当社は荻で屋根を葺いていたので、「荻の宮」と呼ばれた
初代大祝・有員が役目を終えた後、崇敬し、広大な社殿を造営したという足長神社。
その元宮らしき場所があるというので訪ねてみました。
細い路地を抜けてたどり着いた場所にびっくり。
天を突くような大樹の元に、素朴な神社「萩の宮」はありました。
まるでミズチが這い上っているような大樹。
これは神が木を伝って降りるという、ミシャクジ信仰そのもののような神社です。
かつては萩で葺いていたという屋根も、今は銅板に。
社殿の裏手にも小さな祠があり、
それを優しく包み込むように、大樹の枝が伸びています。
よくみると、小さな祠の屋根には稲のようなものが乗せられています。
萩の屋根の代わりでしょうか。
ミシャクジの聖地はどこか、おどろおどろとしたものを感じさせる場合が多いのですが、この地のなんと清らかなことでしょう。
ここに立っていると、ミシャグジも本来は生贄など望んではいないように思えてなりません。
さて、『蘇竜聖園』の紫竜氏に教えていただいた足長丘公園。
足長神社から少し上った先にあります。
ここにはかくも見事な夫婦の磐座が鎮座しています。
この素晴らしい、貴重な出雲の痕跡が、バイパス工事によって今失われようとしているとのこと。
有員は足長神社をとても重要な神社と位置づけ近接地に居住したため、 その地は「御曾儀平」(みそぎだいら)と呼ばれました。
より多くの人にこの状況を知っていただき、貴重な神跡が保護されることを心から願っております。
話は変わりますが、前宮で行われていた重要な神事に「御室神事」があります。
これにはミシャグジ神とともに、「そそう神」という神が重要な役割を担ってきます。
御室神事とは農耕の神事で、12月の23日からはじまり、翌年の3月までじっと地の底に隠れ、春に種をまくための準備をする期間の神事なのだそうです。
ミシャグジは石棒を御神体とされることがあり、であるなら石皿がそそう神ということになるのでしょうか。
つまり元来は洩矢の祭祀も、自然の中の循環を見ていたのではないかと思えるのです。
それは「古事記」の中で殺される女神・オオゲツヒメしかり、インドネシア由来の「ハイヌヴェレ神話」しかり、はたまた土で作った女神像を壊して埋めるという行為しかり。
深雪地方などの過酷な環境だからこそ、命をもって命の豊穣を願うという究極の祭祀に行き着いたのかもしれません。
それを豊かさにどっぷりと浸かった今の僕らが、安易に非難できることではないのでしょう。
ただただ、失われた尊き命のご冥福を祈るばかりです。
足長公園の磐座について書いていただき、ありがとうございます。。 私も気持ちを新たに、行政等とも根気よく話し合っていこうと思っています。。 なかなかわだかまりはとけませんが・・・(笑)
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記事が遅くなりました!
そして僕が書けるのはこの程度のことで、力の至らなさを実感しております。
諏訪に限らず、失われる聖蹟の多さ。
全ての遺跡を保存していては、現代の私たちの暮らしが窮屈になるのも理解できますが、残すものと破壊するものの線引きが難しいですね。
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