御座石神社:八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 25

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八ヶ岳の山麓にあたる山深い糸萱から、バスに揺られて下ってくると、今まで視界をさえぎっていた山肌が消えて、パッと眺望が開けるところがある。
一面、なだらかな平野で、山の間を流れてきた急流の幾筋かが、合流して渋川と名を変えるのも、このあたりである。
このあたりを、通称で「鬼場」といい、バスの停留所も、同じ「鬼場」という名を使っている。
ここは、山を背後にひかえ、川を抱えた、なだらかな丘陵地帯なので、古代人にとっては、かなりの要地として栄えたものと想像されるのだが、今井野菊さんによれば、予想通り、この地帯には、農耕の神、狩猟の神、漁労の神がそれぞれにまつられ、三つの異なった文化が重層しているということである。

- 日本原初考1『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』古部族研究会 編 -

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長野県茅野市の本町にある「御座石神社」を訪ねました。
御座石の読みは「ございし」が一般的のようですが、本来は「ごさんしょ」と読むそうです。

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三叉路の間に境内が設けられた当社は、諏訪大社上社の境外摂社で、毎年春に行われる「どぶろく祭り」が有名だとのこと。

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表参道入り口横に「御履石」と呼ばれる石があります。

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当社の由緒によると、タケミナカタの母「高志沼河姫」(こしのぬなかわひめ)が鹿に乗ってこの地にやって来たと伝えられており、この石の上で姫が履物を履き替えたとされています。

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高志の国・翡翠の女王沼川姫が果たして当地まで訪れたであろうか。
夫・八重波津身を失って彼女は里帰りをし、越国(新潟糸魚川)で夫との思い出に包まれて天命を遂げた、というのが僕の考えです。
しかし偉大な母神の御霊は、息子タケミナカタによってこの諏訪王国に祀られたはずです。

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境内に足を踏み入れると、そこに素朴な丸太を使って建てられた鳥居があります。
この木の鳥居は「黒丸大鳥居」と呼ばれ、御柱の代わりに七年に一度建て替えられるのだそうです。

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なるほど、社殿の方を見てみると、

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諏訪で小さな社にまで見られる、四方の御柱がここには立っていません。
諏訪地方では祭神が女神の場合、御柱を立てないのだそうで、その代わりに黒丸大鳥居が建てられます。
そういえば、鳥居は4本の柱で出来ています。
御柱が鳥居の起源であるということはないでしょうが、面白い事実です。

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拝殿の手前に、狛犬の代わりに二つの石が鎮座しています。

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境内には他にも、このような石が置かれていて、樹木と石の多さに何かしらの意図を感じないわけにはいきません。

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拝殿の手前に結界で囲われた石を発見。

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これが「御座石」と呼ばれ、社名の由来となっているようです。

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確かに、沼河姫を乗せてやって来た鹿が付けた足跡のような窪みがあります。
社名は姫が滞在したことから、当初は「御座所宮」と呼ばれていたものがいつしか御座石神社になったのではないかとも、入口の案内板には書かれていました。

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ところで、僕が当社を訪ねたきっかけは次の書籍群によるものでした。

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それは日本原初考シリーズの「古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究」「古諏訪の祭祀と氏族」「諏訪信仰の発生と展開」の3冊です。
これらの書籍群は諏訪の古代史、とくに難解なミシャグジ信仰を知る上で欠かせない書でありながら、長い間絶版となり、中古にはン万円の値が付けられていました。
それが 「人間社文庫」さんから驚く低価格で再販されたのです。
その情報をヤマレコでこの『偲フ花』にリンクをくださっているnarisawa110さんの記事から知ることができました。
ネットでは既に売り切れになっており、再び中古本が徐々に値上がりしているようです。

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ちなみにnarisawa110さんのヤマレコの記録を拝見すると、非常に多くの文献を読まれており、そこに記される山々を自らの足で巡礼されています。
その記録の数々はまことに素晴らしいものです。
ダンノダイラ白石の神域は、narisawa110さんのおかげで僕は辿り着けました。

