高麗神社

投稿日:

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埼玉県日高市に鎮座する「高麗神社」(こまじんじゃ)を訪ねました。

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日本的な奥ゆかしい雰囲気の参道が続きますが、社名の通り、朝鮮半島所縁の神社になります。

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駐車場には将軍標と呼ばれる比較的新しい石柱が立っています。
これだけが異様な雰囲気。
はっきり言って気持ち悪い。

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埼玉県日高市の一部と飯能市の一部にあたる場所に高麗郡があり、716年の奈良時代に設置された土地だそうです。

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そこは668年に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人を住まわせた土地で、703年には高麗若光に朝廷から王姓が下賜されたと伝えられます。

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祭神はこの「高麗王若光」(こまのこにきしじゃっこう)で、

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他に「猿田彦命」(さるたひこのみこと)と「武内宿禰命」(たけのうちのすくねのみこと)を祀っています。

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非常に和的な美しさを持った当社ですが、サルタ彦が祀られているあたり、出雲族との関連が気になります。

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神仏習合の時代には高麗家は修験者として別当を勤めていたそうですが、この修験者とは出雲散家である可能性が高く、高麗家にはいつしか出雲の血が濃く流れるようになっていたのかもしれません。

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天正18年(1591年)に徳川家康が関東に入国すると、翌年に徳川家は社領として高麗郷内に3石を寄進しています。

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高麗神社は開運・出世の御利益として知られますが、それは濱口雄幸、若槻禮次郎、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが参拝後に総理大臣になったことが由来のようです。

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文人では坂口安吾、太宰治、壺井栄、岡本太郎の父・岡本一平らが参拝しています。

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中には、すこぶる怪しげな人物の名も見られますが、まあそれはさておき、当社は白髭大明神(猿田彦)と社号を称していた時期もあるように、純日本人が訪ねても不思議と心落ち着く気配があります。

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本殿の裏手に回ると、境内の隅に江戸時代に建てられた高麗家住宅が一棟建っていました。

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それは素朴な入母屋造、茅葺屋根の建物で、

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神体と思われる山を背にしています。

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中も古来の日本人らしい奥ゆかしい造り。

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華美さはなく、穏やかな時が残されているようでした。

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高麗神社参道の途中に、「水天宮」と書かれた案内板があります。

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「水天宮遥拝所」と彫られた石柱の先にしめ縄が下げられ、横に参道が設けられています。

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水天宮まではこの細い参道を10分ほど登っていく必要があります。

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まあまあな山道。

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しばらく行くと鳥居が見えてきました。

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この水天宮の祭神は「安徳天皇」(あんとくてんのう)。

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源平合戦に巻き込まれ、戦乱で落命した歴代の天皇の中で最も短命だった天皇です。

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幼き身で海の龍宮へと参られた悲劇の帝。
故に水神として祀られています。

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生存説も多く語られてはいますが、史実はいかに。

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高麗神社、興味本位で参拝した神社でしたが、将軍標以外は心落ち着く良き社でした。

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8件のコメント 追加

  1. Yopioid より:

    こんばんは。楽しく読ませていただきました。
    埼玉県民だった時期に居住地の「志木」がシラキである説を知り、調べていたら隣町の「新座」が新羅の座、和光市の「白子」がシラキ郷であったり、和光の「新倉」ニイクラが白子の隣だったり、古代朝鮮のなごりがプンプンしてきます。埼玉県南部にも関連した地名が散見され高麗郡から拡がりを見せます。古い地名は和名類聚抄にも記載があり、空白地に集住し大多数を占めた場所が点在していたであろうと考えます。私の同僚の高麗郡の出身のアライさんですが、とっくのとうの昔の古代に日本人になっているはずなのですが、飲みに行くときはなぜかヤキニク、ちょっと待てよってくらい喧嘩っ早く、お客さんとも喧嘩しちゃう。。。私は多分遺伝子なのだろうとコッソリ思っていますがとても頭がよく腕のいい職人です。
    しばらく志木に住んでいた個人的な印象ですが、志木はとても住みやすいのに、隣町の新座はとてもガラが悪いです。地のヤンキーに絡まれましたので全く良い印象がありません。大江戸線すら素通りする新座、頼まれても住みたくありません。最悪です。絡みにくいお話をしてすみません。

