田村神社:斎王〜倭姫命世記を追う 11

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垂仁天皇4年、ヤマトヒメは近江国の甲賀の日雲宮に遷り、4年間奉斎。
この時、淡海(近江)国造は、地口・御田を進呈した。

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滋賀県甲賀市にある史跡「垂水頓宮跡」(たるみとんぐうあと)を訪ねました。

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国道1号線沿いにひっそりと鎮座する遺跡。
意識しなければまず通り過ぎてしまいます。

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お茶畑の参道を歩いていくと、暗い杜にポッカリ入口が開いています。

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中に入ると樹木に囲まれて、社殿らしきものが見えてきました。

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社殿と思われたのは、伊勢神宮の遥拝所でした。

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「頓宮」とは斎王の仮の宿泊所のことを言います。

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「斎王」とは、歴代天皇の即位ごとに、天照大神の御杖代(みつえしろ)に遣わされた未婚の皇女、または女王を示します。

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頓宮は禊のための川に沿った場所にあり、斎王はここでより清浄な身になるための準備を行います。
しかしこの垂水頓宮跡のすぐそばに元伊勢「日雲宮」の比定地の一つがあったのに参拝忘れました。
痛恨のミス、まあいいか。

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同じく1号線沿い、垂水頓宮跡から程近いところに鎮座する「田村神社」(たむらじんじゃ)へやってきました。

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心地よい参道を歩いて行きます。

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この参道の一部は、東海道に重なるそうです。
なるほど、いにしえの道でしたか。

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田村神社といえば、香川県高松市にある讃岐國一宮が有名ですが、滋賀の当社は田村社の総本社にあたります。

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創建は垂仁天皇45年4月8日、甲可翁が天照大神を奉じて甲可日雲宮に鎮祀した倭姫命の生霊を鎮祭して高座大明神と称したことに由るのだそうです。

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この田村神社も『倭姫命世記』に「甲可日雲宮」とある元伊勢の有力な候補地。

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さらに平安時代、近江国と伊勢国の国境である鈴鹿峠に悪鬼が出没するというので、嵯峨天皇の勅命で坂上田村麻呂が出向き、これを平定させたと伝えられます。
この田村麻呂の遺徳を仰ぎ、勅によって創建されたのが田村の社名の由来とも云われています。

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田村麻呂が亡くなった翌年、弘仁3年(812年)に、嵯峨天皇の勅によって坂上田村麻呂をまつる祭壇が鈴鹿峠の二子の峰に設けられました。
同年、この近辺で疫病が発生したために嵯峨天皇の勅命によって当社で厄除の大祈祷が行われ、この験により厄除の神として崇敬されるようになったと云うことです。
弘仁13年(822年)高座大明神である当社の傍に二子の峰にあった田村麻呂を祀る社を移して高座田村大明神と称し、現在に至ります。

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拝殿の裏手に回ると、また神侘びた参道が続いていました。

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太鼓橋を渡った先にあるのが本殿ですが、

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橋の左手に石灯籠、

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そして右手に小さな祠が見えます。

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予め社務所で福豆を購入し、

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ここに歳の数だけ豆を巻いて厄を落とすシステムのようです。

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一袋だけ買って、あれ、歳の数足りないやん、と思ったのですが、そうか足りなければ数袋買いなさいということだったようです。
まあいいか。

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田村神社では毎年2月18日を中心とした3日間に執り行われる厄除大祭「田村まつり」が有名なのだそうです。
この神事の起源は、先に記載した厄除の大祈祷によるものと伝えられていました。

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坂上田村麻呂が嵯峨天皇の勅命で、に鈴鹿峠の悪鬼を平定した際、田村麻呂は残っていた矢を放ち、矢の落ちたところに自分を祀るよう告げたのだそうです。

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そうして建立されたのがこの本殿だと伝えられています。

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天文の兵火により焼失していますが、かつては嵯峨天皇宸筆の勅額もあったそうです。

