東国三社の鹿島神宮と香取神宮には、それぞれ重要な二社の境外摂社があります。
東国三社参りではつい見落としがちですが、訪れる価値のある神跡が、そこにありました。
【大戸神社】
「大戸神社」(おおとじんじゃ)は、香取神宮の真西8kmの場所にある境外摂社です。
堂々とした風格の拝殿は、地元の総鎮守といった趣です。
御祭神は天の岩戸をこじ開けた「天手力男命」(あめのたぢからおのみこと)ですが、一説には経津主神の父母神「磐筒男神」「磐筒女神」であるとも伝わります。
社伝には、日本武尊が東征の際、蝦夷征伐祈願のため創建したと記されています。
本殿の背後に小さな社が数社。
大戸神社は東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)の大元の神社(元宮)と推定される古社のひとつです。
旧県社であり、例祭には献幣使の参向も今だ行われているそうです。
香取神宮・息栖神社の真西、鹿島神宮の60度南西にあり、三社の起点となる位置関係に本殿は建っています。
境内の樹勢もよく、
貴重な和鏡も伝わっているそうですが、鏡は物部好みの祭具であり、安倍家は鏡を使わなかったと云います。
ここは物部家の前線だったと思われます。
【側高神社】
香取神宮の北東4kmの場所にある「側高神社」(そばたかじんじゃ)は、香取神宮の第一摂社で、利根川下流域に多く点在する側高神社群の本社になります。
小高い杜に囲まれるように、鎮座する社殿。
香取神宮と同じ頃の創建と伝わりますが、古来より御祭神は神秘とされており「言わず語らずの神」として口外を戒められていました。
現在は一般名称として「側高大神」と称されています。
「香取郡誌」では、主祭神を「高皇産霊尊」「神皇産霊尊」、相殿神を「天日鷲命」「経津主命」「天児屋根命」「武甕槌命」「姫御神」としていて、祭神の中に忌部氏系の天日鷲命が見られるので、氏と当社の関係を匂わせています。
また、経津主神の后神が祭神であるという説もあるようです。
境内に入ると、数々の御神木、巨木の樹勢に驚かされます。
こうした健康な樹木は、訪れる人の気分も良い方へ導いてくれるようです。
伝承によると、昔、側高神が香取神の命により陸奥の馬2,000頭を捕らえて霞ヶ浦の浮島まで帰ってきたところ、陸奥神が馬を惜しんで追いかけてきたのだそうです。
そこで側高神は霞ヶ浦を干潮にして馬を下総に渡らせ、次いで満潮にして陸奥神を渡れなくしたと云います。
この話は龍宮伝承の干珠満珠に似ており、豊家の存在を匂わせます。
祭神の一柱にある姫御神とは比賣大神、そう宇佐の豊玉姫のことではないでしょうか。
記紀編纂によって宇佐の邪馬台国と豊玉女王の存在は隠される事になりました。
当社にて神秘とされる神の名はそういう事なのではないかと思われました。
この素朴な神社に、ちょっと気になる「四季の甕」というものがありました。
「春の甕」「夏の甕」「秋の甕」「冬の甕」と呼ばれる4つの甕があり、それぞれの甕の中の雨水量がその年の降水量を占うと伝わっているそうです。
【沼尾神社】
鹿島神宮の境外摂社「沼尾神社」(ぬまおじんじゃ)と「坂戸神社」(さかとじんじゃ)は、道無き道を進むような、とんでもないところに鎮座していました。
案内板も無く、地図にも載っていないような道の先にあります。
苦労の末たどり着いた「沼尾神社」では、神秘的な杜のトンネルが出迎えてくれました。
「常陸国風土記」によれば、鹿島神宮は「香島の天の大神」と記され、本来は次の三社の総称であると云います。
・「天の大神の社」(あめのおおかみのやしろ): 現在の鹿島神宮(本宮)。
・「坂戸の社」(さかとのやしろ)
・「沼尾の社」(ぬまおのやしろ)
沼尾神社の御祭神は、香取神宮の主祭神「経津主神」です。
武甕槌・経津主両神は明石の浜に上陸し、経津主神はここから香取へ、武甕槌神は現在の本宮へと移ったと云います。
参道は白い砂地です。
境内後方には今は枯渇していますが、かつては「沼尾池」があったそうです。
