「温泉津」とかいて「ゆのつ」。
旧石見国にあたる島根県大田市温泉津町の小さな港町にある、鄙びた温泉街に泊まってきました。
五十猛から国道9号線を西に15kmほど、左手に石見銀山を通り過ぎた先で右に折れると温泉津港があります。
そこは小さな港町。
もともとは島根県邇摩郡に属していた町でしたが、後に大田市に吸収合併されました。
町域面積は71.81k㎡、2004年3月末時点での人口は3962人だったそうです。
町名は「温泉の有る港」という意味で「ゆのつ」。
しかし読めそうで読めないその町名は、難読地名とされています。
港の脇で崖に埋もれるようにあった御堂の中には、石仏が所狭しと並んでいました。
港にある観光案内所「ゆうゆう館」では、温泉むすめが走って出迎えてくれました。
ゆうゆう館内では地元のお土産品がリーズナブルな価格で販売しており、助かりました。
そこから温泉街をぶらり散策。
温泉津温泉街は温泉地としては全国で初めての、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
20分程度で一周できてしまうコンパクトな温泉街にはお寺が点在し、商店も数件存在します。
数少ないお土産物屋のひとつが温泉せんべいの「花月堂」さんで、素朴なせんべいを僕も賞味させていただきました。
コロナの影響もあるのかもしれませんが、レアな温泉街とあって観光客であふれるという感じではありません。
さて、僕の今夜の宿はゲストハウス「湯るり」さんです。
基本的に朝が早い僕の旅では、宿は寝られれば良いということもあり、リーズナブルなゲストハウスを利用することもしばしば。
高品質なサービスを求めることは少ないのですが、湯るりさんは想像以上に素敵な宿でした。
古民家をリノベーションしたというゲストハウスはくつろぎの共用スペースも素敵です。
長い夜を、ここでのんびり過ごすというのも良いでしょう。
僕の部屋は2階の窓際、最高です。
ただし温泉津温泉街でゲストハウスを利用するには注意が必要です。
それは食事。
温泉津には食事ができる店が極端に少ないです。
この日(火曜日)は町内に唯一という食堂の定休日。
さらに車で行ける範囲にも食堂らしきものが見当たりません。
かろうじて開いていたスーパーでお弁当を購入してことなきを得ましたが、下手すると夕食抜きの憂き目に遭う可能性があります。
さて、温泉津には共同浴場が2軒あります。
その一つが「薬師湯」です。
全国に僅か12箇所しかないという、最高評価の「オール5」で認定された天然温泉です。
入口には番台があり、男湯と女湯に別れて入館します。
近くにある「元湯」とは別の源泉になっており、1872年(明治5年)に発生した浜田地震により湧出したものだとか。
地震によって湧出したことから「震湯」とも呼ばれる薬師湯の湯は、手を一切加えることなく湯船に注がれています。
源泉の温度は45℃ほどで、湯船に届く頃には42℃程度に下り、少し熱めで鉄の香りのする湯となります。
薬効が強めの薬師湯では、2~3分浸かったら湯船から出て、2~3分休憩をして再び2~3分浸かる、これを繰り返し額に汗が出始めたら上がるのが効果的な入浴方法とされます。
入浴後は館内を散策しながら、途中に設けられた無料のコーヒーをいただいて火照りを鎮めます。
1974年公開の松竹映画『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』の舞台となった館内は、雰囲気たっぷり大正レトロを堪能することができます。
ほかほかに温まった体は、肌寒い春の夜の散策も心地良く感じます。
浴衣に下駄で、少し歩いてみました。
僕が温泉津温泉を知るきっかけとなったのが、奇岩を祀る「龍御前神社」でした。
その神社と磐座もライトアップされていて、昼間とはまた違った趣で見えていました。
心地よい布団でぐすり眠った朝、
下駄をカラコロ鳴らしながら向かった先はもう一つの源泉
「温泉津温泉・元湯」。
