滋賀県犬上郡に鎮座の天台宗寺院、「龍応山 西明寺」(りゅうおうざん さいみょうじ)を昨年秋に訪ねました。
そこは「湖東三山」の1つに数えられる、滋賀の紅葉の名所です。
山門そばの御堂を覗くと
いきなり不気味な閻魔様。
驚かされました。
また参道に入ると
不断桜の案内板。
不断桜は秋に花が咲きます。
春の桜ほど爛漫には咲いていませんでしたが、紅葉との不思議な共演を見せてくれます。
琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する西明寺は、寺伝によれば平安時代初期の三修上人の創建と云われています。
三修上人は、伊吹山の開山上人とも伝えられます。
承和元年(834年)、琵琶湖の西岸にいた三修は、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思いました。
そこで神通力で水面を飛び越え対岸に渡ると、今度は山の中の池から紫の光がさしています。
三修が池に向かって祈念すると、光り輝く中から薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、十二神将が出現したのでした。
三修が仁明天皇にこの話を伝えると、天皇はその地に勅願寺を建立するよう命じました。
三修は池に現れた仏らの像を刻んで、建てた寺に祀りました。
これが当寺のはじまりであり、この場所の地名と当寺の別称を「池寺」という由来になっているのだと云う事です。
また池に差し込む紫の光が西を指していたので「西明寺」の寺号が付けられたのだそうです。
琵琶湖の東に位置する湖東三山は、この西明寺の他に、金剛輪寺、百済寺を指し、天台宗の三名刹として紅葉の名所と謳われます。
境内を散策していると、その謳いに恥じぬ見事な景色を堪能できます。
最初は僕も三山の全てを見て回るつもりでした。
しかしこれよりも先に訪ねた胡宮神社で僕はあまりに美しい紅葉の世界を堪能致しましたので、三山訪問はこの西明寺のみに絞ることにしました。
さて歩進めると国の名勝に指定された庭園「蓬莱庭」に至ります。
この池泉回遊式庭園は延宝元年(1673年)、江戸幕府の茶人「小堀遠州」(こぼりえんしゅう)の庭を手本にして築堤した望月友閑の作だそうです。
光の差し込みが美しいこの池は、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、十二神将が出現したと云う池をイメージしたものと思われ、
庭の上部、この写真では左上ですが、薬師如来、日光、月光の三尊仏を表す立石「三尊石」が置かれています。
右下には日本庭園で使われることは極めて珍しい、下すぼみの不安定な枯滝を表す石も見受けられます。
池に浮かぶ橋のかかった島は「亀島」と呼ばれ、
横には折り鶴の形をした鶴島が置かれています。
蓬莱庭を登ったところにも
侘びた池があり、
龍神が祀られていました。
二天門が見えてきました。
この先に本堂があります。
西明寺は寺領2千石、17の諸堂に僧坊3百を有する大寺院にまでなりましたが、元亀2年(1571年)、延暦寺の焼き討ちを行った織田信長は、近江国にある比叡山傘下の天台寺院をも焼き払うことを命じ、西明寺も信長の家臣である丹羽長秀と河尻秀隆によって焼き討ちの憂き目に遭います。
しかしこの時、寺僧の機知により、山門近くの房舎を激しく燃やして、全山焼失のように見せかけたため、山奥に位置する本堂や三重塔は焼失をまぬがれたのだそうです。
この兵火の後、西明寺は荒廃していきますが、江戸時代に入り、天海によって12石が供物代として与えられ、公海や望月友閑により再興され、将軍徳川家光の庇護を受けて復興し、今に至ります。
入母屋造、檜皮葺きの本堂 は国宝に指定。
内陣中央の厨子には本尊薬師如来立像(重要文化財、秘仏)を安置し、左右に日光・月光(がっこう)菩薩像、十二神将像、二天王像(重要文化財)などが安置されています。
令和2年(2020年)に本堂内の赤外線調査がなされ、薬師如来像前にある西柱と南柱に菩薩立像が4体ずつ柱絵が描かれていたことが判明。
絵は飛鳥時代に描かれたもので、仏教絵画として日本最古級にあたることから、寺の創建時期が伝承より大きくさかのぼる可能性があるとのことです。
さらに本堂の横、参拝者の目を奪う建物が国宝の「三重塔」です。
鎌倉時代後期の建築とされ、総高は20.1m。
よくぞこれだけの美しい建造物が戦国の焼き討ちを逃れられたものだと、仏の加護を深く感じたのでした。