「常陸国風土記」では、沼尾池を「天から流れてきた水がたまった沼」と表記しており、天から降った神として祀っていたと思われます。
この沼尾池並びに沼尾神社が鹿島神の本源とする説もあるとのことでした。
【坂戸神社】
坂戸神社も、民家の中の、分かりにくい細い道の先にありました。
社名「坂戸」について、「さか」は本来「境」と言う意味で、「蝦夷地への境界・入り口」を意味するという説があります。
堂々たる風格、御祭神は「天児屋命」で、中臣氏の氏神です。
社殿は東に面していて、明石の浜の「東一の鳥居」と正対するのは坂戸神社であるという説もあるようです。
この深く神秘的な東国の杜には太古の氏族の知られざる歴史が眠っているのでしょう。
鹿島神宮(本宮)には、この坂戸神社と沼尾神社の遥拝所が設けてあり、ここが特別な場所であることを示唆しています。
古代出雲王朝に由来する謎は、こんな遠いところにも痕跡を残していました。
サイクリングで香取神宮、鹿島神宮と巡りついでに側高神社へ。「名を秘する神って何それ⁈なんか臭うぞ!」といろいろネットサーフィンしていたら、ちゃんと調べてくれている方がいて嬉しくなりました。ありがとうございます。
古代史は隠蔽&改竄され過ぎて素人にはさっぱり分からない。が自分の出身地と顔の造形から、大和民族では無いのは確かです。
遺伝子分析の面からも古代史の研究が進めば良いのにと思っています。似ていると良く言われている、琉球とアイヌが遺伝子的にも基底が似通っているとか遺伝的な考察も面白いと思っています。
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大和民族では無い…さん、ようこそ偲フ花へ。
コメントありがとうございます。
琉球とアイヌは同じ遺伝子を持っているとして、それは中央から別れさせられたものか、またインドネシア方面から琉球に至った同族が、別ルートで北海道に至ったものか。
また、何をもって大和民族と呼ぶかは、難しい話かもしれません。僕らはインドネシア系原住民族、インドドラヴィダ系出雲族、斉国の渡来民族秦氏、辰韓の王子、それら多くの血が混じり合って最初の大和民族は出来上がっています。ただ面白いのは、多くの渡来人が船団を引き連れて、たびたびこの小さな島国を支配しようと目論むのですが、なぜか皆、日本という国を滅ぼすことなく、むしろ帰化して大和人として生きていくのです。そこに何があったのか。
大和民族では無いさんもその風貌ゆえ大和民族では無いと主張されていますが、結局のところ、この国で生まれて育ち、そしてこの国を、景色を、うつろう四季を愛しいと思える人は、十分大和民族としての資質を備えているのだと思います。路傍の花を愛でる感性、虫の音を慈しむ心は、大和民族固有の特質です。日本人のふりをして日本をおろそかにする人は、政界にも芸能界にも腐るほどいますが、たまたま風貌が異国風だとしても、日本の小さな古い社に心を砕く大和民族では無いさんは、十分大和民族であろうと思うところです。
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CHIRICO様
東ノ国編9〜12までで、行った事がないのは、坂戸神社ですね!!
しかし、CHIRICOさんの様な見方や想いを馳せるだけの古代史の知識が私には無いため、勉強し直し再度訪れてみたいと思います。
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東国三社巡りは、念願叶って2年ほど前に行った時の記事をリライトしています。
スタッフ皆で慰安旅行にディズニーに行った時のフリータイムで巡ったのですが、もう1日ディズニーを楽しむ者、東京見物をする者ばかりの中で、一人早起きをして、レンタカーで向かいました。
限られた時間でしたが、充実したひとときでした。
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