石清水八幡宮:八雲ニ散ル花 龍宮ノ末裔篇 番外

投稿日:

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仁和寺にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。
極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果たし侍(はべ)りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と言ひける。
すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。
 
  – 徒然草第52段 –

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そう言えば行ったことがなかったな、と思い立って立ち寄った「石清水八幡宮」(いわしみずはちまんぐう)です。

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一の鳥居の扁額は鳩文字になっています。
この扁額の文字は長徳年間(995-999年)に一条天皇の勅により藤原行成が筆を執ったもので、現在の額は元和5年(1619年)に松花堂昭乗が行成の筆跡を書写したものだと伝えられます。
この立派な石の鳥居は江戸期に造られたものらしく、徒然草当時は木製の鳥居だったというのはasamoyosiさんの情報です。

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鳥居の先は下院・頓宮が鎮座します。

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この頓宮は祭事における神輿の待機所で、御旅所に相当するもの。
「仁和寺にある法師」が拝み見た建物のひとつ「極楽寺」があったとする場所がここです。

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頓宮を出たところで右に折れた場所に「高良神社」がありました。

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そこに小ぶりながらに趣のある社殿が鎮座しています。
ここがasamoyosiさんとの宿題の場所でした。

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福岡県久留米市の高良大社の記事を書いたときに、徒然草第52段にまつわるこの石清水神社の高良社の話を教えていただきました。

仁和寺(にんなじ)のある法師が、年をとるまで石清水八幡宮をお参りしたことがないことを情けなく思い、思い立って一人徒歩でお参りに行きました。
その時、法師は極楽寺と高良神社をお参りし、八幡宮へ参拝したと思い込んで帰ってしまったのです。

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寺に帰った後、法師は傍輩に向って次のように話しました。
「ずっと思っていた石清水八幡宮への参拝を果すことができた。うわさ以上の尊さを感じたよ。ところで、他の参詣者がみな山へ登っていったが、上には何かあるのだろうか。行ってみたいとは思ったが、お参りすることが本意であるからと思い、山上までは見に行かなかった」と。

徒然草の作者は「小さなことにも、案内者(指導者)は欲しいものである」と締め括っています。

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なるほど、確かにここまで来て、石清水八幡宮本宮を参拝しなかったのは気の毒ですが、「神へお参りすることが本意」というなら、法師は本懐を遂げていたと考えられなくもありません。
なぜならおそらく、この高良社が本来の当社の原型であると思われるからです。

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高良社の脇には、風格のある神木のタブノキが聳え立っていました。

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高良社の先に二の鳥居があり、そこから山の上に歩み進んでいきます。

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山頂へはケーブルカーもありますが、せっかくなら徒歩で登りたいもの。
また二の鳥居の手前には裏参道がありますが、こちらはかなり坂が急なので、帰り道に通ることをお勧めします。

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石清水八幡宮の名の通り、所々で石清水が流れ出ています。

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二の鳥居から続く表参道は「七曲り」と呼ばれる長い階段を登ります。

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石清水八幡宮の創建は、平安時代前期の貞観元年(859年)、空海の弟子で南都大安寺の僧・行教和尚が豊前国の「宇佐八幡宮」に籠った際、「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との八幡大神の御託宣により、翌2年(860年)清和天皇が男山・石清水寺境内に社殿を造営し御神霊を奉安したのが始まりとされています。

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また男山の麓には、奈良時代の道鏡事件で宇佐神宮の御託宣を賜った「和気清麻呂」公の墓があった神願寺が鎮座しており、和気家が八幡神を勧請することで当院に新たな位置付けを与えようとして藤原良房に働きかけたとする説もあるとのことです。

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階段を登り続けて程なく、朱色の社殿が見えて来ました。

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これが石清水八幡宮か、などと思うはずもなく、これは「大扉稲荷社」と呼ばれる社でした。

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その昔、このあたりに狐の住む穴があり、人々にいたずらをするので小祠を建てて崇めたと伝えられています。
またむかしむかし、この稲荷社に祈って富を得た人がおり、噂を聞いた信者が増えてその寄進で社殿が建立されたという伝説があります。
その時、この祭神の名を知る人がなかったので、京都七条の高瀬川傍で神降しや吉凶占いなどを業としていた石井巳之助という人に聞いてみれば、「我は相槌稲荷の子、名を登毘良明神と申す」と神託を受けたということです。

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この大扉稲荷社の正面には「影清塚」(かげきよつか)と書かれた石碑が立っています。
ここは参拝前に己の影を映し心身を祓い清めた場所なのだと云われています。
ということはここに、かつて清らかな水鏡の池があったものと推察します。

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さらに登っていくと、石垣の坊跡群が見えて来ます。

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石清水八幡宮が創建されると、薬師如来を本尊とする石清水寺はその神宮寺となり、貞観4年(862年)に名称を護国寺と改めてより神仏習合の度合いを増していきました。

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天慶2年(939年)には伊勢神宮に次いで奉幣される地位を得、朝廷から京都の南西の裏鬼門を守護する王城守護鎮護の神、王権・水運の神として篤く崇敬され、天皇・上皇・法皇などの行幸啓は250余を数えるほどになったと云います。