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祭神は「坂上田村麻呂」「嵯峨天皇」「倭姫命」。
配祀神として「稲倉魂命」「大己貴命」「国狭槌尊」「大山咋神」「荒魂」を祀ります。

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それにしても気になるのは、鈴鹿峠の悪鬼とは誰だったのか。
鈴鹿といって思い浮かぶのは、サルタ彦を祀る椿大神社なのですが。

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そもそも坂上田村麻呂の蝦夷討伐自体が胡散臭過ぎます。

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物部王朝最後の大王が13代成務帝です。
それから40代ほど代替わりがなされた頃に、何故また蝦夷討伐が決行されたのか、この謎は闇が深い気がしています。

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田村神社には重宝として田村麻呂所持の楚葉矢の御剣と矢鏃三個が納められているとのことでした。

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鈴鹿山脈の山懐に鎮座する「三上六所神社」(みかみろくしょじんじゃ)です。

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田園の中にある素朴な神社。

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大神宮社、天王神社、大皇神社、貴船神社(高龗神)、吉野神社(蔵王権現)の五所と本社を併せたことが社名の由来だそうです。

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この六社のうち、「大神宮社」が元伊勢「日雲宮」の比定地の一社でした。

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境内にはやたら立ち並ぶ狛犬の姿が。

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そして本殿の前には、狛犬に混じって異質な犬の像が見えます。

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この犬は三上三郎氏の犬だそうです。

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その昔、このあたりでは毒蛇猛獣の被害に遇う村人が後を絶ちませんでした。
困り果てた村人は、野州の御上神社に祈願することにします。

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すると、御上神社に奉仕をしていた三上三郎なるものが二匹の犬を連れて当地を訪れました。
三上三郎は犬を放ち、毒蛇猛獣を見事駆除してみせたのです。
以来、村人たちは安心して当地に住めるようになったと云うことです。

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三上六所神社の祭神は「天之御影神」と「三上三郎公」、「元正天皇」。
合祀された祭神として「天照大御神」「豊受大御神」(以上大神宮社御祭神)、「惟喬親王」(大皇神社御祭神)、「稲倉魂命」「素盞鳴命」「大己貴命」(以上天王神社御祭神)となっています。

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ところでこの三上三郎の毒蛇猛獣駆除の話、やはり坂上田村麻呂の鈴鹿峠悪鬼平定の話と被っていると思うのですが。

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そして境内の樹木の1本に巻き付けられた荒縄は、

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出雲の藁蛇をどこと無く彷彿とさせるのでした。

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三上六所神社から更に山中へ。
「若宮神社」です。

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参道の紅葉と椿の、なんと美しいこと。

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当社の情報は極めて少ないのですが、一つ有用な情報を発見。
「心のホットステーション CoCotime」さんのブログです。

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このような山奥の小社なのに、意外に参拝客が多いのに驚きました。

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なんでも選挙や勝負事に有名な神社だそうで、お偉いさんも参拝され、ご信託を受けられるのだとか。

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政治家ってやたら神様や霊媒師に頼りたがるよね。
神に頼るより、人に頼られる人物にならないと、ね。

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当社創建は垂仁天皇の頃、635年と推測されています。

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祭神は月読命(つきよみのみこと)。

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甲賀武士53家の1つ、大河原氏の祖である足利又太郎を祀っているという情報もありました。

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本殿の横に摂社群があり、

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そのひとつ「皇大神宮」が元伊勢「日雲宮」の比定地の一つとされています。

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厳かな空気が流れています。

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 「心のホットステーション CoCotime」さんのブログでは、当社の神主は毎年、氏子の中から選ばれ、厳しいしきたりを守りながら続けられているのだそうです。

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境内でひと際目立つ、立派な御神木。

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この御神木は樹齢二千年を数えるのだそうです。

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実に雅な神社。
遥々やってきて良かったです。

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