さて、そろそろ意を決して奥宮登拝を決行しましょう。
境内の案内板で行程を確認。
磐座は青龍山の峰の一つの山頂付近にあるようです。
そしてかつては神聖な場所として禁足地であったと。
近年、禁足地は解禁される傾向にありますが、そこへ足を運ぶ際はやはり、敬虔な気持ちを深くしなければならないと思います。
観光気分であってはならないのです。
道はすぐに山道のそれになり、
階段が延々と続くようになります。
そして再びフェンストラップ。
フッフッフ、この程度では慌てんよ。
華麗にトラップをかわし、先を進みます。
しかしきっつ、この道、きっつ。
滑りやすい山肌剥き出しの道と
大腿筋を容赦なく攻撃する丸太の階段の波状攻撃です。
青龍山の標高は333m。低山ではありますが、その高さは東京タワーと同じ。
しばらく登ると、少し開けた場所がありました。
ここが祭礼の広場ではないでしょうか。
少し先には
案内板のある分岐点があります。
旧跡・御池。
少しばかり降りていくと、垣根に覆われた池があります。
池というよりも小さな水たまり。
それでも湧き出た清水が絶え間なく流れ込んでいました。
往古には水量も豊かだったのかもしれません。
参拝者はここで身を清め、供物を洗い、日照りの時には雨乞い儀礼も行われたと伝えられます。
御池を侵すことはできませんので、ここで心を静めて、身の浄化をはかります。
再び登山。
分岐点、神の森へ向かいます。
そしておお、見えてきました。
登頂開始から約20分、
胡宮の奥宮であり、多賀大社の奥の院である青龍山の磐座に到達です。
磐座の下には龍神を祀った社「龍宮」が置かれています。
龍宮といえば海部家や豊家の祭祀が思い浮かびますが、ここの磐座は出雲族に由来するものでしょう。
出雲族の磐座信仰と龍神信仰が結びついたものと思われます。
不思議な造形の重厚な巨岩。
これはひび割れてこのような形になっているのでしょうか。
まるでモノアイのモビルスーツのようです。
胡宮神社の社殿の建てられる遥か以前からある原始信仰の聖域。
やはりここには、古い出雲系豪族の御霊が眠っているのではないでしょうか。
そして後年、当地に訪れた大彦勢が祭司を引き継ぎ、その際に龍神を祀った可能性があります。
大彦は出雲の藁蛇を用いた龍神信仰を東国に持ち込み、磐座信仰と結びつけたアラハバキを生み出しました。
磐座の上部、山頂まで登ってみました。
そこにあった変わった岩。
下の磐座の一部でしょうか、その形は龍、というよりは鯉のようです。
そういえば古代中国では「急流の滝を登りきる鯉は、登竜門をくぐり、天まで昇って龍になる」と信じられていたとか。
この鯉型の磐座こそ、青龍山の真の御神体なのかもしれません。
多賀大社の元宮・磐座とされるもうひとつの神社がありました。
大社の北東、やや鬼門寄りの芹川を渡った先にある「調宮神社」(ととのみやじんじゃ)です。
創祀年代不詳。社伝によれば多賀の大神が杉坂山に降臨なされ、更に栗栖の里にしばし休まれたと云います。
苔むした境内。
胡宮神社のような華美さはなく、至って素朴な神社です。
祭神は伊邪那岐命一柱のみ。
多賀の大神が最初に降り立ち、しばし栗栖の里で休まれて多賀の宮に移ったとされ、多賀大社の元宮と云われる由縁となっています。
現在は摂社の一つという位置付けですが、多賀大社の御旅所として、4月22日古例大祭、11月15日の大宮祭には本社のご神幸があるとのこと。
そして社殿の少し奥に、
ありました、磐座が。
磐座は辺りと一体化するように、全身が苔むしています。
頂部は冠を被るように様々な植物を生やし、
巻きつけた注連縄は土色に変色しています。
よく見ると磐座の背後から2本の木が生えていました。
それほど大きなものでもないので、これも遥拝のための磐座ではないかと思われましたが、それにしても異様な存在感を放っていたのでした。