鷲宮神社:八雲ニ散ル花 東ノ国篇 06

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古来よりこの池には、龍神様がお住まいになられていると言い伝えられてきました。しかし、永い年月の間に風雨等により土砂が流れ込み、池が埋もれておりました。
境内整備事業の一環として、平成十一年より、古来の御神池に復元すべく土砂の搬出をしておりますと、池から湧水が溢れ出て、龍のような雲が空を覆いました。その時に
「天まで光輝くような池」
というご神託を受け、池の名を光天之池(みひかりのいけ)と名付けました。

– 光天之池石碑 針谷重威謹書 –

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埼玉県久喜市鷲宮に鎮座する鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)を訪ねました。
当時一世を風靡した(?)コミック『らき☆すた』のモデルとなった神社で、アニメのオープニングでは当社の一ノ鳥居が背景として使用されました。
が、その鳥居は倒壊(老朽化?)して今はありません。

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赤い灯籠に導かれ、真っ直ぐに伸びた参道を歩きます。

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当社は「関東最古の大社」、「お酉様の本社」を称しており、鷲神社の本社に位置付けられます。

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お酉様とは主に関東方面で催される「酉の市」(とりのいち)で、関西から西日本で盛んな「えびす祭り」と双璧をなすものです。

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酉の市の由来については、神道と仏教の両説がありますが、神道の場合は日本武尊が東征の戦勝祈願を当社・鷲宮神社で行ったのが始まりであるとしています。
これにより日本武尊が亡くなった日とされる11月の酉の日(鷲宮神社では12月の初酉の日)に大酉祭が行われるようになりました。
対して仏教では鷲妙見大菩薩の開帳日に立った市を酉の市の起源としています。

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参道の途中に近年パワースポットとして人気を集めている「光天之池」(みひかりのいけ)があります。

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古くより龍神さまがお住まいになられているという伝承がある池でしたが、雨風などの影響により土砂が流れ込み、長い間池が埋もれてしまっていました。

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これを本来の御神池の姿に復元するため、平成11年(1999年)に整備が始められました。
その時、池から水が湧き出し、さらには龍のような雲が空を覆ったのだと云います。

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ほとりに建つ小さな祠は「御池社」(みいけしゃ)で、彌都波能賣神、湍津姫命・市杵島姫命・田心姫命を祀っています。

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御神池復元以降、『らき☆すた』ブームもあって鷲宮神社への初詣の参拝客数が年々増加、2009年以降は埼玉県内で初詣客数第2位の神社となりました。
これは「龍神さまのご神徳」であると光天之池目当ての参詣者も多いのだとか。

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池の前には久伊豆神社があります。

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「ひさいず」と読みますが、「クイズ」とも呼べることからクイズ出場者に人気の神社です。

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参道側にある他の境内社はスサノオを祀る「八坂神社」。
2棟の御輿殿に挟まれて鎮座しています。

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その奥にタケミナカタを祀る「諏訪神社」があります。

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こちらは社殿はなく、「諏訪大神」と書かれた大きな石碑が祀られています。

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本社へと向かいましょう。

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社伝によれば、出雲族の草創に係わる関東最古の大社とされ、神代の昔に天穂日命と御子神の武夷鳥命が東国を経営するため、お供の昌彦・昌武の父子と出雲族27人の部族と共に当地に到着し、地元の部族と共に当地の鎮守として大己貴命を祀ったのに始まると伝えています。
その後、日本武尊が東国平定の際に当地を訪れて戦勝祈願を行い、別宮を建てて天穂日命と武夷鳥命を祀ったと云われており、この別宮が現在の鷲宮神社本殿とされています。
ただし、これらのことは『延喜式神名帳』や『国史』に記載されていません。

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鷲宮神社の本殿は2棟ありますが、左側手前は「神崎神社」で大己貴命を祀っています。
右側奥が鷲宮神社本殿で天穂日命・武夷鳥命を祀ります。

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さてこの社伝と祭神には、大いに異論があります。
なぜならこの「鷲宮・ワシの宮」とは本来、「土師宮・ハジの宮」であったからです。

