「我獨慙天地」(われひとりてんちにはず) ……… 「道鏡様を皇位にお就かせになれば天下太平となると、宇佐八幡神のご神託にございます」 神護景雲3年(769年)7月、大宰府の主神(かんづかさ)・中臣習宜阿曾麻呂は重臣が集ま…
月: 2021年6月
居多神社:八雲ニ散ル花 龍宮ノ末裔篇 12
越後国一宮「居多神社」(こたじんじゃ)は、竹葉瀬ノ君の出港の地ではないかということで、新潟県上越市五智まで訪ねてみました。 広い駐車場から道を渡り、参道の石段を昇ります。 社名の「居多」(こた)は古くは「ケタ」であったと…
越智神社:八雲ニ散ル花 龍宮ノ末裔篇 11
宇佐公康著『宇佐家伝承 古伝が語る古代史』によると、宇佐稚屋は伊予国の越智氏と数年にわたって戦ったと伝えられ、その時に彼は、越智宿禰の娘ですでに夫も子供もあった常世織姫(とこよおりひめ)を拉致して凱旋し、そのまま結婚をし…
千光寺(あじさい寺)
福岡は久留米のあじさい寺、龍護山 千光寺に出かけてきました。 千光寺は久留米市山本町の街中から少し離れた山の麓にあります。 広々とした駐車場に車をとめ、さっそく境内へ。 入口の梵鐘は永和3年(1377年)の北朝年号の銘が…
咲前神社:八雲ニ散ル花 龍宮ノ末裔篇 10
安閑天皇元年(534)6月、初の申の日に神石「雷斧石」三柱の御出現を仰ぎ、時の朝廷に上奏したところ、奉幣使、磯部朝臣小倉季氏と共に高椅貞長、峯越旧敬を伴い上毛野国に御下向があり、抜鉾(ぬきほこ)大神「健経津主命」をお祀り…
貫前神社:八雲ニ散ル花 龍宮ノ末裔篇 09
上毛野国国造家の竹葉瀬ノ君、齢7つなり。 同じ頃、三韓征服から帰国した息長足姫の息子・誉田別皇子が7才で夭折した。 皇子は姫と武内襲津彦の間に儲けられた子であったという。 息長足姫は皇子が夭折したことを知られるわけにはい…
郷見神社・総社二子山古墳・前二子古墳:八雲ニ散ル花 龍宮ノ末裔篇 08
豊彦の古墳を探して、群馬を旅しました。 その一つ「郷見神社」(さとみじんじゃ)は群馬県高崎市下里見町にあります。 こんもりとした丘の上にある当社、この丘自体が古墳なのでしょうか。 一段登って開けた場所には、赤茶色の建物の…
太宰府天満宮・花菖蒲
「紫は水に映らず花菖蒲」 先日訪ねた太宰府天満宮で花菖蒲が三分咲き程だったので、そろそろ見頃ではないかと思い再訪しました。 今宵の天満宮は、ひときわ妖艶です。 道真公の墓所が神社になったという当社、 太鼓橋の先は黄泉の国…