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さて、初版が40年以上前という日本原初考シリーズの3冊についてですが、それは「今井野菊」さんというお一人の女性が長年にわたり、たった一人で調べ上げたミシャグジについての膨大な記録と資料が根幹となっています。
当時74才のその彼女を、古部族研究会と称する「野本三吉」「北村皆雄」「田中基」の3氏が取材し、古代諏訪とミシャグジ信仰について研究された、それは深い深い内容なのでした。

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実は僕は、この3冊をほとんどまだ読み通せていません。
僕が読んで理解できているのは、シリーズの第1巻にあたる「古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究」の前半部分程度なのです。

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つまりこの深い、深いミシャグジ神の考察にあたり、まだその入り口にしか立っておらず、またそこから深く踏み込む勇気をもてないでいるのです。
それでもこの3冊が語るエッセンスは、その冒頭の部分に詰まっているのだと思われました。

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日本原初考シリーズ3冊の書籍の中心は、今井野菊さんと彼女が調べ記した膨大な資料となります。
が、もともと今井野菊さんは、諏訪の老舗の寒天屋「地紙世」(ぢがみせ)の女主人でした。
そのような女性が、なぜこのような世界に足を踏み入れたのか。

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ある時、野菊さんは50名あまりの方々と茅野市(旧宮川村)の「村史」を編纂することになったのだそうです。
彼女はもともと郷土史への関心を持って独自に調べていたこともあり、この村史編纂の話を聞いた時、自分の生命を賭ける仕事だと直観したということです。
しかし野菊さんが情熱的に調査するのとは逆に、会員の人たちは一人減り二人減りして、二年もたたないうちに残されたのは野菊さんただ一人になってしまいました。
それはなぜか?
それは宮川村史をやろうとするかぎり、諏訪社の成立と、その鍵を握る「前宮」の全体像を明らかにしなければならず、また「御柱祭」の謎、洩矢民族の系譜、諏訪大祝の系譜、そして更にはそれを底辺で支払えていた「ミシャグチ神」という土着信仰の深淵に足を踏み込まなければならなったからなのです。

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たった一人になってしまった野菊さん。
しかし彼女の執念の探究は止まる事はありませんでした。
野菊さんは昭和34年6月から、全くの独力で「研究報告」をガリ版で出しはじめたのだそうです。
そしていつしか、ミシャグチ神を求めては見知らぬ土地へ出かけ、何日間も歩きまわる日々が始まり、時には泊るところもなく木の陰で仮眠したこともあるといった具合だったそうです。
ついに彼女は三千に及ぶミシャグチ神の痕跡を訪ね歩き、二十一冊に及ぶ調査報告書を書き上げました。

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その今井野菊さんは、古代諏訪を知る上で重要な遺跡のひとつがこの御座石神社であるとしています。
この一帯の地名は「鬼場」と言い、その中心に御座石神社が鎮座します。
野菊さん曰く、その両隣りには「千鹿頭神社」「矢剥神社」があり、また「天白神」もこのあたりにはまつられていた形跡があって魚類を棒げていたといいます。

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境内の隅に、小さな社がありました。
書籍には御座石神社のすぐ近くに朽ちかけた古い社があり、これが「千鹿頭神」を祀った神社だと記されていましたが、これがそうなのでしょうか。
あたりに神社らしきものは、他に見当たりません。

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いずれにせよ、この御座石神社のありようは、出雲系勢力が洩矢族を習合していった痕跡を示しているように思われます。
当社で行われる無形文化財の「どぶろく祭」では鹿肉を神前に供えるのですが、この祭で使う火は必ず火切臼・火切杵で発火したものでなければならないとされています。
この火切臼・火切杵の祭りは、東出雲・富家の本家があった熊野大社でも、今尚受け継がれています。

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しかし農耕民族であった出雲族が諏訪を統治するようになっても、狩猟民族の祭祀は色濃く残されていきました。
それは「壮絶」と言っても良いほどに。

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狩猟民族系の祭祀とは、いわば神に捧げる「贄」の儀式です。
諏訪大社は表向きは出雲系のタケミナカタを祀る神社ですが、上社前宮は「御頭祭」(おんとうさい)に見られるように、明らかに狩猟系・洩矢族を中心とした聖蹟です。
そしてその贄の儀式は、現代の風潮に合わせて剥製などが用いられるようになったとはいえ、今もなお続けられています。

