妙義神社

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上毛三山の一つ「妙義山」(みょうぎさん)、鋸のような独特の地形が長閑な群馬の風景の中で際立っています。

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その東麓に鎮座し、妙義山信仰の中心となっているのが「妙義神社」(みょうぎじんじゃ)です。

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大鳥居の下を車で進むと駐車場があります。

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そこからゆるい登り坂の参道を歩きます。

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しばらく行くと「総門」が見えてきました。

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総門は安永2年(1773年)の建造。

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三間二間単層切妻道の大きな門で、もとは白雲山石塔寺の仁王門だったそうです。

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総門の先はひたすら階段が続きます。

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横に「妙義神社の大杉」という石碑がありますが、

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どうやら今ある若木は二代目のようです。

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しかしそこに立っていると、

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上から吹いてくる風に、心地よさを感じたのでした。

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再び銅鳥居の前に戻り、その先に行くと、

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「波己曽社」(はこそしゃ)が鎮座しています。
妙義神社は古代には波己曽神社と呼ばれており、この社殿が旧本社だったと伝えられています。
元は現在の本社と同じ上部神域に建っていたそうですが、昭和44年(1969年)に当地に移築したのだそうです。

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ところで、この階段。
やれやれ。

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ちょっと横にずれて、先ほどの心地よい風を感じます。
ぶら下がっているのは風鈴です。
鈴の音も涼しげで幻想的です。
いやぁ、日本っていいなぁ~。

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現実逃避はそのぐらいにして、さて、登りますか。

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しかしこの階段、165段あるそうですが、なるだけ当時の面影を残すように努めてあるそうで、かなりうねってて歩きにくいです。
NHK大河ドラマ「義経」で、牛若丸が預けられる鞍馬山の撮影が行われた場所としても有名になったとのこと。

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随神門にたどり着きました。

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上からの眺めも良い。

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そして雅な「唐門」(からもん)の姿。

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唐門は妻を唐破風にした銅茸平入りの門で、これらの建物の周囲は彫刻でもって埋められています。
宝暦6年(1756年)の建造。

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そして素晴らしい社殿が姿を現しました。

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絢爛豪華な権現造りのご本社。

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こちらも宝暦6年(1756年)の建造と伝わります。

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建物の周囲は彫刻でもって埋められており、

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とくに龍の彫り物の躍動感に圧倒されます。

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妙義神社の祭神は、「日本武尊」「豊受大神」「菅原道真公」「権大納言長親卿」の四柱。

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創建は「宣化天皇の二年(537年)に鎮祭せり」と社記にあり、元は「波己曽」(はこそ)の大神と称し後に妙義と改められたと云います。

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妙義とは、後醍醐天皇に仕えた権大納言「長親」卿が此の地に住みついて、明々魂々たる山の奇勝を愛で「明魂」と名付けたものが後世「妙義」と改めたということのようです。

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しかしこの権大納言長親卿とは「花山院長親」(かざんいんながちか)のことと思われるのですが、終焉の地に関しては上野国妙義山説もあるものの、長親が晩年地方に下ったとする史料はなく、京都東山の耕雲庵にて薨去したとする説が有力となっています。

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そもそも花山院長親は後醍醐天皇より後の人物であり、それに仕えたという話自体が矛盾しています。

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しかしまあ、高名な何某かが、明々魂々たる山の奇勝を愛でたというのは十分に考えられること。

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本殿の裏手に回ってみれば、反射でわかりにくいですが、

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恐ろしげな天狗の面にギョッとさせられました。

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さて、お高いところから下々の者々がひいこら階段を登る様を睥睨するというのも悪くない、これが神の視点かと愉悦にひたるのもほどほどに、

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階段を転げ落ちるとザマアミロと思われそうなので、迂回ルートで降りていきます。

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なんか磐座めいたものもあったりで、このルートも楽しい。

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ここで当地の古い神「波己曽大神」について考えてみます。

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他の祭神は「日本武尊」「豊受大神」「菅原道真公」になりますが、これを言い換えると「物部家」「豊家」「出雲家」ということになります。

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この後訪れた、お隣の中之嶽神社も、古代には波己曽神を祀っていたと伝わり、波己曽とは妙義の岩峰のことを指すとしています。

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また日本武尊が妙義山に登拝し祀ったというので、それならば波己曽神は物部系の神であるということになります。

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が、ヤマトタケル神話は記紀の創作であり、当地の伝承も物部王朝勢力による圧力を示すものと思われます。
「許曽」「祁曽」などがつく神社がいくつかあり、一般に「こそ」は社を指す古い言葉であると考えられています。

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そして当地は磐座だらけ。

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つまり磐社「いはこそ」が省略され「はこそ」となったと考えることができます。

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ではこの磐座を祀った一族はだれなのか。
僕はうっすらと、豊彦の一族ではなかっただろうか、と考えています。

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ここは上毛野国、そう豊来入彦王国があった場所なのでした。

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ところでこの上級コース、およそ人の歩く道筋とは思えないのですが。。

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