やはり入口で男湯・女湯に分かれており、中心に番台のある昔懐かしいスタイルです。
早朝から開いており、朝湯にぴったり。
こちらの源泉は約50℃、それを一切手を加えず、生の湯を浴槽に注いでいます。
浴槽は3つに分かれ、最初に注がれる「熱い湯」が約48℃、それが少し冷まされた「ぬるい湯」でも約45℃あります。
初心者はいきなりこの湯に浸かれないので、もうひとつ40℃程度の湯船が用意されていました。
僕も頑張って入ってみましたが、「ぬるい湯」に浸かるのが精一杯。
地元の方に「熱い湯をかぶらなここに来た意味がないよ」と諭され、すこしだけ掛かり湯にて失礼させていただきました。
それでも熱い。。
海辺の近くということもあって、湯は少し塩っぱい味がします。
しかし湯上がりはベタつくこともなく、むしろサラサラに乾く不思議な湯です。
湯の注ぎ口をよく見ると薬師さんが鎮座しており、かつては湯治の湯として温泉津温泉が信仰されていたことを地元の方に伺いました。
また帰り際、番台の奥様から番台の屋根の上と元湯の裏を見ていってねと教えていただきました。
この元湯は1300年ほど昔、湯に浸かって傷口を治しているタヌキを旅僧が見つけたのがはじまりと伝えられています。
石見銀山の坑夫らも愛用した温泉津温泉。
泉治療学研究所(現・生体防御医学研究所別府地区)によって、原爆症に対する効能が報告されているそうで、広島から通う人も多かったと言われています。
元湯の裏手には薬師堂が祀られ、湯治としての信仰の痕跡を残しています。
奥に霊泉と書かれた一角があり、上を見ると
仏塔が立つ洞窟のようなものが。
たぬきが傷を癒していたという洞窟でしょうか。
元湯の前に戻ってみると、そこには少々変わった石像が鎮座しています。
鬼の角を生やしたご老人。
これは妙好人「浅原才市」(あさはらさいち)の像です。
浅原才市は1850年(嘉永3年)に当地に生まれ、浄土真宗の妙好人のひとりとして「石見の才市」と呼ばれました。
彼は郷里の小浜で下駄職人をする傍ら、信心を詩にした「口あい」(くちあい)を多数詠んだことで知られています。
口あいははじめ、かんな屑・木片・紙片などに書き綴られ、やがて小学生ノートに書き写されるようになり、その数は7000首を越えると言われています。
浅原才市は1932年(昭和7年)に亡くなるまでに70冊にのぼる口あいのノートを記しています。
そんな彼の生家が今も温泉津温泉街に残されていました。
この家は才市のお孫さんのご好意によって無償寄付されたものです。
家内は自由に見学することができました。
彼は口あいのノートを信心の間違いがないかを僧侶に見てもらう以外は、他人に見せることはほとんどなかったといいます。
1919年(大正8年)に熱心な寺参りをほめらた才市は困惑して、「わしが仏さんを拝むのは、この通りまったく鬼だからだよ」と言って「角のある肖像」を地元の日本画家・若林春暁に描いてもらったのだということです。
朝湯も終えて、湯るりさんを後にします。
やはりここを素通りすることはできませんでした、龍御前神社。
朝日を浴びた奥の磐座は、いつ見ても圧巻です。
石見銀山華やかなりし頃、頻繁に温泉津港に出入りした北前船の守り神として信仰を集めた磐座。
石州瓦の町並みも一望できます。
そしてもう一社、立ち寄りたいところが。
少し離れたところにある「恵比須神社」が気になっていました。
訪ねてみると、なんと素敵な社殿が。
均整のとれたボディに思わずうっとり。
漁師さんたちの安全と大漁を見守ってきたのでしょう。
そして恵比須さんが見つめるその先には小さな港。
ここは沖泊(おきどまり)と呼ばれ、毛利氏が石見銀山を支配した16世紀後半には、銀の積み出しと石見銀山への物資補給が行われた港だとのこと。
江戸時代には北前船の寄港地として栄え、船をつなぐ「鼻ぐり岩」(はなぐりいわ)が今もたくさん残っています。
最後に民家の奥に展望台らしきものを発見。
そこは登ってみると、愛宕神社が鎮座する丘でしたが、
のどかな温泉津の港がそこから見えていたのでした。