沙沙貴神社から少し離れた場所に鎮座する「観音正寺」(かんのんしょうじ)に立ち寄りました。
観音正寺は琵琶湖の東岸、標高433mの繖山(きぬがさやま)の山頂南側の標高370m付近にあります。
麓の参道からは1200段の階段を登ることになるそうですが、幸い車でかなり上まで行くことができます。
有料ですが。
参道を歩くと、大きな岩がいくつも露出しているのが目に止まります。
そして明らかに人工物の石垣も。
ここは佐佐木城址でもあります。
観音正寺は天台宗系の寺院で、西国三十三所の第32番札所にあたります。
山号は繖山(きぬがささん)。
本尊は千手観世音菩薩。
本尊真言:おん ばざら たらま きりく
ご詠歌:あなとうと導きたまえ観音寺 遠き国より運ぶ歩みを
由緒では創建は聖徳太子が自刻の千手観音を祀ったのに始まると云います。
しかしその話は二通り伝えられていました。
聖徳太子がこの地を訪れた時、なんと人魚に出会いました。
前世が漁師であった人魚は、殺生を業としていたため、現世でこのような姿になり苦しんでいました。
人魚は苦しみのあまり、聖徳太子に自分を成仏させてほしいと懇願したのです。
その願いを受けた太子は、当寺を建立して自ら千手観音像を作って本尊としたのだと言い伝えられています。
かつて観音正寺には人魚のミイラと称するものが伝えられていましたが、1993年(平成5年)の火災で焼失したのだとか。
別の伝承は、聖徳太子がこの地を訪れた際に天人が繖山の巨岩の上で舞っていたのを見て、その岩を天楽石と名付け、聖徳太子自ら妙見菩薩を始めとする五つの仏をそこに刻んだというものです。
さらに聖徳太子は天照大神と春日明神のお告げに従い、山上に湧く水で墨をすって千手観音を描いたところ、釈迦如来と大日如来が現れて霊木で千手観音像を作るようにとの啓示を受けました。
こうして聖徳太子は自ら霊木で千手観音像を彫り上げ、天楽石を奥の院として当寺を建立したというものです。
なら最初から木で作るように言えよ、と聖徳太子も思ったことでしょう、きっと。
しかし実際は、遅くとも11世紀の平安時代には当地は聖域として存在していたようで、聖徳太子の伝承は後付けの物であると解釈されます。
それはともあれ、本堂の横にある
積み上げられた石の山は圧巻です。
まことこの世とも思えぬ景観でした。
さて、僕がこの観音正寺に立ち寄ったのは、聖徳太子の伝説を確認するためでもなく、西国三十三所を遍路するためでもありませんでした。
ここに磐座があると、教えてくれた女性がいました。
nokananさんです。
参道の途中にねずみ岩という磐座がありました。
なるほど、ねずみに見えなくもない。
しかし彼女が指し示した磐座は、おそらくこれではないでしょう。
もう少し降ったところにありました、
これといった案内もありませんが、鳥居だけがやたら聖地感を主張しています。
それにしても「たくのいん」と彫ってあるのでしょうか?
「おくのいん」ですよね。
鳥居まで踏ん張って登ります。
そこにはぬりかべのような一枚岩。
さらにその先、ざわざわします。
いくつもの巨岩が折り重なった磐座。
なんというパワー感でしょう。
ポッカリと空洞のような穴が見えます。
うひゃ~冷気というか霊気が流れてきてそう。
これは例の脊振のアレを彷彿とさせます。
ここに寺が建つ遥か前から、当地は佐佐木氏の霊地だったのでしょう。
古代磐座祭祀の、リアルな痕跡が残されていました。
ひょっとしたら、大彦もここで神を祀ったのかもしれません。
ここを教えてくれたnokananさんの情報力には、まったく驚かされました。
https://www.nijl.ac.jp/koten/kuzushiji/post.html
ご参考までに。
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なるほど〜、この「お」なんですねー。
くずし字・変体仮名、ふむふむ、エロい!👍
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「お」の変体仮名の「於」の墨入れの一部がハゲチャッたのではないかな?
と変態の私は思いました。
いつも興味深い投稿ありがとうございます。
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