妙義山をぐるり半周して、南麓の「中之嶽神社」(なかのたけじんじゃ)へやってきました。
先に訪れた妙義神社とは登山道(遊歩道)でつながっています。
が、今回は時間的問題もあって車で移動。
しかし上級者コースのこの山上は、およそ人が歩く道ではないでしょう。
実際に多数の死亡・重傷等遭難が繰り返し起こっており、問題になっているのだとか。
くわばらくわばら。
さて、さっそく境内に足を踏み入れると、
な、なにか神社に似つかわしくない、巨大なロボが!
こ、こいつ、動くぞ!
と動きはしませんが、今にも動き出しそうな超巨大黄金の大黒様です。
高さ20m、重量8.5tの大黒は、ビルの7階建てに相当するサイズだそうで、「日本一のだいこくさま」と誉れ高いのだとか。
そして背後にはこれも超御神体!
「轟岩☆」(とどろきいわ☆)です♪
そう、このイキリっ勃った御神体こそ「オレ様岩」!
苦労して山を登って、こんな岩を見つけたら、そりゃ大彦も豊彦もニンマリなのです。
境内の先には「甲子大国神社」(きのえねだいこくじんじゃ)があります。
でっかいやつと、
ちいさいやつ、その対比が面白い。
創建819年、大国主命のほか10柱が祀られており、甲子の名にあやかり、野球チームの参拝も多いそうです。
そして右に折れて、
はい、来ました、階・段、デス!
この先に神体の轟岩があり、その麓に拝殿が建立されています。
中之嶽神社は直接御神体を拝する、本殿を持たない神社の原型とも呼べる形式となっています。
もう階段はイヤだ~と思いつつも登っていくと、
圧倒的な存在感で、御神体が迫ってきます。
でけぇ~。。
拝殿は御神体に喰われています。
回廊が続いているので、洞窟の前に拝殿は建っているのでしょう。
創建は古く、第29代欽明天皇(539-571年)の御代に妙形氏が社殿を建立したと伝えられており、日本武尊が祀られています。
蓬莱信仰の物部族も磐座を祭祀していますが、この御神体はどちらかというと出雲的。
麓で大黒も祀られているので、ならばここは出雲系なのかというと、どうでしょう??
僕は妙義山を祭祀したのは豊家なのではないかと、漠然とながら感じているところです。
すくなくとも物部系のヤマトタケルが真の祭神ではないと思われます。
妙義山はデイサイト溶岩、凝灰岩、礫岩で出来ており、300万年前までの火山活動により成した溶岩体です。
中之嶽神社は第1石門から第4石門を始め、ロウソク岩・大砲岩・筆頭岩・ユルギ岩・虚無僧岩といったユニークな名前の岩石群をめぐる石門巡りコースの発着点となっています。
時間の関係で、それらの登拝はしませんでしたが、陽石の轟岩に対して、陰石の石門があるのはとても興味深いところ。
日本三大奇景の一つに数えられ、国の名勝・日本百景にも選定されている妙義山の神秘、
そこは「上毛かるた」にも採用され、今なお上毛人に愛され続ける聖地なのでした。
帰りに境内にある「中之岳ドライブイン」で名物の「みそおでん」をいただきました。
中之岳ドライブインは、宮司さんのご両親が営まれているお店なのだという話です。
ここ中之嶽神社は中曽根総理や福田総理の訪れた神社。政治家ってのは神社の御加護のぶんどり合戦までするもんなんだと(笑)
今の政治家さんは大体が日本会議のメンバーで神道とも繋がってますね。政治の中枢にあるのは未だに万歳思想なのかと思うとちょっとゾッとしますね。
それども神社はいいとこです。
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腹の黒い人たちほど、神秘の力に頼らざるを得ないのでしょうね。
日本の神は感謝を祈るもので、願うものではないのですがね。
最近は神社庁も疑惑が絶えないようで、離脱する神社も増えてきました。
でもそれらは結局人の都合なわけで、神様にしてみればどうでも良いことなんです。
神社に訪れて、ああ今日も神様は健やかであるなと確認できるだけで、心が清々しくなるものですね。
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