鬼の釜古墳:八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 19

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北安曇郡池田町にある「鬼の釜古墳」を訪ねました。

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町指定の文化財ではありますが、あまり多くの人には知られていないようです。

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かろうじて道と呼べるような、そんな道を上っていきます。

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ここを教えていただいた方は、タケミナカタのご子孫を称されるH氏でした。
H氏のご先祖は、代々この古墳を守ってこられたのだとか。

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氏曰く、1400年ほど前に祖・八面大王討伐以来、静かに安曇の地にて定住しておられるとのこと。
千曲川沿には同族、士族の末裔の方々が今も多数いらっしゃるのだそうです。

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八面大王とは「魏石鬼八面大王」のこと。
僕は先の投稿で、「八面」を「やめ」と読むことから「八女の大王」(やめのおおきみ)と結びつけましたが、H氏によると違っていたようです。

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氏によると八面大王は安曇族(レビ族・天皇・祭神王)と出雲族(セム族・大国主・大王)の両族の血を受け継いだ王なのだと説明されます。

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H氏のお話は、お父様・ご祖父様から代々伝承された話を元にご自身の検証も含まれているようでした。
僕の旅のベースとなっている富王家伝承とは大きくかけ離れた内容ではありましたが、一部に符合する部分もあり、大変興味深いものでした。

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安曇野にあった古代安曇湖にはタツノコタロウの伝承があります。
タケミナカタと妻の八坂刀売媛(安曇族支族八坂族の媛御子)の子に「阿都之命」がおり、彼がタツノコタロウのモデルなのだそうです。

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彼は山清路と言う場所の岩を壊し、湖を開流し開拓したと伝えられます。
その末裔である八坂支族が住んでいる場所が犀川(千曲川)沿いの集落であると。
そしてその一族から八面大王が誕生します。

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つまり八面大王は安曇野の王であり、たいそう人々に慕われていたとのことでした。

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しかし崇神帝(物部イニエ)が息子の「仁品王」(ひとしなおう/垂仁帝の弟)に八面大王の討伐命令を出しました。
そして仁品王の子孫が仁科氏としてそのまま当地に住み着いたということです。

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後に仁科氏は滅亡しますが、とは言っても子孫は残るようで、彼らはすでに八面大王討伐の話すら知らない様でした。

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ひっそりと隠される様にある鬼の釜古墳ですが、その埋葬者は誰なのか。
八面大王ではないと思われますが、その縁者である可能性は濃厚です。
タツノコタロウ、かもしれません。

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鬼の釜古墳の参道からは、のどかな安曇野の集落が展望できました。

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鬼の釜古墳から少し降ると、ちょっと気になる神社を発見しました。
「堀之内三島神社」です。

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ちいさな村社ですが、三島神社といえば三島溝咋姫(みしまみぞくいひめ)が思い起こされます。
そう、事代主の后のひとりで、クシヒカタの母君です。

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また摂津三島は大彦が拠点とした場所でもあり、ここでも大彦の影がちらつきます。

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境内には道祖神がしっかり祀られています。

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やはり八面大王は大彦ゆかりの者ではなかったか、僕にはそう思えてなりません。

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H氏の話は地元に根付いた伝承であり、それはそちらが正当なのだろうと思いますが、H氏のそれはかなり壮大な内容であり、時として真実味に疑問を感じるものでもあります。

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まあ、僕に推し量れるのはこの辺りが限界でもあるのですが。

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さて、安曇野に来たら蕎麦が食べたいなと思い、検索して蕎麦屋を見つけました。

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しかしそのお店は、驚くほど辺鄙な場所にありました。

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「かたせ」さんです。

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新しくも渋い店内。

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良い雰囲気です。

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さっくさくの天ぷらとつるっつるのお蕎麦をいただきました。
旨い。
さすが安曇野、わさびも芳醇です。

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さて、九州にも鬼の釜古墳があるというのでやってきました。
その場所は熊本の人吉です。

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熊本と長野は、多くの不思議な一致が多数あり、その謎の解明に苦しみます。

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八面大王と阿蘇・高千穂に伝わる鬼八との不思議な一致。
「アララギ遺文篇」でもその謎に迫ってみましたが、やはり今ひとつスッキリしません。

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熊本の鬼の釜古墳は、あっけないほどにぽつんと、道端に鎮座していました。

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しかしその風貌はどことなく、安曇野のそれを彷彿とさせます。
まあ古墳とはだいたいこんな感じといえばそうなのですが。

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H氏とは富氏の見解で相違があり、今ではお付き合いしておりません。
しかしタケミナカタのご子孫であるというそのお話で、僕が今も氏を敬う気持ちに変わりはないのです。
出雲族の血こそ日本人の誇り、まことに尊いものなのですから。

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