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    1. CHIRICO より:

      さすがYopioidさん、先の8まんさんもそうですが、新知識をたくさんいただいて感謝です♪

      何を守っているのか分からないヘイト法施行や、表現というより頭が不自由なんじゃないかと思えるトリナンチャッテ実施など、自治体自体が狂っている昨今、気がつけば住みやすい場所自体が希少になってきているのかもしれません。だからこそ、日本人とは何かを深く掘り下げ認識し、誇りを取り戻すことが今必要なのだと感じています。他民族批判ではなく、日本人アイデンテティの確立です。

      Yopioidさんのご先祖・豊玉姫の末裔らを調べていると、豊家は秦族の末裔であることは間違いなさそうですが、どちらかというと、より出雲の血が濃く、出雲的であると感じることが多いです。先のシリーズである『龍宮ノ末裔』もそうですが、これから描こうと思っている『土雲族』の聖地もとても情緒的で美しいのです。そうしたものを感じ取れる僕らの感性の中にもまた、ドラヴィダの遺伝子が残されているのだと思われ、遠いご先祖にますます敬愛の意を感じています。
      お互い日本に生まれてこれて、幸せですね♪

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  2. CoccoCan より:

    埼玉にこのような神社があるのは知りませんでした。
    隅々まで行き届いていて落ち着く空間ですね。

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    1. CHIRICO より:

      はい、もっと原色やテーマパークのような神社かと想像していましたが、とてもしっとりと美しいとこでした。
      こんなに素敵な場所が日本にはまだたくさんあって、嬉しくなりますね😊

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  3. KYO より:

    おはようございます。
    高麗神社、私も一昨年伺いました。
    将軍標が記憶と違って見えたので当時の写真を見返してみたら、撮っていたのはお隣聖天院の将軍標でした。
    変な言い方かもしれませんが、高麗神社の方は見た目的にアレ💦だったので、敢えて撮らなかったんだろうと思いました😅

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    1. CHIRICO より:

      高麗神社の将軍標は元は木製だったそうですが、風化したので今のものに作り替えたのだそうです。
      魔除けの意味があるそうで、日本で言う狛犬や仁王像のような存在でしょうか。
      神社やお寺を巡っていますと、ご利益や神跡を継ぎ足してゴテゴテになった所と、削ぎ落として質素になった所がありますが、僕は後者の方が心地よいと感じます。
      高麗神社はとてもシンプルで素敵な聖地であると感じ入っておりましたが、将軍標だけが蛇足だなと思いました。

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  4. 8まん より:

    埼玉への再来、ようこそ海なし県へ。(笑)
    帰化人として集まった朝鮮の民。彼らの能力に応じて、匠や翁なんて呼び名も与えられてたとかなんとか。
    昔の日本人だって今の日本人だって他民族を受け入れられる人も受け入れられない人もいるんだから、この地に迫害を逃れて辿りついた人達でつくられた集落なのでしょう。
    ここ、高麗の民はこの後、高麗平氏として名を挙げて行きます。
    また、ここから出た民達は自分達が高麗の民である誇りを保つと同時に朝鮮血筋による迫害を避ける為に高麗を駒という字に変えて自分の姓に織り込んだという逸話もあります。
    んー・・・サイボクハムをおススメし忘れた。(笑)厚いハム食べてって欲しかった。
    他にも埼玉で寄られたトコはありましたかな?楽しみにしてます。
    追記、ここには平成天皇・・・今は上皇様も退任される前に僥倖してます。少なからず天皇家にも関わりのある神社なのでしょう。天皇陛下の立身出世なんて(笑)

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    1. CHIRICO より:

      高麗神社のことを教えていただいた時は、もっとギラギラした神社かと思いましたが、思った以上に和的で感嘆しました。
      御朱印をギリギリの時間にいただきましたが、とても丁寧にご対応いただき、良い社家さんだとも感じました。
      さまざまな思惑や情念が渦巻く昨今で、心が美しいと感じるものが本物であり正であると思っています。
      上皇様は我らの先祖と朝鮮の関わりを、たしか仄かしておられたと思います。まあ島国ですから、僕らも多くの他国の血を受けているわけで。
      サイボクハムは機会があればぜひ賞味してみます(笑)

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