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当社は崇神帝(物部イニエ王)の時代に河内国から東国へ移住した土師氏が、下総国浅草から古利根川を上って当地に移住した際に先祖を祀ったのが起源ではないかという説が唱えられています。
14世紀ごろに成立した『神道集』によれば、伊予国一宮の大山祇神社の三嶋大明神と摂社の鷲大明神が東征し、三島大明神は伊豆国一宮の三嶋大社に、鷲大明神は武蔵国太田庄の鷲宮神社に移り住んだとされています。

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土師氏は崇神帝の次代、垂仁帝(物部イクメ大君)の時代に活躍した野見宿禰(のみのすくね)を祖としますので、土師氏が当地に定住したのはもう少し後の時代だと思われます。

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野見宿禰とは出雲王国が物部族に滅ぼされなければ、本来18代目の主王・大名持となったであろう富家の当主「富大田彦」(とみのおおたひこ)のことです。
つまり土師氏は正当な東出雲王家の血族であるとなります。

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垂仁帝イクメは出雲王国を攻めるよう命令した張本人でしたが、実際に手を下したのはヒボコ族の田道間守(たじまもり)でした。
イクメが大和を統治するようになると、田道間守も自分が王であるかのように振る舞いだし、これをを疎ましく感じたイクメは富家の大田彦に彼を討伐するよう依頼したました。
大田彦は当初ためらいましたが、大事な臣下を殺し、王宮や神殿を破壊した田道間守に復讐する好機と考え、イクメの命令に従うことにしました。

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多くの出雲族を引き連れて大和入りした大田彦は、見事、田道間守に勝利します。
この史実が、野見宿禰と当麻蹴速(たいまのけや)の日本最初の相撲の逸話に変えられて伝えられています。

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やがて大田彦は出雲への帰還の途につきますが、一部の出雲族はそのまま大和に残り、土師氏となります。
イクメをはじめとする物部王朝は、出雲系大和族に度々東国のエミシ遠征を指示しており、その折に当地に居着いた土師氏が鷲宮を建立したものと思われます。

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物部王朝は東にエミシ、西にツチグモと反抗勢力を蔑称で呼び、徹底して制圧しようと動きます。
しかし東国は、大彦をはじめ、出雲系の豪族らが築いた国です。
王朝の目が届きにくいことを良いことに、土師氏らも本気で東国制圧に加担したのではなく、よろしくやっていたのではないでしょうか。

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拝殿の正面に、小ぶりながらも朱く雅な小社があります。
「姫宮神社」(ひめみやじんじゃ)、活玉依姫命(いくたまよりひめ)を祀ります。
活玉依姫は富家の8代目少名彦・事代主(八重波津身)の后のおひとりで、三嶋の溝咋姫(みぞくいひめ)のことです。

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本殿の左側から裏にかけては、末社群が鎮座する杜となっています。

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応神天皇を祀る「八幡神社」(はちまんじんじゃ)は、杜の中で独立した参道を有しています。

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どことなく南国を思わせる雰囲気。

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ここに祀られるのが竹葉瀬ノ君ならば、その雰囲気にも納得。

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彼は九州の日向にあった、龍宮の末裔だからです。

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もう一つの杜の参道は半円を描く回廊のように通り抜けることができます。

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鷲宮神社は「関東最古の大社」を名乗っていますが、歴史資料に当社が現れるのは『吾妻鏡』の建長3年(1251年)の記載が最初であり、この主張は根拠を欠いているのだといいます。
かつては延喜式内社・前玉神社論社に比定されていたそうですが、明治以降はそれを名乗らなくなり、「関東最古」の呼称のみが残った感じです。

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しかしながら近年の発掘調査によって、当地には縄文時代の遺跡(鷲宮堀内遺跡)が見つかっており、古くから住民がいたことがわかっています。

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それは大彦の時代よりも古く、姫宮神社に活玉依姫命が祀られていることから、富家の親族・三嶋家が進出していたことを示しているのではないでしょうか。

