その日、波荒れる日向の産屋で、一人の皇子が生まれた。
「波打ち際に鳥の鵜(う)の羽で小さな産屋を建ててください。私はそこであなたの子を産みます。」
屋根をふき合わせないうちに生まれた皇子は、草(かや)につつまれ波瀲(なぎさ)にすてられた。
これをもって、皇子の母・豊玉姫は「彦波瀲武鸕鶿草葺不合」(ひこなぎさたけうがやふきあえず)と名付けたと云う。
龍宮の乙姫「豊玉姫」が出産をしたと伝えられる、鵜戸神宮を訪ねます。
記紀神話では、山幸彦が龍宮を訪れた際、豊玉姫と恋仲になり、山幸彦の子を身篭ったと伝えています。
姫は天津神である山幸彦の子を「わたつみの宮」で出産するわけにもいかず陸に上がってきたというのです。
山幸彦、ちゃっかりやることやってます。
さて、鵜戸神宮へ観光バスで訪れますと、通常、この新参道トンネルを通るショートカットコースを歩くことになりますが、
しかし旧参道の「八丁坂」を歩いてみることをお勧めします。
上り下りがやや大変ではありますが、長年多くの人が歩いたその石段は、中央が擦れて丸くえぐれていて、歴史の重みを感じさせてくれます。
楼門をくぐる前に右手を見てもらいましょう。
まるで大きな狛犬のような、「神犬石」(いぬいし)が見えます。
立派な楼門。
それはさながら龍宮の門のようです。
鵜戸神宮の神の御使いはうさぎです。
鵜=卯で、うさぎだそうです。
絵馬も可愛い。
手水舎で清めて本殿へ向かいます。
途中に太陽の遥拝所のようなところもありました。
日南の海岸は日の出が誠に美しく名所となっていますが、ここが豊玉姫の聖地であるなら、元は月の遥拝所だったのかもしれません。
切り立った断崖絶壁の洞窟に、鵜戸神宮本殿はあります。
鵜戸神宮は日本三大下り宮のひとつに数えられる神社です。
日本三大下り宮とは当社の他に、草部吉見神社と貫前神社になります。
下に降り立つと、不思議な形に浸食された奇岩の数々に圧倒されます。
さながら異界の迷宮のよう。
祓戸がありました。
奇岩の中に「亀石」と呼ばれる岩があります。
ここでは、しめ縄で囲まれた甲羅のくぼみに「運玉」(うんたま)を投げ入れる、運試しのエンターテイメントを楽しめます。
運玉とは素焼きされた小さな玉のことです。
女性は右手、男性は左手で投げ入れ、うまく入れば願いが叶うとのだとか。
洞窟の中の拝殿へやってきました。
とてもきらびやかで、身震いするような静謐さ。
龍宮とはこのようなものか。
豊玉姫は出産のため、鵜の羽で産屋を作って欲しいと願ったそうです。
しかし、産屋が完成しないうちに、姫は産気づいてしまいました。
あわてた姫は山幸彦に「どうか、私が子を産む時には、お願いですから絶対に中を見ないでください」
と伝えて作りかけの小屋に入りました。
「見るな」と言われると見たくなってしまうのが人の性。
お約束通り、山幸彦は産屋を覗いてしまいます。
そこで山幸彦が見たのはサメの姿でのたうち回る豊玉姫でした。
姫の本来の姿はサメだったのです。
その姿にあわてて後ずさりする山幸彦。
そこに出産を終えた豊玉姫が人の姿で現れます。
「あれほど見ないでとお願いしたのに、私は本当の姿を見られてとても恥ずかしく思います。
これからはこの子を育てるために海から通おうと思っていたのに、それもできなくなりました。さよーならー。。」
「豊玉姫~~~っ!!」
当然です!