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この「鬼場」という地名も、今井野菊さんはかつては「御贄場」(おんにえば)とよばれいたのではないかと唱えています。

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狩猟や漁労で獲れた獲物や鹿をここで捌き、肉を狩猟神(諏訪明神・千鹿頭神)に捧げ、そのあと一同で食するというものです。
そして諏訪の祭祀の深淵は、まださらに奥に闇深いものがありました。
それは神使の密殺です。

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思えば毎回死人が出るという御柱祭が、なんの対策も講じられないまま今も続けられていることに不思議さを感じます。
荒っぽい祭りは日本各地、世界各地にあり、時として死者もありうるものですが、確かに御柱祭のそれは多すぎます。

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祭りによる死は誉れなのか、その解釈の縁に立たされているような心持ちで、僕は当社を後にしたのでした。

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4件のコメント 追加

  1. narisawa110 より:

    おお、なんとストックの投稿でありましたか。ちょうど長野にいらしてると思い慌てて投稿した次第です。
    先の投稿の私の名前のところにサイトを関連つけておきました。
    諏訪や辰野町の神社の訪問には「八ヶ岳原人」さんのホームページがお勧めです。
    小野神社の西川には里山ですが霧訪山があり、360度の眺望があります。
    私の山レコサイトに小野神社とその山のレコをUPしてあります。

    一般に物部氏に所縁のあるとも分類される事のある弥彦神社ですが、小野神社の隣にあります。
    同じ神社の神様でも同一人物とされる五十猛と天香具山。
    称するにしても敢えて香具山と称するのには必ず意味があると私も考えています。
    大彦の系譜とも言われる高橋家は新潟の北側、新発田市にまで伸張しており、私も新潟の弥彦神社は大彦の色彩が強いと考えています。
    祭神を敢えて五十猛にしなかったのには意味があるのだと今では思っております。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      八ヶ岳原人さんのサイトは僕も重宝しています♪
      古諏訪を訪ねる上で欠かせないサイトです^ ^
      名前は重要な手掛かりになりますね。
      邪馬台国と言われる大分の宇佐には、宗像三女神が降臨したという参上神社がありますが、その鳥居の扁額には何故か二女神社と書かれています。
      敢えてそうした何かがあると思えてなりません。

      いいね

  2. narisawa110 より:

    最近バッチリフォローさせて戴いておりますNarisawa110です。
    故郷長野県の来訪、心より歓迎申し上げます。

    「宮木諏訪神社」も大変お勧めです。神官家の一つ矢島家の諏訪神社で、大国主のお母様、タテミナカタ神のおばあさんの墓所があります。「刺国若比売命」と名前が付いていて色々ですが、お帰りの際には機会があれば立ち寄られてみてください。

    御朱印などはやっておらず常駐の方もいない処ですが、諏訪神社の中ではちょっとした格の神社で、諏訪の御柱の前に神事が行われ、形式上、その神社の神事が終わらないと御柱が出来ないという位置づけになっています。

    信濃の国三ノ宮、小野神社も御柱祭で有名ですが、なぜかこの神社だけ特殊な神事を受け持っている様です(地元の方が私のお客様で氏子総代までやられていたので確かな情報です)

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      Narisawa110さま、良い情報ありがとうございます♪
      じつは現在アップしている記事は、昨年秋に訪ねた時のものです。
      ブログ用の記事は現在50ネタ以上がストックされている状態で、自粛要請が出てもネタに困らない状態です(笑)。
      近々では広島北部から山陰石見方面にかけて、連続プチ登山の旅に出かける予定です。

      長野にはまだまだ訪ねてみたい場所がたくさんあって、隙を見て旅立とうと目論んでいます。
      タテミナカタ神のおばあさん、興味深いですね。
      宮木諏訪神社・小野神社もぜひ目的地の一つに加えさせていただきます。
      新潟の暮らしはいかがですか?
      弥彦神社の真の祭神は大彦だと思っています。
      お隣の山形は良い山が多く、特に月山の美しさには魅了されました。
      東北もおすすめですよ♪

      いいね

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