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彼らなら、光天之池の地に龍神を祀ったとしても納得です。

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しかしながら、社伝の「神代の昔に天穂日命と御子神の武夷鳥命が東国を経営するため云々」というのはいただけません。
ホヒとタケヒナドリ親子は、出雲族ではないばかりか、出雲の偉大な主王と副王を暗殺した張本人だからです。

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彼らは出雲族を率いることもできませんでしたし、出雲を離れて当地に至るはずがありません。
社伝の話は後世に改竄されたものであると言わざるを得ません。

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杜の参道から少し離れると、環濠集落の痕跡を示す小さな堀がありました。

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故郷を離れた出雲族がたどり着いた東国。
ここには大きな集落があったのでしょう。

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杜の参道を抜けた本殿の背後に「粟島神社」(あわしまじんじゃ)がありました。
10社が合祀され、祭神は「授田毘古神」(さるたひこのかみ)、「武内宿禰」(たけのうちのすくね)、「天太玉命」(あめのふとたまのみこと)、「豊宇気毘売神」(とようけひめのかみ)・「大年神」(おほとしのかみ)、「木花開耶姫命」(このはなのさくやひめのみこと)、「奥津日子命」(おきつひこのみこと)・「奥津比売命」(おきつひめのみこと)・「軻遇突智命」(かぐつちのみこと)、「湍津姫命」(たぎつひめのみこと)・「市杵島姫命」(いちきしまひめのみこと)・「田心姫命」(たごりひめのみこと)、「八千矛神」(やちほこのかみ)、「大山咋神」(おおやまくいのかみ)、「大己貴命」(おほなむぢのみこと)と多岐にわたっています。

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が、「粟島」とは東出雲王家の事代主がお隠れになった神跡の名称です。
ここには八重波津身が本来祀られていたのでしょう。
その社は、鷲宮神社と神崎神社の本殿の先にある、姫宮神社を眺めるように鎮座していたのでした。

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2件のコメント 追加

  1. 8まん より:

    ホヒとヒナトリ・・・CHIRICOさんには仇みたいな(笑)
    書紀で語られる血筋ではホヒやヒナトリはノミノスクネの始祖とされその血筋が土師氏に繋がり、大江氏やら菅原氏云々・・・。
    裏歴史の事を正史として残せない以上、こういう祭祀となるのも致し方ない部分もあるのかも知れません。
    なんせ埼玉は世渡り上手に生きてきた県民性なので。東の古い歴史で有名なのは武蔵国造の叛乱くらいなもんで、後の世に関東が出てくるのは、
    将門の反乱とか時代が平安期に至るまで出てこない。東に田村麻呂が出征し、アテルイ、モレノと戦って朝廷に首を取られた後でも10年平定に時間がかかるほど蝦夷の民達も強かったですからね。その前は朝廷は負けっぱなしだったから、恥を隠したかったんでしょう。
    歴史の闇は深いです。
    さて埼玉で紹介出来る古い社はあとは児玉の二の宮、金讃神社くらいですか・・・埼玉はビミョーで申し訳ない。(笑)アニメが好きなら秩父神社、
    椋神社。椋神社の龍勢祭りもなかなかの祭り。ここも行ってくださいまし。ああいかん、平和バスターズが(笑)

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    1. CHIRICO より:

      古代の殺した殺されたなどというのは時の事情があるもので、安易に今の感情だけで考えるべきではないと思っています。
      が、僕は出雲派なので、穂日家の行いだけは心穏やかではありません。殺しまくった物部に関しては、ある程度理解もするのですが。
      出雲大社も、すでに大国主は祀られていないそうです。大国主の位牌のようなものが本殿内に祀られていましたが、それは破棄され、今は社家の先祖が祀られているのだとか。これは富氏が、確かな筋の情報として得ている話です。
      まあそんなことをしているからか、社主は今、広島の精神病院医に入院中だという話も聞いています。
      出雲に旅して、出雲大社にだけ参拝しても、なんのご利益もないのです。

      いいね: 1人

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