豊玉姫は海へ帰る時、せめてものと「おっぱい」をもぎ取り、岩にガシッっと取り付けて去ります。
豊玉姫、すげえ。
御子はこの岩に取り付けた乳から滴る水を吸って、すくすくと育っていったと伝わります。
僕たちは、この姫のありがたいお乳を、「お乳水」としていただくことができます。
一口含んでみると、とても優しい味がしました。
それはなんとも、ミルキーなママの味です。
さて、この時生まれた子供は「鵜の羽を産屋の屋根に葺き終わらないうちに生まれた子」ということで
「鸕鷀草葺不合尊」(ウガヤフキアエズのみこと)と名付けられました。
さすがのネーミングセンス、さすが山幸彦!としか言いようがありません。
僕がこんな名前をつけられたら、思わず盗んだバイクで走り出すとこですが、息子は真っ直ぐ優しい青年に育っていきます。
このウガヤフキアエズの尊が鵜戸神宮の御祭神。
洞窟の最奥には「皇子神社」があり、御祭神はウガヤフキアエズの尊の第一皇子で、神武天皇の兄「彦五瀬命」(ひこいつせのみこと)となっています。
龍宮に戻った豊玉姫は、残してきた我が子の事が心配で仕方ありません。
豊玉姫は、妹の「玉依姫」(たまよりひめ)に皇子を育てて欲しいと願いました。
そうして玉依姫は陸にやってきて、お乳岩から滴るお乳で、ウガヤフキアエズの尊を大切に育て上げたのでした。
そして御子は育ち、いつしか立派な青年となりました。
青年ウガヤフキアエズは、これまで献身的に育ててくれた玉依姫に恋心を抱くようになりました。
ついに青年は姫に求婚します。
玉依姫は幼い頃から育ててきた皇子からの求婚に最初は戸惑いつつも、彼の真剣な想いに、これを受けることになります。
ウガヤフキアエズの尊にとって玉依姫は乳母であり叔母でしたので、当然ずいぶんな年の差婚でしたが、
龍宮の姫はおそらく年齢を感じさせない、若々しく素敵な女性だったのでしょう。
と、神話のお話はここまで。
ここからは真の古代史の話です。
ついでにあまり人に知られていない、鵜戸神宮の深淵にも足を向けます。
多くの人は本殿に参拝した後、境内を後にすることと思いますが、ここで少し寄り道をしてみます。
社務所の横あたりにお稲荷さんがあります。
そこにある小さな案内板です。
ここに「吾平山御陵」(あひらのやまのうえのみささぎ)と「波切神社」(なきりじんじゃ)という文字が見えます。
吾平山上陵はウガヤフキアエズの御陵候補地として、有力な場所の一つとなっています。
ウガヤフキアエズの御陵は他にも幾つか候補地があるようです。
まずは鵜戸稲荷社を目指します。
赤い社の横を見ると、
あります、入り口が。
そこは、一歩足を踏み入れると、異世界です。
苔むした石の階段。
かなり滑りやすい石の階段を登っていきます。
豊玉姫というのは、宇佐神宮の謎の祭神として祀られる「比賣大神」であり、親魏和王の女王、つまり邪馬台国の卑弥呼と称される人物でした。
彼女と婚姻関係を結んだ山幸彦というのは物部イニエ王のことです。
山幸彦が龍宮から授かったと云う潮干玉・潮満玉で、兄の海幸彦をこらしめたという神話は、大和の海部王朝を物部が豊王国の力を得て東征したことを物語っています。
豊玉女王は月神信仰でした。
物部族は父系社会の星神信仰で、日本においては人気がありませんでした。
先の物部東征ではこの信仰力が弱かったせいで、大和上陸には成功したものの、出雲の太陽の女神を進行する大和勢に吸収されてしまい、結果的に東征が成功したとは言えないものでした。
そこでイニエ王の2次東征においては、豊玉女王の月読の巫女としてのカリスマ性を利用しようと考えたのです。
深淵が広がっています。
きついし怖い。
そしてありました。
ウガヤフキアエズの尊が眠りし陵墓。
ここから先は入れませんが、入りたいとも思いません。
記紀神話が、為政者の目をごまかし密かに真実を伝えているのなら、ウガヤフキアエズは豊玉姫とイニエの子であり、豊彦ということになります。
であるなら、彼は上毛国に眠っており、ここに埋葬されているとは考えられないのでした。
しかしそれでもこの威圧、豊家の名だたる王の墓であろうと推察します。
さて、元来た道を戻って、途中で別のルートに入ります。
ここからは岩場を歩いて下っていきます。
偉大なカリスマ、豊玉女王は物部族と習合することで大分・熊本・佐賀・福岡に至る九州北部において、絶大な影響力をもたらしました。
それまで星神信仰しかなかった物部族においても、月を読む神秘的な彼女の神託に酔いしれたのです。
水沼族、日下部族、ナマズ信仰の一族、干珠満珠の伝承を受け継ぐ一族、そして土雲と呼ばれた一族、それらが全て豊玉女王を信奉する一族でした。
その彼女が産み落とした皇子と皇女、「豊彦」と「豊姫」もまた、彼らの次代を引き継ぐ王と巫女として、多くの民から支持されたのです。
しかしそれに複雑な感情を抱いていた人物がいます。
イニエ王と前妻・木花咲耶姫として知られる薩摩の阿多津姫との皇子、物部イクメです。
彼は豊家の二人ほどには、そのカリスマ性において人気がなかったものと思われます。
さて、岩場の細道を突き進んでいくと、何やら見えてきました。
ここが鵜戸神宮の深部。
大地を横に大きく切り裂いたように広がる洞穴。
ここが「波切神社」です。
