「庭中の 阿須波の神に 小柴さし あれは斎はむ 帰り来までに」
– 『万葉集』巻二十・防人の歌 –
千葉県市原市市原の「阿須波神社」(あすはじんじゃ)を目指します。
が、こんなところに!?ってくらい辺鄙な場所に、その神社はありました。
当社は旅の安全を司る神を祀るとされ、境内には冒頭の万葉句碑が置かれています。
「庭の中の阿須波の神に小柴を挿し、私は身を清めて祈りましょう。あなたが無事に帰って来られるように」
更級日記の著者である菅原孝標の次女らも旅の無事を願って、この阿須波神社から出発したと言われています。
句碑の裏に由緒が彫られています。
「万葉集二十のうち一首。万葉歌人の神に対する信仰はきわめて熱烈であった。海山口の神、一郷一村一家の神、しかし神職は多くいなかったので家人が直接祭祀した。これは旅行中の平安を神に祈って家人が祭祀したその時の歌」
阿須波とは大彦の子孫・足羽氏のこと。
越前国からはるばる上総国までやってきたので、旅の神とされたのではないでしょうか。
それにしても、大彦の血のなんとたくましきことかな。
キリコさんが仰るとおり、原型はアラハバキかもしれませんね。同族が国造を務めた伯耆でも「波波伎神社」がありますし。。というより、複数の存在が集合しているようにも思えます。いずれにしても、我が家の話も合わせて考えますと、それは女神であることは間違いないだろうと思われます(片倉辺も)。 ちなみに、私の一族を新羅系と見る研究者もいるようです。神功皇后との関わりや、祖先が領有していたと考えられる土地に新羅系の遺物が多いことからそのように考えられているようです。。 片倉辺についてですが、元々は佐久平が本拠地です。。時代の流れで南下し(崇拝する集団が)、最終的に守屋山南麓に落ち着いたのかな?と思われます。。
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新羅系ですか。
しかし父方もあれば母方もあり、実際に血とは複雑に絡み合っているものです。
女神信仰はどちらかというと出雲的ですよね。
僕は神功皇后は確かにヒボコの血を引いているとは思うのですが、一方豊家の血も受けていると考えています。
でなければ、豊彦の子孫を養子にはもらい受けることはできなかったでしょう。
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阿須波神は私の家と同族が国造を務めた土地に祀られる傾向があり、市原の阿須羽神社もその一つだと聞いています。。今でも同族が祭祀を続けるのが大阪の「イカスリ神社(かつてはアスワ様と呼ばれていた)」です。先代旧事本紀に「エタモヒ後裔」と記されるのがそれに該当するらしく、記紀に記された「ツゲ国造」というのも同族だといいます(祖父談)。。
また、我が家では「片倉辺」を氏神として祀っており(確実な記録は平安末から)、この神と阿須羽神とは何らかの関係があるだろうと思われます。。 私が初めて憶えた漢字も「片倉辺」でした。。 富家伝承とは異なる話ではありますが、そのような話もあるということで紹介させていただきました。。
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貴重な情報ありがとうございます♪
イカスリ神社は参拝したことがありますが、神功皇后ゆかりとしか認識していませんでした。
片倉辺の神は初耳ですが、調べてみるとタケミナカタの子神で、守屋山の南麓に坐すのだとか。
謎は深まりますが、福井の足羽神社の祭神は本来は阿須波神だったと思われ、一緒に祀られる波比岐神はアラハバキ神だと思っています。
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