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承平・天慶の乱や元寇等の際には、国家の危急を救う神として崇敬を受けたほか、武家の守護神として特に源氏の信仰が篤かったとも言い伝えられます。

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ついに登って来ました、三の鳥居です。

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後ろには神馬舎。

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鳥居の少し先に「一ツ石」(ひとついし)と書かれた案内板がありました。

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かつては競馬の出発地点であり「勝負石」とも呼ばれる勝運の石だそうです。
お百度参りの地点にもなっています。

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ずらりと並んだ石灯籠。
寄進奉納されたものでしょうから、崇敬の深さを示しています。

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石清水八幡宮は二十二社の上七社に数えられ、伊勢神宮とともに遠国の宇佐神宮に代わる二所宗廟の1つとされ崇敬を受けています。

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二十二社とは長暦3年(1039年)に選定され、永保元年(1081年)に制度として確立された国家祭祀の要素が高い神社群となります。

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ちなみに二十二社とは上七社が
・太神宮/伊勢神宮:内宮・外宮(三重県)
・石清水/石清水八幡宮(京都府)
・賀茂/賀茂別雷神社(上賀茂神社)・賀茂御祖神社(下鴨神社)(京都府)
・松尾/松尾大社 (京都府)
・平埜/平野神社 (京都府)
・稲荷社/伏見稲荷大社(京都府)
・春日社/春日大社(奈良県)

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中七社が
・大原野/大原野神社(京都府)
・大神社/大神神社(三輪神社)(奈良県)
・石上社/石上神宮(奈良県)
・大和社/大和神社(奈良県)
・廣瀬社/廣瀬大社(廣瀬神社)(奈良県)
・龍田社/龍田大社(竜田大社)(奈良県)
・住吉社/住吉大社(大阪府)

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下八社が
・日吉社/日吉大社(滋賀県)
・梅宮/梅宮大社(京都府)
・吉田社/吉田神社(京都府)
・廣田社/廣田神社(広田神社)(兵庫県)
・祇園社/八坂神社(京都府)
・北野社/北野天満宮(京都府)
・丹生社/丹生川上神社(上社):丹生川上神社(中社):丹生川上神社(下社)(奈良県)
・貴布禰/貴船神社(京都府)
となっており、平清盛の要請で厳島神社が二十三社目に検討されたこともあったようですが、実現はしなかったそうです。

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さて、立派な南総門をくぐると、

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なぜか社殿は正面ではなく、斜めに鎮座しています。

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これは参拝者が帰る際、御祭神に対して真正面に背を向けない工夫なのだそうです、なるほど!

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祭神は次の3柱。
中御前に「誉田別命」(ほんだわけのみこと):第15代応神帝
西御前に「比咩大神」 (ひめおおかみ)
東御前に「息長帯姫命」(おきながたらしひめのみこと): 神功皇后

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宇佐神宮から勧請されたとのことなので、そうなのでしょうが、謎の祭神「比咩大神」の名が気になります。

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一般にはこの神は宗像三女神、すなわち多紀理毘売命(たぎりびめ)、市寸島姫命(いちきしまひめ)、多岐津比売命(たぎつひめ)の3柱を指すとされます。

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しかし富家の伝承を元に紐解くと、この比咩大神とは親魏和王の女王・卑弥呼、すなわち「豊玉姫」のことであると云うのです。

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石清水八幡宮は「宇佐神宮」と「筥崎宮」、または「鶴岡八幡宮」とともに日本三大八幡宮の1つにも数えられています。

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さらに当社は宮中の四方拝で遥拝される神社の1つでもあります。
それは京都の裏鬼門(南西)を守護する神社として、鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視された由来によるものだとは思われますが、なにゆえこのぽっと出の八幡宮が宗廟・宇佐神宮の代わりとして二所宗廟に選ばれこれほどの崇敬を受けているのか。

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その答えが下院の高良社にあるように思えるのです。

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高良社に祀られる玉垂の神とは月読神です。
諸説ありますが、僕はそのように紐解きました。

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であれば、当地は本来、豊彦の子孫が月神を祀った聖域だったのではないでしょうか。
そこへ後に八幡神が勧請されることになった。
八幡神のうち神功皇后はさておき、応神帝は豊彦の末裔・竹葉瀬君のことですし、比咩大神は豊玉姫です。
彼らを祀るのに相応しい場所といえば、高良社のある男山しかなかったと言えるのです。

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社殿を一回りすると、北東の一角の石垣が切り取った造りになっていました。
これは「鬼門封じ」といって 丑寅の方角・鬼門を封じているのだそうです。

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社殿は案内板のようになっているそうですが、外からはその外観を、まったくと言っていいほど見ることができませんでした。

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社殿は「八幡造」と呼ばれる独特の構造で、楼門から舞殿・幣殿・本殿が続いています。
社殿内には通常非公開の織田信長奉納「黄金の樋」も納められています。