豊玉姫は記紀で龍宮の乙女であると記されました。
これにも秘密の理由がありました。
龍宮伝説は、海部族が自分たちの祖霊「綿津見の神」と出雲の龍神信仰を掛け合わせて、丹後半島の宇良神社で生まれたと云うことです。
宇良神社に伝わる浦嶋子の伝説は、龍宮伝説に関連の深い浦島太郎の物語の原型となっています。
宇良神社の領主・浦嶋子は月読命の子孫であると伝えられます。
彼のモデルは、物部イクメ王に追われ当地に逃げ込んできた豊姫を匿い世話した本庄村の「島子」でした。
後年、丹後の籠神社の社家を務める海部氏は、彼らの龍宮信仰や島子、豊姫の話を元に龍宮神話を作り、今も籠神社こそが龍宮であると拘っているようです。
これらの話を知っていた記紀の執筆者は、密かに豊玉女王と海部家の繋がりを暗に示したいがため、彼女を龍宮の乙姫としたのでしょう。
また山幸彦と決別するときにワニ(サメ)に姿を変えたという話は、彼女と出雲系宗像族とのつながりをも示していました。
波が打ち寄せる波切神社の洞窟に立ち尽くしていると、その先は深海の都に通じているのだと、思われたのでした。
明けましておめでとう・・・と素直に新年の挨拶をするには不安な大晦日年の暮れを過ごし、昨年の晦日うちに栃木県の古峯神社さんにて早めの新年祈祷を済ませた8まんです。神棚のお札を新しくする為だったんですが、コロナの影響で御祈祷しない形でのお札のお持ち帰りが推奨される位に人気がない。
密になってないのでたった一人で御祈祷受けました。この神社で御祈祷が一人とは・・・。(お持ち帰り推奨された数名の方の名前は神前で呼ばれてましたが少ない・・・)んー不要不急・・・。御成敗式目に「神は人の敬により威を増し・・・」とあり、これは色々な意味で・・・・。
私の住む地域はコロナ発症者が医療崩壊させる位の勢いで、緊急事態宣言を目前に突きつけられてる有様。これも選別・・・。
未来への思考だけは明るく在りたいと神に誓い祈りました。
CHIRICOさん、今年はまだまだ明けましておめでとうにはほど遠いですが、コロナ終息を迎えおめでとうと言いたいものですね。
今年から執筆活動が忙しいでしょうし、ご自愛下さいませ。ではでは。
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8まんさん、明けましておめでとうございます^^
初詣(?)は古峯神社でしたか、それは力強い一年になりそうですね!
コロナに関する疑惑は多く、メディア関係者もそれを知らぬはずはないのですが、テレビをつければ新年から相変わらずの数字の積み重ねのみの報道。
私の住まいの近くでも陽性者が出始めており、穏やかな一年とはなりそうにありませんね。
おたがい免疫を高めて参りましょう。
それにしてもコロナがこれだけ多いのに、インフルはほぼゼロってどういうことなんでしょうね。
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Ciao Chirico ! Come stai??
Se guardi su Facebook ho cucinato i takoyaki!! たこ焼き! Ti piacciono?
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Alessia, felice anno nuovo.
Takoyaki è il mio preferito!
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Evviva!!! Buon anno nuovo Chirico!!
あけましておめでとうございます!!! 🎊
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😄
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大分に住んでおりましたので、どれも参拝させて頂きましたが、こんなにも深い歴史があったとは。
心が動かされる文章と魂が宿った写真をいつもありがとうございます。
来年も宜しくお願い致します。
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パッチングワーカーさん、おはようございます♪
やっと僕も仕事納めになりましたので、今から洗車でもしようかと、外の冷気と相談しています笑
大分こそは麗しの邪馬台国、と富氏は述べられます。
訪ねてみると、たしかにその痕跡はあり、富氏の話を裏付けるように、その影響力が熊本から北の九州北部に多く残されています。
大分に限らず歴史に目を向けると、自分が住う国がこんなにも情緒に満ちていたのかと、道端の石碑にも思いを馳せ、豊かな気持ちになります。
そうした場所が、パッチングワーカーさんの今お住まいの周りにも、たくさんあることでしょう。
来年も心豊かな一年でありますよう。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いします!
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