沙沙貴神社から少し離れた場所に鎮座する「観音正寺」(かんのんしょうじ)に立ち寄りました。 観音正寺は琵琶湖の東岸、標高433mの繖山(きぬがさやま)の山頂南側の標高370m付近にあります。 麓の参道からは1200段の階段…
月: 2020年12月
沙沙貴神社:八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 09
琵琶湖の東岸、織田信長の安土城で有名な安土に「沙沙貴神社」(ささきじんじゃ)が鎮座しています。 参道入口では、平成30年の台風21号で倒れた大樹の根本が残されていました。 表参道を進み、 突き当たりを右に折れると 重厚な…
兵主大社:八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 08
大和で勢力を強める物部勢は、執拗に大彦軍を攻め続けた。 大彦は三島の地を離れ、琵琶湖東南岸に移住することを決意した。 そこは野洲と呼ばれていた。 彼は大型の銅鐸を作り、友好国に配って銅鐸祭祀を広めていった。 大彦は和国大…
広瀬神社・三島神社:八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 07
伊豆半島を南下していくと、伊豆国一宮「三嶋大社」と「三嶋溝杭姫」とのつながりを示す神社がありました。 まずは伊豆半島の付け根、国市にある「廣瀬神社」です。 参道は珍しい、下り宮となっています。 下田街道136号線沿いに鎮…
三嶋大社:八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 06
奈良葛城に大和王国が誕生するその昔、摂津の三島家に「玉櫛姫」または「活玉依姫」と呼ばれる姫がいた。 彼女は東出雲王国の「八重波津身」の元へ嫁ぎ、3人の子を儲けた。 彼女は東出雲の揖屋の地に宮を建ててもらい、幸せに暮らした…
坂田神明宮:斎王〜倭姫命世記を追う 12
垂仁天皇八年、淡海国坂田宮に遷幸し、二年間奉斎 この時、坂田君等は、地口・御田を進った ヤマトタケルが命を落とすことになった伊吹山、そのお膝元、滋賀県米原市にある「千福神社」(せんぷくじんじゃ)を訪ねました。 のどかな村…
田村神社:斎王〜倭姫命世記を追う 11
垂仁天皇4年、ヤマトヒメは近江国の甲賀の日雲宮に遷り、4年間奉斎。 この時、淡海(近江)国造は、地口・御田を進呈した。 滋賀県甲賀市にある史跡「垂水頓宮跡」(たるみとんぐうあと)を訪ねました。 国道1号線沿いにひっそりと…
都美恵神社:斎王〜倭姫命世記を追う 10
活目入彦五十狭茅天皇の癸巳に、伊賀国敢都美恵宮に遷り、二年間奉斎した。 伊賀市柘植町に鎮座する「都美恵神社」(つみえじんじゃ)は、元伊勢「敢都美恵宮」(あえとみえのみや)に比定される神社の一つです。 長閑な集落の中に、伸…
溝咋神社:八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 番外
大阪府茨木市に鎮座する「溝咋神社」(みぞくいじんじゃ)を訪ねました。 淀川と並走する小川・安威川沿いに鎮座します。 住宅に挟まれるように参道は伸びていますが、とても心地よい空気に満たされていました。 祭神は「玉櫛媛命」 …
三島鴨神社:八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 05
伊予の大三島神社(大山祇神社)、伊豆の三嶋大社と共に「三三島」と称される、摂津の「三島鴨神社」(みしまかもじんじゃ)を訪ねました。 大阪府高槻市にある小さな神社は、大和の風雲児「大彦」に深い関わりのある神社でした。 三島…
敢國神社:八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 04
「これはマズいな」 紀ノ川河口から離れていく物部の船群を眺め、大彦は思案した。 紀元180年の頃、大和の実質的な指導者だったのは彼、大彦だった。 ウマシマジら物部の一党が紀ノ川に上陸した時、大彦は対岸におびただしい数の大…