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帰りは裏参道を降りてみます。

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先ほどは当社を、ぽっと出の八幡宮など失礼な物言いをしてしまいましたが、源義家が石清水八幡宮で元服したこともあって、源氏の広がりとともに壺井八幡宮や鶴岡八幡宮など当社から各地に八幡宮が勧請されていったという経緯もありました。

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そして男山の中腹あたりには、石清水八幡宮の聖域中の聖域、「石清水社」が鎮座していました。

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石清水八幡宮は、もとは男山山中から湧き出る清泉を神として祀ったのが起こりだとも言い伝えられており、この石清水社に石清水寺はあったのだそうです。

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つまりこの井戸こそが石清水八幡宮の本来の御神体だったのです。
僕は月神信仰には聖なる泉、月を映しとる水鏡が必要だったのではないかと、これまでの聖地巡礼で考察しました。

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ここに湧き出る泉の水鏡、そこに映る月影が御神体で、普段は高良社から遥拝した。
聖域に至るときは月神で清められた水が注がれる影清塚の泉で身を清めたのではないでしょうか。
昔の人にとって滔々と溢れ続ける石清水は、水沼女が受け取る月の「変若水」(おちみず)に見えたのかもしれません。

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6件のコメント 追加

  1. 8まん より:

    石清水八幡。御朱印が運が良いと八の字を鳩が向き合った御朱印に。私は残念ながら。
    またここに来たら大福を細くした・・・名前を忘れた(笑)名物があります。売り子さんが可愛くて、温わず鼻の下を伸ばし購入してました(笑)
    御朱印帳も蒔絵。かっこよかったなあと。
    京都もコロナ禍。それでもいつか再拝したい場所ですね。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      鳩文字の御朱印の存在は知っておりましたが、頂き物ですのでそれはそれで。僕もへそまがりなところがあるので、御朱印がブームになってからは逆に拘らないようになりました。
      でも可愛い売り子さんに会いそびれたことは、猛烈に悔しいです😁
      たぶん5・6月は自粛強要され、7・8月に旅行のタイミングがあると睨んでいます。オリンピックがありますので。場合によってはGoToも復活するのでは。ただインド株が彼らの予想以上に猛威を奮っているようですので、わかりませんが。
      僕は神前で願い事はしない方針なのですが、願わくばあと少しだけ旅を楽しませて欲しいものです。

      いいね

  2. asamoyosi より:

    CHIRICO様 おはようございます。
    「石清水八幡宮」興味深く拝読させていただきました。さすがですね、緻密にして格調高い著述に感動しました。仁和寺の法師もCHIRICO様のブログを読んでいれば「先達」も不必要であったかと・・・。今でも、当時にしてもこれほどの内容を話してくれるガイドさんなんてないように思います。
    徒然草の吉田兼好は兼好法師と呼ばれていますが、元は卜部兼好と言うのが正式名?で古くからの神職を務める家柄だったように思っています。もしかして、この徒然草52段は面白おかしく話をする中で暗に高良社に目を向けてほしいと言うような思惑があったのかも知れませんね。
    私のブログへリンクを張ってくださっていましたが、もし来られたらと思うと恥ずかしくて身の置き所がないくらいです。
    私の手元にある「紀伊續風土記」と「東海道中膝栗毛」の違いといった感じ。あっ、こんなことを書いたら十返舎一九に叱られてしまうかも知れませんね。
                                                       asamoyosi

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      asamoyosi様、おはようございます♪
      これだけ神社巡りをしておきながら、なぜ今まで石清水八幡宮を未参拝だったのか、asamoyosi様に教えていただくまで失念していました。
      が、参拝してその神威に改めて驚いた次第です。

      なんと卜部氏がここで出て来ますか!
      卜部氏はおっしゃる通り、古くから神官を務める家系です。
      卜部は占いの部民ということでしょうね。彼らの分家から、あの中臣氏が出て来ます。
      なるほど、卜部家も歴史を知る一族でしょうから、高良社の重要性を仄めかしたかったのかもしれませんね。

      asamoyosiさんのブログは、とくに高野山奥の院の詳細な考証・紹介は埋もれさせておくにはもったいないと思っています。
      それが日常のほのぼのとした空気の中で綴られており、気構えずとも紀の山中を散策しているような気持ちになり、この自粛ムードの中でも心の清涼剤となるのです。
      それで他の方にも興味を持っていただけたらと勝手ながらリンクを貼らせていただいております。
      asamoyosiさんの今のスタイルだからこそ、良いブログだなと、いつも拝読させていただいております。

      いいね

      1. asamoyosi より:

        そんなにまで言ってくださるなんて、それこそ本当に身の置き所がないと言った思いでいっぱいです。
        「惰性からの脱却」なんて偉そうなことを言っておきながら、最近はブログを続けることが惰性になってはいないかと反省しながら書いているような状態です。
        これからも厳しいご指導、よろしくお願いいたします。
                                                          asamoyosi

        いいね: 1人

        1. CHIRICO より:

          これからもご投稿楽しみにしておりますが、もちろん重圧にならないように、楽しんでご投稿ください^ ^
          私も偉そうに色々書いておりますが、老後に読み返すための日記のような感覚で、無責任に書いております😁

          いいね

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