滋賀県米原市の加茂神社にふらりと立ち寄りました。
そこには平成の名水百選、水の郷百選にもなった「居醒の清水」(いさめのしみず)がこんこんと湧き出ています。
ヤマトタケルが伊吹山の神との戦いに敗れた時、この清水のおかげで一命を取り留めたという伝承が残っています。
今も1日1.5万tもの水を湧き湛える居醒の清水。
その水はまこと清らかで梅花藻やハリヨが生息しているのだそうです。
清水の中にはヤマトタケルに因んだものでしょうか、さまざまな名前が付けられた石が浮かんでいました。
加茂神社は居醒の清水を渡った先に、石垣を築いて建っています。
まっすぐ上って
L字に折れると二の鳥居、
そして拝殿があります。
さらに拝殿の裏を上ると
本殿がありました。
当社創祀は不詳。
祭神は別雷神命(わけいかづちのみこと)です。
本殿も見事な造りで、雨・治水の神、農業の神として信仰されてきたそうです。
昭和34年、名神高速道路の建設に伴い加茂神社は移転を余儀なくされました。
社殿類を解体し移転、昭和36年に現在地へと遷宮されました。
醒井は中山道61番目の宿場「醒井宿」があった地域で、古来より交通の要のでした。
今も当地は、時代の名残りを残す風情ある街並みとなっています。
倭建命は弟橘媛を失った後、彼自身しばらく気落ちしてから再び気を取り直して彼の愛人宅へ赴いたそうだが何やってんだか😭
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Nekonekonekoさん、コメントありがとうございます♪
ヤマトタケルの話は、悲哀あり勇ましさあり、そしてラブロマンスありと人気の神話ではあります。しかしおっしゃる通り、??と思うところもまたあるもので。
しかし出雲王家の子孫である富氏は、ヤマトタケルの話の多くは創作であると断言されています。
彼のモデルとなったのは、九州から大和へ東征した物部族のイクメ大君(垂仁天皇)の孫・小碓(おうす)ですが、物部族は大和族に嫌われたので彼の時は播磨国に追いやられ、大和には入ることができなかったそうです。それで小碓はハリマタケルと呼ばれました。
小碓は尾張の宮簀媛を妃に迎えていますが、弟橘媛の実在性を僕は確認することができていません。古事記は柿本人麿が情緒深い話に仕上げていますので、弟橘姫の身投げの話は創作である可能性が濃厚です。
宮簀媛は子を宿し、その子孫が後の熱田神宮の神官・田島家となっています。
小碓はエミシ討伐の任を受けて東国に向かっていますがそこで亡くなり、彼の御霊は布都御霊として香取神宮に祀られています。
小碓は九州征伐にも出かけたように語られていますが、それは彼の父・景行大君の話を元にした創作です。
とまあ、実際はどうであったかは別にして、ヤマトタケルの話はおとぎ話程度に受け取っておけば良いのかもしれません。
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