとうございます♪
と、えっ?四皇子峰、あの上、あがれるんですか?
とても一般の人は立ち入れない雰囲気でした。
湧き水が流れていた場所というのは、槵觸神社の駐車場とは反対側でしょうか?
とても貴重な情報ありがとうございます。
高千穂や槵觸神社は天孫降臨や天岩戸神話でとてもロマンある場所です。
それはそれで良いとは思うのですが、神話に隠されたリアルな歴史を知りたくて、各地を旅しております。
そこにはまたとてもリアルで、ちょっと切ないロマンがあったりするものです。
アララギの里・高千穂、何度訪れても心地よい場所ですね。
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