山梨県大月市猿橋町猿橋に、国の名勝にも指定されている一風変わった橋があります。
「猿橋」(さるはし、えんきょう)です。
猿橋に向かう途中で「恋塚一里塚」(こいづかいちりづか)なるものを発見!
恋塚、良い響きです。
往古に恋人たちが人目を忍んで、ここでうはうはしていたのかと思い馳せましたが、違いました。
慶長9年(1604年)に徳川秀忠は大久保長安に、日本橋を起点に全国の街道に一里ごとの塚を設置するように指示しました。
甲州道に位置するこれもそのひとつ。
直径約12m、高さ約5mの綺麗な円丘の恋塚は一里塚の中でも、とても状態よく残されています。
大切な史跡なので、カップルでうはうはしてはいけません。
さて、猿橋にやってきました。
駐車場も完備されています。
すぐにお目当ての橋は見えてきますが、手前に山王宮があります。
ここには猿王が祀られているのだそうで。
そしてこれが猿橋。
木製で風情はありますが、至って普通の橋、かと思いきや、
横から見ると、なんじゃこりゃ!
ちっこいおっさんの集合住宅かいな?
これは深い谷間である故に橋脚を用いるのではなく、両岸から四層に重ねられた「刎木」(はねぎ)とよばれる支え木をせり出して橋を支える構造になった「刎橋」(はねばし)と呼ばれるもの。
造り方はまず、一番下の位置の岸の岩盤に穴を開けて刎ね木を斜めに差込み、中空に突き出させます。
その上に少し長い同様の刎ね木を突き出し、下の刎ね木に支えさせます。
これを何本も重ねて、中空に向けて遠く刎ねだした足場に板を敷いて橋になるのです。
猿橋は、刎ね木や横の柱の上に屋根を付けて雨による腐食から保護したので、このような特殊な景観になりました。
猿橋は「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋のひとつで、広重の「甲陽猿橋之図」や十返舎一九の「諸国道中金之草鞋」などに描かれました。
猿橋の由来は不明とのことですが、地元の伝説によると古代の推古天皇610年ごろ、百済の渡来人で造園師である志羅呼(しらこ)が猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て思いついたのだと言い伝えられています。
1934年(昭和9年)に上流に新猿橋が造られ、当時の国道8号(現在は山梨県道505号)がそこを通りました。
また1973年(昭和48年)には別の新猿橋が下流に造られ、国道20号が通るようになりました。
新猿橋との間にあるゴツゴツした建造物は
八ツ沢発電所の一号水路橋で、今も大量の水が流れているのが見えました。
猿橋は幾度か合戦の戦場にもなり、また幾度も架け替えが行われてきました。
現在の猿橋は、実はH鋼に木の板を取り付け、岸の基盤をコンクリートで固めて造られているそうです。
とはいえ、昔から人々に愛されてきた愛嬌のある橋の姿が、そこに今もあったのでした。
あそこは神世七代の地ですからね。
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あめつち姫路様、ご返信が遅くなり、大変失礼しました。
あそこは、というのは安来の比婆山のことでしょうか。
この世界にはとても神秘的な場所が、まだまだたくさんありますね。それがとても嬉しいのです。
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安来の比婆山はねこちゃん革命の発祥の地です。
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島根の比婆山は、行きたいと思いつつまだ未訪問の場所です。
しかし「ねこちゃん革命」とは??
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